三十九話
ガラガラッ。
扉を少しだけ強く閉めたのは、苛立ちがあったから。
担任には伝わっただろうか。
自分のこの、精一杯の抵抗心が。
伝わっているといいが。
いや、多分それはありえないだろう。
おそらく思春期の反抗期などと軽く扱って、また自分に言うのだ。
――あなたのためを思って。
「クソが……」
智也は誰もいない放課後の廊下で一人呟いた。
あなたのため――なんて都合のいい言葉なのだろう。
悔しくなるほどに、その言葉はぐさっとこころに刺さる。
それでも自分を曲げたくないから、必死にそれと戦う。
思春期でもいい。勘違いでもいい。
何を言われようと自分を曲げたくない。
故に、先生の言葉など信じない。
まあ、その結果最近『時間』という限られたものを大人たちに盗まれる羽目になっているが。
(諦めてたまるか)
智也はそのまま一番下の階まで速足で階段を降り、部室へと足を運んだ。
メールで陸に遅くなると最低限伝えておいた。その理由は多分向こうも察しているはず。
「智也さん……」
部室に入って一番始めに自分に気がついたのはハクだった。
あいかわらず、この部屋に彼がいることにはまだ慣れない。
「って、あいつらは?」
部室にはなぜか、ハクしか姿がない。
「あぁ、すみれさんたちは今コンビニに行ってます」
「コンビニ……? なんで?」
「その、智也さんが来る前三人で話してたんです、今後の部活のこと」
「………」
「陸さんが、今年卒業するからこれから本格的に練習に取り組みたいって言って……。それで今日から夜遅くまで練習しようってなったんです」
(陸がそんな話を……?)
「いや、待て。それだけか? 別にそんなに焦るような状況でもないだろ? 第一、おれたちもう楽しく音楽やってるじゃねぇか」
そう言った後、ハクは一瞬だけ気恥ずかしそうに下を向いた。
やがてまた自分に向き直って彼は口を開く。
「それが……」
やはりまだ何かあるらしい。陸とすみれが思わず焦りを覚える何かが。
「すみれさんが作曲の話を振ってきてきたんです。ぼくがつい最近、新しい曲ができたって話をしたら……二人に録音を聴かせる流れになって。そしたらすみれさんが『これを文化祭でやろう』って……」
「文化祭……。そもそもそんな時間あんのかよ? あと一か月もないんだぞ?」
「だから今こうして遅くまでやろうってなってるんです」
「………」
正直、驚きしかない。
何せ、自分がいない間にここまで話が進んでいるとは思ってもいなかったから。
文化祭への出場を次の目標にするなんて、ある意味一番意外だった。
そしてその要因となったハクも――。
「おれにも聴かせろよ、その録音――」
△△
「――――」
夢から覚めたものの、まだ現実と夢との区別がつけられていない――その感覚にほとんど酷似した感覚を自分は抱いていた。
己の目がはっきりとハクの顔を捉えた時、智也は夢から覚める。
「おまえ、これ……」
「どうですか……? その、意識して作ってみたんですけど」
「……ホルンズ、だよな?」
「わかりました!?」
やや興奮気味に、ハクは自分に詰め寄ってくる。
「わかるだろそりゃ……」
メロディも、リズムも、ハクは完全にこのバンドの特徴をしっかりと捉えていた。
いわゆる二次創作的なものか。
違う。これは特徴が似ていてもまったく違う旋律だ。
いや、そんなことはどうでもよく――、
そもそも、ホルンズは英国のバンド。
当然ながら歌詞は英語だ。
しかし彼は、言語違いの日本語を使っていた。
にも関わらずこの男は何も違和感のない、ごく自然な歌詞をつけていたのだ。
決して二次創作ではない。
英語と日本語という二つの間にある大きな言語の壁を、この男は軽々飛び越えてきたのである。
「前に智也さんから教えてもらったバンド。聴いたら一瞬でハマりました! ほんとに最高です、ホルンズ!」
とどのつまり、この男は週末のこの少しの間にホルンズに聴き惚れ、そこに音楽的なインスピレーションを受けこの曲を作った――おおよそそんな推測ができる。
それと同時に、彼がどれだけ異常なことをやってのけたのかを悟った。
〈たった三日足らずで……!?
こいつ、ついこの前知ったばっかりだよな? ホルンズ。
――五十……。何年前の音楽聴いてんだよ、おまえ
今までまったく違うジャンルしか聴いてこなかった奴が、そんな短い時間でここまで特徴を抑え切った曲を作ったってのか……〉
「すみれがあれだけおまえのことを推してたのも、案外納得がいかなくもねぇな」
「………?」
言い放ったその言葉は、半ば独り言のようなもの。
そんな彼に、もう一度言う気にはなれなかった。
「いいぜ。おれも一度でいいから出てみたかったんだよ、文化祭」
「そうなんですか!?」
すぐさまハクが反応を見せる。
「よっしゃ! おれも気合入れねぇとなー。高校もこれで終わりだからよ、最後くらいいい思い出作らねぇとな!」
「………! はい! これから一緒に頑張りましょう!」
と、張り切った声でそう言い放った矢先、いまだ部室にハクと自分しかいないことに変な感覚を覚える。かれこれもうここに来て、十分ほどは経った気がするが……。
「にしても遅くねぇか? あいつら」
「ここからコンビニ、割と遠いですもんね」
「不便だな、この学校は」
あの二人が戻ってくるまで自分は適当に音楽でも聴いて時間を潰そう――そう思って携帯に目をやろうとしたその瞬間、横から声が聞こえだす。
「……智也さん、将来のこととか考えたりしますか?」
何かと思えば、そんなことを。
「そりゃあ、おれはもう三年だからな。当然考えないわけにはいかねぇだろ?」
「そうですよね」若干微笑みながら、ハクは言った。
「進学とか、就職とか……」
これは嘘ではなかったが、本心でもなかった。
人に本心を明かしたくならないのは、一体なぜなんだろう。
「――え!」
すると突然、ハクは目を見張った。
「智也さんが進学就職……。てっきりぼくは音楽の道に進むのかと思ってました……」
「………」
(そう思われてたのか………おれ)
「音楽、大人になっても続けないんですか? 智也さんすごく才能あるのに」
「は!? 何言ってんだ。おれに才能あるわけねぇだろ」
「ありますよ!」
ハクは自分の目をしっかりと捉えた上で、そう言った。
なぜその意見に自信を持てるのかは、少し鼻につくところではあるが――、
自分は、これからハクが放つ言葉を止めようとしなかった。
普段だったら、すぐに無駄だと悟って止めに入るのに。
少しだけ気になった。
彼が今から発しようとしているセリフの内容はどんなものかが。
いや、もう自分はすでに彼が何を言うか予測がつけているのではないか。
「智也さんのギター、ぼくすごく好きです。いつも聴いてる時、思うんです。なんてやさしくて芯のこもった音だろうって。ずっと、永遠に智也さんのギター聴けたらなって」
「いやいや――」
「それだけじゃないですよ」
また、止めようとしなかった。
「智也さんの歌もほんとに上手だと思います。本当にギターと同じくらい繊細でやさしくて。……。智也さんが音楽続けないなんて、ぼく本当にもったいないと思います! 智也さんはどうなんですか? 大人になっても音楽続けたいっていう欲望は少しもないんですか?」
少しも――その言葉はこころに刺さる。
何せ、全然『少しも』どころの大きさではないのだ。この欲望は。
自分は最初から、こういうことを言う人間を待っていたのかもしれない。
「ある……」智也は言った。「大人になってもずっとそうして生きていたいって欲望はある」
「………!」
それが聞けたハクはうれしかったのだろう。
彼は満面の笑みを浮かべたまま、瞳をキラキラと輝かせている。
よくもまぁ、そんな大げさとも取れるような笑顔で他人のことを喜べるな――智也はこころの中でそう思っていた。
「じゃあ智也さん、将来ミュージシャンになりたいってことですか!?」
「……ああ。まあな」
「いいと思います! とても素敵な夢じゃないですか」
「……いやでも、この道はそんなに甘くねぇだろ?」
「なれます! 智也さんなら絶対なれると思います」
あぁ。
なんて気持ちがいいのだろう。
自分が思った通りの言葉が、そのまま返ってくる。
たったそれだけで、こころが晴れていくようだ。
今まで悩んでいた悩みなど、もうどうでもよく見えてきて……。
「そういうおまえはどうなんだよ?」
その質問を投げかけた時には、ハクは瞬時に顔をしかめていた。
今まで瞳に映っていた星々はいつの間に消え去り、今では諦観を含んだ一ミリの光も見えない瞳へと移り変わっている。
「なれたらいいなぁとは思ってますけど、ミュージシャン」と、ハク。「でも正直、どうせなれないんだろうなぁって思います。そう簡単に叶うことじゃないって」
「なんだよそれ。さっきまでおれに言ってたことは一体何だったんだよ」
「いや……れはぼくが智也さんみたいな才能を持ってないからで………」
「持ってんじゃねえか、おまえも。いやおれはむしろおまえの方が――」
そう言いかけたタイミングで、扉の開く音が鳴った。
「ただいま」と、元気よく姿を現すすみれ。
すみれは視界に映った智也を見て小さく口を開け、少しの動揺を見せた。
それに気づかない智也ではない。いま彼女が頭の中で考えていることは大体察しがついた。
「智也」すみれは言った。「その、ちょっとだけ聞いてほしいことがあるんだけど……」




