五十話
「戸田さんは残っておいてくださいね。隣で面談の続きをしますから」
もう何回目になるんだろうか。普通だったら一回で済むはずの面接が、今になってもこうして続いているというのは、少しばかり変に思ってしまう。
「またかよー、智也」
面談の時間が来るのをじっと待機していると、横からいきなり声が聞こえてきた。
「『また』って……それはこっちが言いたいわ」智也は言った。
「もうこれで何回目だよ、おまえ」
「知らねぇよ、そんなの……」
「てか、おまえ本気で進学するつもりなのかよ。その頭で」
「おまえはおれを馬鹿にするために話しかけてきたのか? だったら早く帰れよ、帰宅部」
「は? 馬鹿になんかしてねぇよ。おれはただおまえのことが心配で言ってんだぜ」
(こっちはそんな心配されたくもねぇ)
「大体、専門とか短大に進学するとかならまだしも、普通の大学目指してんだろ? そりゃあ、担任に目つけられて当然だろ。そこまで粘ってどうすんだよ智也。どうせおまえ、まともに勉強なんかしてないだろ」
「………」
智也は彼の見えないところで、右手のこぶしを強く握りしめる。
「帰れよ……」
「……?」
「早く帰れよ」
いい加減、世話焼きは嫌いだ。
一体、自分はなぜこんな奴と友達になったんだろう。
「おまえもこっち来いよー」
それでも、彼は話し続けた。まるで自分が言ったことを聞いていなかったかのように。
「おまえの頭じゃ絶対大学なんて無理だって。いい加減、さっさと諦めて就職すればいいじゃねぇか。その方が百倍楽だぜ絶対」
「いいだろ、別に人のことなんて」
「よくないから言ってんじゃねえか? 言っただろ? おれは友達であるおまえのためにわざわざ忠告してるんだって」
「もう帰ってくれ!」
「―――!」
彼は少しだけ怯えたような顔を見せる。
「おれはおまえを友達だなんて一ミリたりとも思ったことねぇ……。だからさっさとここから出てってくれ、邪魔なんだよおまえ」
「はいはい。わかりました」
彼はまるで反省の意思を見せなかった。故に、また自分の怒りが爆発しそうだった。が、彼はいよいよ荷物を手に取りこの教室から出ようとしている。だったら自分はこのまま怒りを抑えて、こいつが出るまで待った方がいいとぐっとこらえる。
彼が教室を去るそのさなか、
「おれはおまえのためを思って言ってるんだからなー!」
わざとらしく大声で、彼はこちらが望んでもいない一言を発してこの場を去っていった。
(………)
こころの中で大きなため息をつく。
別に、進学がしたいだなんて大層なこと思っているわけじゃない。彼の言う通り、現実的に厳しい話だ。
しかし、これは単なる仮初の話であって。
あくまで『就職』を避けるために、こうして途方もない嘘をつき続けている。
この行為に、一体何の意味があるというのか。
そんなのわからない。
本当は無駄なのかもしれない。
――それでも。
流されるがままに、自分の信念を曲げたくなかった。
この決死の抵抗だけは自分が唯一正しい行動だと、なぜか自信をもって思えたから。
「戸口さん……?」
彼が去って数秒足らずで、担任が扉越しに顔を出してくる。
「いいですよ」
そこに拒否権などない。あるはずもない。
学校側は――もとい担任は、自分に言ってほしいことを口にするまで離してはくれない。
これはいわば裁判のようなものだ。向こうが『罪』をなすりつけて来る度に、こっちはひたすらに『無罪』を訴え続ける。時間が来れば、また次回へと持ち越し。向こうもこっちも、相手が下りる、すなわち『認める』のを待ち続けるのだ。
そう、これは勝負。自分を信じ、貫いた方が勝ち。逆に、脅しに恐怖したら負ける。
「はい」
――それでも抵抗し続けようじゃないか。たとえ無謀だとしても、人に迷惑をかけようとも、己を叫び続けるのは若者の唯一の特権だから。
△△ △
「ごめん、遅くなった」
ゲームに勝った後というのは、俄然気持ちがよくなるものである。
部室の扉を開けると、そこにはもうすでに全員が揃っていた。
楽器が弾ける状態にも関わらず廊下から音が聞こえてこなかったのは、たった今準備を終えたということだろう。
「智也……」
ある瞬間から、陸は眉をひそめていた。
智也が『あるもの』を背負っていたのを目にしてから。
「それ……」陸は、背中から大きくはみ出るギターケースに目をやった。
智也は陸の言わんとしていることが手に取るようにわかった。そして彼が今、何を思っているのかも。
「あぁ」智也は言った。「エレキは辞める、今日から」
「………」
陸は何も言わず、こちらを見つめた。
おそらく、この中で一番ショックを受けているのは陸だ。
自分がどんな過程をもってしてこの決断をするまでに至ったかは、彼は容易く想像できただろうから。
故に彼は、昨日した自身の発言に多少なりとも罪悪感を抱いているはずだ。
自分は、そんな彼が自分を責めたりしないようにちゃんと口にした。
「おまえは間違ってない。最初からするべき選択だったんだ。むしろ、おまえには感謝してるんだ陸。おれがあのまま間違った方向に進むのを止めてくれたから」
「……間違ってないんだよな、本当に?」
少し声を震わせながら陸は尋ねる。
「ああ。間違ってない。絶対に」
淡く暖かい火を、言葉の中に灯らせる。それは陸に安心を与えた。
さすがにハクたちにはこの会話の意味を理解できていないようで、ただ呆然と自分らを見つめ続けている。
智也はそんな二人を見て、
「見ての通り、おれはこれからエレキを使うのを辞めてアコギで演奏しようと思う」
「……どうしてですか?」すぐにハクは口を開いた。
口調には特段感情が乗っているわけではなかった。ただ純粋に、自分がエレキを急に辞めるという決断に至った理由を気にしているといった様子で。
「ハク」智也は言った。
「………?」
「おまえに頼みたいことがある」
「……頼みたいこと?」
疑問符を浮かべるように、ハクは眉根を寄せる。
「前におまえが、おれに聴かせた録音あったよな? 今やってる曲の」
「ありますけど……。それがどうしたんですか?」
「見えた気がしたんだよ。自分の理想とかプライドが完全に吹っ切れた時、一体どうしたらこの曲がもっと自然でいいものになるかってのが」
「……?」
智也は少し間を取った後、再び口を開きだす。
「前の歌い方に戻してくれ。あの時聴いた録音みたいに」
「え……?」
愕然としたまま、ハクは口をぽかんと開けた。
彼は今、頭が真っ白になっているはずだ。今まで散々、皆の迫力のある演奏に合わせるために歌の改善を図ってきただろうから。そんな耐え間もなく行ってきた決死の努力を、あたかも無下にするようなことを一体誰が喜ぼうというのか。
「ねぇどういうこと? 智也」すみれは少し荒々しい口調で言った。「なんでそうなったの?」
「あぁわかってる……。自分が今何を言ってるかは」
智也は冷静に言った。
「おれは、ハクがありのまま歌った方が上手くいくって、そう直感したんだよ。……もちろん、ハクが今までやってきたことを否定するつもりはねぇ。それはそれでいいし、本当に感謝してる」
智也は続ける。
「……ただ、その時見えたのはこう……ただ気持ちよさそうに歌ってたんだ。今までみたいに情熱的な歌い方じゃなくて。……そしてそこにあるべきなのはうるさいエレキなんかじゃない。そこはやさしいアコギの音の方が絶対に合うんだ。だから、おれは今日こうしてアコギを持ってきた」
そこで話が終わったかと思えば、再び智也は「ほんと無責任すぎるよな……」と呟き始めた。
「最初のころ、おれはおまえに対して『歌の上手さ』を求めてたっていうのに。今じゃまるで反対のこと言って」
まったく不甲斐ない。だが、思いついてしまったのだ。どうしても言いたい。伝えたい。その欲求には逆うことなどできなかった。
これはわがままだ。だから断られようが、無責任過ぎると罵られようがそれを受け入れるつもりでいた。なのに、
「いいです……それでいいです」ハクの口調が急に変わる。「やりましょう。ちょっと試してみたいですそれ」
滅茶苦茶で断られて当然なはずのに……。なぜこうも簡単に受け入られるのか、この男は。
ハクはまるでうつつを抜かすように、マイクスタンド前へ移動し始めた。
「すみれさんも陸さんも、今すぐ演奏できますか?」
呆然としていた二人に声をかける。そんなハクに促されるように、二人も各々の楽器の位置につき始める。
「おいハク……!? なんで陸たちまでなんだ? おれはおまえにしか………」
するとハクはにこりと、あたかも興奮を抑え切れていないような不気味な笑みを見せて、
「思いついちゃったんです、ぼくも」




