三十八話
「ごめんね、今日……。外食になっちゃって」
「べつに謝んないでいいって」
夜の八時過ぎ。二人はとあるファミレスに来ていた。
ファミリー用の席。お尻と腰にくる痛みは家のソファとまではいかないが、いい具合にフィット感を感じられる。
縦に五つほど並んであるこのファミリー席には、自分たちの他に二組確認できた。ほかの席にもぼちぼち空席が見えたからあまり人盛りがあるとは言えない。
故に、自分たちの会話も少し周りに響く。
どんな会話であれ、会話が周りに聞かれるのに多少の抵抗を感じるのは自分だけだろうか。
スタッフの人がお冷を届けに自分の元へ近づいてきた時も、自然と黙り込んでしまう。
「決めた?」と、母。
「ああうん。これにする」
ハクは手元にあるメニュー表の中から鉄板焼きのハンバーグを指して見せた。
普段は渋めの行動を取っているハクだが、レストランでこういう品を選ぶ辺り精神的にはまだ子どもなのかもしれない。
「これおかずだけのやつじゃないの? ちゃんとご飯も食べなきゃ」
「ああ、じゃあ……。このセットも頼む」
母はすでにもう注文を決めていたようで、自分が言った後すぐ呼び出しのベルを押しだした。店員はすぐさまこちらにやってきて、母が朗らかな笑みを浮かべながら注文を伝え始めた。店員も同じような笑顔で、慣れたようにそれに応えている。
母のこういう業務的なやり取りを見ていると常々思う。母はすごくて、頼りがいがあると。
頼りがいがあると言えば、仕事しているときも母はこんな感じでてきぱき物事をこなしているのだろうか。
周りの人たちも母のことを信用していて。
母が自然とふるまうこの笑顔一つとっても、自分にはできそうにない。
少し不安になる。
自分も将来、こういうことをしなくちゃいけないのかって。
多分、社会に出たら当たり前のようにそれを求められる。
笑顔だけじゃない。
挨拶や雑談みたいなコミュニケーション。
社会人的なマナー。
名刺交換とかの礼儀。
単純な雑務だったり。
単純な雑務と言っても、自分にとってはそれだけで精一杯になりそうだ。
あいつは使える。あいつは使い物にならない。
そんな上辺の部分だけできっと人は評価されていく。
自分はきっと『使えない者』だろう。
社会に、人に必要とされない側の人間。
必要どころか、むしろ邪魔者扱いされそうだ。
そんな未来のことなんて、考えても切りがないこと。
掴みどころのない大雑把な不安しか感じられないから余計に困る。
(嫌だな……)
つい、ネガティブな方に脱線をしてしまった。
「お待たせしました!」
唐突な女性店員の声高なかけ声。自分のもとへ鉄板のハンバーグとセットで頼んだライスが運ばれてくる。「ありがとうございます」という感謝の言葉は伝えるのが恥ずかしくて、ついぺこりと頭を下げるだけになってしまった。
どうやら自分の方が先に来たようで、母はまだ後らしい。
「食べていいよ?」
再び携帯をいじっていると、母は置かれたばかりのハンバーグを指さしながらそう促してきた。
「いい」
「でも……冷えない?」
「大丈夫だから――」
そう言いかけたタイミングで、今度は男性店員のかけ声とともに母が頼んだ定食が運ばれてくる。母がさらりと感謝の言葉を伝えると、店員の人はすぐにこの場を去っていった。
母が頼んだのは野菜のあんかけのようなものの定食だった。
普段、自分はあまりこういうものを頼まないから、何かと気になり見入ってしまう。
そんなハクを見てか、母は――
「食べる?」
急な母の提案にハクはすぐさま首を横に振りながら「いい」と言って、自分が頼んだハンバーグを口の中に大きく頬張った。
(おいしい……)
△△ △
「拍ー。お昼食べたー? 私今から買い物に行くんだけど………」母はハクの自室に顔尾を出しすと、その瞬間口を止めた。「……まだ寝てたの!?」
「………?」
何か呼び声が聞こえた気がして目を開ける。いまだおぼつかない様子で、ハクは腰を下ろすなり周辺を見渡した。そこにはなぜか、目を見開いたままの母の姿が。
「……って、本当に寝てたんだ」母は苛立っているのか呆れているのか、どっちつかずな表情で言った。「もう十二時よ。早く起きなさい」
「……あ、うん」
とっさの出来事に思わず驚いたが、何とか状況を察知して返事を返す。
(十二時……。寝てたんだ、おれ)
母は決して嘘をついてるわけではなかった。
携帯に映し出されている時間を見れば、あと三分で正午を迎えるところだ。
真っ黒な携帯のスクリーンを眼前に、横になったままの状態で昨日のことを考える。
――聴けばいいじゃねえか。適当に携帯とかで
そうだった。
昨日の智也の発言に影響されて、夜遅くまでミュージックビデオを聴き漁っていたのだ。
夢中になっていたことは憶えているが、もう今では聴いた曲すらまともに思いだせない。
「何……これ?」
何となく携帯を開いた。
一番に映ったのは、なぜかボイスレコーダーの画面。
一体なぜこの画面が真っ先に映し出されたのか。ネットで音楽を聴いていたことは覚えているが、自分がボイスレコーダーを開いたという記憶は本当にまったくない。しかも――。
「……って、なんか録音してるし」
そこには『録音2』と書かれた録音が新しく追加されていた。
いまだに思い出せないということは、きっと無意識のうちに録音をしたのだろう。このボイスレコーダーで。
何かしらの曲を聞いて、インスピレーションのままに録音したのだろうか。
とりあえず、この録音の内容を知りたい。再生ボタンを押してみる。
「――――」
聴く前、少しだけ期待していた。
無意識下に行われたこの録音には、きっととてつもなくすばらしい曲が詰まっているのではないかと。
そんな期待は、一瞬のうちにして砕かれた。
「全然何言ってるかわかんないし……」
おそらく思いついた曲を歌っているのだろう。その姿勢だけは、この録音から何となく伝わってくる。
けれど聴こえてきたのは半ば寝言のようなもので、そもそも曲にすらなっていなかった。
おかげで興が冷める。
せっかくの休日だというのに、これでは今日一日のスタートが台無しではないか。
(ご飯食べよ)
ちょうど数秒前、母が家を出た音が聞こえた。
きっと買い物か何かだろう。
自分は携帯を手に持ったままベッドを抜け出し、そのままリビングへと移動した。




