四十三話
六限の授業は、ちょうど担任がやる国語の授業だった。授業が終わってすぐ、ハクは文化祭の申請書を担任に渡すために前へ向かった。
「あぁ……。わかった」と、担任。「生徒会に出しとくな」
「お願いします」
要はこれで済んだ――そう思った矢先、担任がまじまじとこちらに目を向けていることに気づく。
「手際がいいよな、おまえの部活」担任は言った。「まだ創設したばっかだろ? たったこれだけの期間で文化祭に出るなんて、相当熱心に取り組んでるんだな」
そんな担任の感想に、自分は一つだけ意見を添えたかった。
「先輩が今年で卒業するので」
「先輩……。あぁそうだったな、おまえんとこの部活。……? 前から気になってたんだけどさ、なんでおまえが部長やってんだ? もしかして、何かハラスメント的なことでも受けたのか?」
「………!」
その質問は痛い。
正直、『違う』とはっきり言えないところもあるから余計に返答に困った。
「……みんなで話し合って決めました」
「………」納得がいっていないのか、担任の顔は晴れないままだったが、「……そうか。まぁ頑張れよ、文化祭」
「……はい」
△△
帰りのホームルーム。
ハクは担任の話をよそに、さっさと荷物をバッグの中に詰め込んでいる最中だった。
「前に言った文化祭の話覚えてるか?」担任は生徒たちに問うた。「クラスで出し物するって。文化祭はクラスの出し物だけじゃなくて、ほかにも個人とか部活とかからも出されるんだ。そこで一応聞いておきたいんだけど……この中で部活か個人で出し物する予定だって人、どれくらいいる?」
担任は生徒たちに挙手を要求しだす。
見た感じ、挙手した生徒はまばらで。
クラスの出し物も同時にやるのはさすがに大変だろう――まるで他人事のように考えていたハクだったが、
「どうしたー? 籔島。おまえも文化祭で出し物するんじゃんかったのか?」
生徒たちの視線がハクの方へと注がれる。
(あ……)
思わず冷や汗をかく。
「はい……」ハクはぎこちなく手を挙げた。
周りから《意外だ》とでも言いたげな視線が送られてくるが、別にそれは気にしない……。
「そうかー……」
担任は話を進めだす。
「割かしいるんだな……うち。ならうちの出し物はできるだけ負担がかからないものにしないとだなぁ」
担任は悩んだ末、
「わかった」担任は言った。「少しみんなにお願いしたいことがある。うちでやるクラスの出し物を明日までに一人一つは考えてきてくれないか? なるべくみんなに負担がかからないようなやつをだ。早く決まったらそれで解散にすっから、みんなちゃんと考えとけよー」
そんなこんなで、また一つ考え事が増えたのだった。
ホームルームが終わって、ハクはすぐさま部室へと足を運んだ。
かなり意気込んで扉を開けようとしたが、扉は開かず鍵がかかったままだった。
自分が一番最初に来たと悟って、鍵を取りに職員室に向かいだす。
廊下を移動していた最中、
「……あ」ハクは突然足を止めた。
すれ違いざま、偶然陸と出くわせる。向こうも自分と同じく足を止め、
「鍵なら大丈夫だぞ。おれが持ってるから」
陸は鍵をぶらつかせながらそう言った。
ハクが短くお礼を告げると、陸は再び歩きだす。その背中を追いかけるように、ハクも足を前へと進めた。
部室まではそんなに距離があるわけでもなかったので、それまで特に会話をすることなく目的地へと辿り着く。
陸が鍵を開けると、まず最初にハクを中へと通した。そんな彼の親切に、思わずハクは一礼しながら入室する。
部屋に入って間もなく、ハクは邪魔にならない端っこの壁際にバッグを置いた。
することはそれくらいだ。
ハクには弾く楽器も、扱える機材もないため、ただ皆が来るのを待つしかない。
(気まずい……)
すみれとはもちろん話せる。智也とも、多少ぎこちなくなることはあっても一応二人きりの状態でも話すことはできる。
ただこの陸という人とはこれまで全然話してこなかった。今の状態下では、到底話せそうな予感がしない。
〈話したいけど……。
全然何話せばいいかわかんないし。
そもそもこの人、おれのことどう思ってるんだか。
話しかけてみようかな……せっかく二人きりだし。
いやでも何話したら……。
あぁだめだめ。そんなこと考えてるからいつになっても話せないんだ。
とりあえず話しかけよう。話題なんてその後だ〉
「あの――」
ドラム付近にいる陸に向かって、ハクはそう呼びかける。
だが同じタイミングで、扉が開く音がハクの声を打ち消した。
「おつかれー」
「おつかれ」
突如姿を現した彼女は、扉を開けるなりすぐに挨拶を口にした。それに応答する陸。
「おつかれ」
すみれはハクに視線を移すと、今度は陸に言った時とはまた違った口調で声をかけた。
「おつかれさまです」
ハクは座ったまま、ぺこりと頭を下げる。
するとすみれは、キーボード付近に持っていた鞄を下ろし始める。まさにその時だった。
「菱川」
すみれは足を止めた。やがて彼女は、声がした方に体を向けだす。
「菱川って、頭いいか?」
目線の先に佇む陸。そんな彼の口から突然思わぬ質問が投げかけられ、すみれは思わず目を点にした。
「……………」
一瞬だけ言葉に詰まったすみれだったが、何とか言葉を紡ぎ出そうとする。
「なんで?」
「その……もしよかったらなんだけど。おれ今入試の勉強してて、それでわからないところ菱川に教えてもらえないかって思って」
「……私、二年生だけど――」
「もちろん……! 教えてもらうのは二年生の範囲だ」
今まで少し怪訝な表情を見せていたすみれだったが、陸の事情を聞いた今は納得したのか顔を緩めていた。
「もう受験も近いもんね、三年生」と、すみれ。
「そうなんだ」
「いいよ、私でよかったら。……そっか、陸は入試もやらなきゃなんだね。……でも大丈夫? 忙しいはずなのに」
「……ほんとは、入試のために勉強に専念した方がいいんだと思う。でもおれは、今部活しないときっと後悔すると思ったんだ。やっぱりおれ、音楽好きだから」
すみれはまるで勇敢な人を褒め讃えるような目つきで、陸を見た。
「ありがとね、陸」すみれは言った。
「いや、それはこっちのセリフだ。勉強、教えてもらうんだから」
「いや別にそれは……」
「すみれ」
「―――!?」
すみれが弁明を挟もうとしたその瞬間、陸はいきなり彼女のことを下の名で呼びかける。
あまりに唐突過ぎる彼の言動に、すみれは目を見開かざるを得なかった。
「……そう、呼んでもいいか?」
言いながら、陸は少し照れ臭そうに顔を赤らめる。
「うん、別にいいよ。……私も陸って下の名前で呼んでるから、なんだか変だって思ってたし」
「おれも、そう思ってた」
いつしか、陸は朗らかな笑みを浮かべていた。
「あぁそう。例の教えてほしいところなんだけど――」
――トンッ。
その瞬間、扉の音が本当に微かにだけ響いた。
普通の人間であれば、その音には誰も気に留めなかっただろう。
だが、すみれはその些細な音を敏感に捉えていた。
すみれは思わず扉の方を、そして周囲を見渡し始める。
「あれ……? ハクがいない」
すみれが不思議そうな表情を浮かべていると、
「トイレでも行ったんじゃないか?」陸は至って冷静に言った。
「……そっか」
その後、短い時間ではあったが、すみれは陸に部活が始まるまでの時間まで勉強を教え続けた。
やがて部員全員が集まったのを境に、二人は勉強を中断し始める。
「また教えてもらってもいいか、勉強? その、すごくわかりやすかった……すみれの解説」
「そう? 助けになれたならよかった。いいよ、また教えるね」
すみれは、壁際で携帯を扱っているハクの元へ足を向けた。
「ハク」すみれは言った。「どこに行ってたの? さっき」
すみれがそう問いかけると、
「トイレ、ですけど……?」
なぜそんなことを聞いてきたのかわからない顔つきで、ハクはすみれを見上げていた。
「そっか」
「………?」
「なんでもない。少し気になっただけ」
すみれはそう言い放つと、自らの持ち場へと移動していった。




