五十四話
公園に智也たちがいなくてよかったと、心底安心した。相変わらず、この公園には自分たち以外人が来ないが、今はそれがうれしく感じる。
「ぼくがおかしいのなんてどうでもいいんです」
いつもの休憩スペースに腰かけたその直後、ハクは唐突に口を開いた。
突拍子もないその発言に、すみれは思わず疑問符を浮かべる。
「おかしいのは智也さんなんです」
「どういうこと……?」
すみれが不思議そうに首を傾げているのを見て、ハクは少し意外そうに唇を開いた。
「気づいてなかったんですか?」
「……えっと、智也の何がおかしかったの?」
「全部ですよ、全部。言うこと成すこと全部おかしかったです。……それに今日だけの話じゃないですよ。最近になってあの人、ずっとおかしいままでした」
「そう……だったんだ」
「意外ですね、すみれさん」
「え……」
「いつもぼくの些細な変化には気づいてくれるのに、智也さんのことに関しては何も気づきもしないなんて」
これはハクがすみれに対して、初めて漏らした愚痴かもしれない。
「ちょっと待って、ハク……。なんか今日変だよ。全然、いつものハクらしくないっていうか……」
「一体すみれさんはぼくに何を……」
そう言いかけたものの、ハクは急に言葉を止めた。横にいるすみれの、悲しみにまみれた顔が映ってきて、思わず体が凍りついた。
「……すいませんでした」ハクは言った。
「……えっ。あっ、いいよ全然」
そこに、いつもの彼女らしい冷静さは見られない。
「それより」続けるように、すみれは言った。「教えてよ。ハクが何でそんなに感情的になっちゃてるのか。私はそれが知りたい」
「それは……」
雨粒がゆっくり葉っぱから落ちるまでの時間、沈黙が続く。短いようで長い。そんな感覚になる。
すみれはハクを急かそうとはしない。ただ彼が口を開くその瞬間まで、すみれは顔を見ずにじっと待っていた。
「すみれさん」
「ん?」
「夢を追うのことって、悪いことだと思いますか?」
すみれの唇と唇の間に、微かな隙間ができる。
すみれはハクを見た。
これまでにないほどに真剣な目つきで、一人では抱えるには重すぎる重圧を背負ったような声だった。
明らかに軽いノリで答えてはならない状況であると、すみれは一瞬のうちにして悟る。
今にも泣きそうな赤子の手に触れるように、彼女はそっと口を開いた。
「何も悪くないことだと思う」
重々しい声が、また新たな沈黙を作る。
「……ですよね」ハクは言った。「でもなんで……。夢を追うことはいいことなはずなのに、なんでほかの誰かに非難されたり無責任だって罵られるようなことが起きるんだと思いますか?」
「それは……」
すみれは、この後自分が話すであろうことをすべて感覚に任せようとした。その方が、その場しのぎではないこころの奥底で思っている『本心』を吐き出せるだろうと、直感的にそう予測したから。
――けれど。
その予測は、見事なまでに外れた。
(あれ……。なんでなんだろ……? 夢を追うことはいいことなはずなのに……)
「……すいません」
混乱していたそのさなか、ハクは唐突に謝りだした。
「え――」
「こんな質問、いきなり答えてくれだなんてやっぱり無理がありますよね」
「……う、うん。ちょっとわからなかった」
「ぼく、最近ずっとそのことばっかり考えてるんです。でも……もう考えれば考えるほどわけがわからなくなてきちゃって……」
「……そうだったんだ」
意外そうにすみれは反応する。
おそらく彼は部活をしている間中も、ずっとそのことばかり考えていたんだろう。
彼はこんなにも悩みを抱え込んでいたというのに、自分はただ演奏にのめり込んでいた。
片づけをしている最中に、たまたまその異変に気がつけたというだけで。
何だか悔しい……そして悲しい。
その理由は、彼の悩みにまったく気づけなかったこと。そして、彼はこれまでそれを自分に相談してこなかったこと――ハクは、まだ私のことを完全に信頼していないみたいに思えて、それがすごく嫌だった。
「じゃあどうすればいいのかな、私たち? 智也のために何かできることはないのかな?」
「わかりませんよ……ぼくも、どうすれば」
重々しく、ハクは言う。そこには何もすることができない彼自身の滲みでるような悔しさがあった。
「これでいいんだよね……私たち。間違ってないよね……? だって私たちじゃどうともならない話じゃん、これって」




