三十六話
本作に登場するバンドは、あくまで私自身が創作したものです。現実のものとは関係ありません。
狐色の淡いギターの音が聴こえる。
それに合わせるように、男のやさしい声が加わる。
(いい曲……)
邪魔にならないように部屋の端っこに座っているハクは、演奏する智也をまじまじと見つめていた。
智也はようやく、ハクからの熱烈な視線に気づく。
「……なんだ?」
智也は少し気圧されつつ、向かいの壁の方へと声をかけた。
するとハクは急に腰を上げ、智也に近づき始めた。
「なんて言うんですか? その曲」
ハクがそう言うと、一瞬智也の眉が歪んだ。
「おまえ……この曲知らないのか……?」智也は引き気味にそう口にした。「ホルンズの有名な曲だぞ? ウォーターフォール」
「………」
ピンときていないらしい。ハクの反応はいかにも鈍かった。
「まぁ、海外の曲だしな。別におかしくないか……」
独り言を呟くように、智也はそう口にすると、
「ホルンズ……って言うんですか? その人」
「人じゃなくてバンドな」
するとハクは、急にポケットの中から携帯を取り出し何やらいじり始めた。
「あ、これがホルンズ……。へぇ……結構最近」
「は!?」
何を言っているんだとばかりに、智也は大きく目を見開いた。
「どこが最近なんだよ。むしろ結構昔のバンドじゃねぇか」
「ハクにとってはそうじゃない」
そう割り込むように会話に入ってきたのはすみれである。今まで静かに読書をしていた彼女はどうやら二人の聞き耳を立てていたようだ。
「ハクは五十年代の音楽とか聴いてるから」
「五十……っておまえ、いつの音楽聴いてんだよ」
智也が呆れたようにそう言った後、彼は一つため息をつき「まぁいい」と呟いた。
「それより早く課題曲やろうぜ。このままだらけてるとすぐに時間が来るしよ」
「課題曲、今のにすればいいんじゃないですか?」
唐突に、ハクがそんな提案をしだした。またしても、智也は呆れたとばかりにため息をつく。
「おまえが作った曲をやるんじゃなかったのかよ?」
「別にそれだけじゃなくても――」
「だったらおまえはどうなるんだよ? 楽器弾けねぇのに何やるってんだよ?」
「…………!」
ハクは自分の失言にはっと気づいた後、申し訳なさそうに顔をしかめた。そんな彼を見て智也も、自身の発言が迂闊であったと反省するように額に手をやる。
「……すまん。今のはおれが悪かった、忘れてくれ」
「いや……こっちこそ、すいませんでした。何も考えずにものを言って」
うれしかった。とてもうれしかった。
智也は、楽器を弾けない自分をグループの中に入れてくれようとしている。
正直「ありがとう」とこの場で感謝を述べたかった。しかしなぜだろう。それを言うのは少しばかり恥ずかしく思って、言葉にするのをためらっていた。本当はこういう時、ちゃんと伝えた方がいいのだろうが。
しかし――。
このまま彼に甘えて自分の野望だけを叶えてもらうのは、少し違う気がする。
それはすみれのときの二の舞である気がした。
彼にも、きっと何かやりたいことがあって……でも――自分という存在がそれを邪魔して仕方なく他人に合わせているんじゃないか。
(そんなの嫌だ)
バンドの目標が、ちゃんと皆の欲望によって形成されたもの――それが一番理想的ですべきことなのだ。
智也の望みを知りたい。あの人は何がしたいんだ。何がしたくてこの部にいるんだ。
直接聞きたい。でも、それだとこちらの意図が察せられてしまいそうで下手に気を遣わせてしまうのも何かとまずい。
彼はただ音楽をやりたいだけなんだろうか。
それだけか? 本当に。
いや……もしそうだったなら、なぜ自分とわざわざバンドを組むなんてことをしているんだ。ただ音楽がしたいだけなら、隣にいる陸と二人でもうすでにできていたことじゃないか。
さっき智也が口にしていたこと。
『ホルンズ』というバンド――おそらく彼はそのバンドのことが好きなんだろう。
(…………)
ということは、自分がやるべきことはただ一つ。
自分は智也の『やりたいこと』を理解するために、そのホルンズというバンドを知ることから始めなければならない。
「聞いてみたいです、ホルンズ」
「ああ、聴けばいいじゃねえか。適当に携帯とかで」
携帯で音楽――自分はその手の手法には疎過ぎるから、正直あまりわからないが。
「はい、聴いてみます」
とりあえず何らかの方法でホルンズの音楽を聴くとしよう。
今日の部活は、得に何もすることなく終わった。
活動自体を忘れ、つい談笑をし続けてしまったせいだ。
今週は智也たち三年生が色々忙しいからと、部活で集まるのを中断していた。週終わりである今日に、やっと皆で集ることができたのだ。
そこにいた全員、せっかく集まったから何かしないといけないという思いがあった。
だが、具体的な方針がまだ定まっていないせいで、今の演奏部の活動はどこかふわっとしている。
もう九月も終わり、本格的に秋に突入しているこの夜道。季節のぬるい風に混ざって初冬の風とも思えるような少し肌寒い風も同時に吹いている。自転車を漕ぎながらだから余計に寒く感じる。明日には冬服に着替えないと後悔する羽目になるだろう。
(何かできること……)
帰り路、ハクは自転車を運転しながら考えていた。
皆が一つの方向を向けられるような目標が欲しい。
その目標には、当然皆それぞれがやりたいことが詰まっているべきで。
〈智也さんがやりたいこと……。
今日少しだけわかった気がする。
だとしたら自分はできることがまったくないわけじゃない。
作曲――自分ができる唯一のこと。これから頑張らないと。
陸さんはどうなんだろう。
あの人が考えてることは、いまいちよくわからない。
まだあんまり話したことないし……。
あの人、何のために音楽やってるんだろう〉
△△ △
家に帰ってきたころにはもう辺りは光のない洞窟のように暗くなっていた。それを象徴するように数匹のコウモリが元気よく宙を舞っている様子が見受けられる。
すぐさま鍵を刺して玄関の戸を引っ張った。
しかし扉は開かなかない。ガチャンという音だけが返ってくるだけで。
「………?」
鍵の穴は上と下の二カ所あるのだが、朝に上だけ閉めたのか下だけ閉めたのか、それとも両方とも――なんてことはいちいち覚えていない。
両方閉めたと思って次は下の方に鍵穴を刺した。
しかし結果はまたガチャン。
困ったように口を歪めるハク。残りのパターンを考え始めることに。
数学は嫌いだ。
こんな至って単純に見える作業さえも、難解なパズルのように頭を混乱させる。
少しだけイライラしながら、再び鍵穴に向かって鍵を刺そうしたその時、急に扉の向こう側の電気がついた。分厚いガラス越しから透き通る小麦色の光を見た瞬間、ハクの目は思わず点になっていた。
「何してるのこんな夜遅くまで……」
突然、母がこちらを覗き込むように中から出てきた。
ぼおっと立ち尽くしていたハクを見て、母は「寒いから早く中に入りなさい」とすぐに出迎える。
家の玄関は暖房が効いていないとはいえ、さっきまでの外の寒さとは比較にならないほど温かかった。冷たい夜風にやられたその手をさすった後、鍵を閉めすぐさま振り返る。
心配しているのか、それとも夜遅くまで外に出歩いていたことに腹を立てているのか。母はどっちつかずな表情のまま、いまだに自分を凝視し続けていた。
「ねぇ……」母は言った。
「………」
「何かあったの? 学校で」
「え……?」
母は、どうやら心配をしていたらしい。
「だから、その……いじめ、とか……」
「いじめ……?」
「二学期になってからなんかおかしいなぁって思ってた。最近はあんまりなかったけど、今みたいに遅くまで家に帰ってこなかったり、家でもやたらと私のこと避けてて挙動不審に見えるしさ。
……絶対学校で何かあったんじゃないかって……今までは本人の自由だからと思って言ってこなかったけど、学校でいじめ受けてるかもって思ったらもう心配でしょうがなくて……」
「……お母さん」
特段母は、瞳を麗せながらひどく感情的になっているわけではなかった。
ただ、母はそんな自分に対する心配が仕事をしているときでさえも、頭の中で呪いのように渦巻いているのだと容易く想像ができるくらいには、母は追い込まれた顔していた。
母親のこんな顔、今まで一度も見たことがなくて。
「ごめん……」ハクは言った。「……いじめは別に受けたりしてないから、その……安心してお母さん」
「………」
少しだけ母の唇が歪む。そこには当然、己が一番恐れていたことが本当じゃなかったことへの多少の安堵も含まれているだろう。
ハクは続けるように口を開く。
「……部活に入った、新しく」
「部活!?」
母が驚くのも当然か。
自分があまり集団を好む人間でないことは、母が一番よくわかっている。
そんな認識で、今こうして息子の口から『部活』という言葉を発することが、どれだけ意外に思えることか。今まで想像さえもしてこなかっただろう。
「部活って……その、何部?」と、母。
「演奏部。……っていう音楽の部活」
再び母の目が見開く。
「え……音楽? 音楽に興味あったの?」
少し顔を赤くしながら、ハクは首をこくんと下げた。
「ごめん、今までこのこと黙ってて……それで心配もかけて……」
「いやいや」母は手を横に振ってそれを否定。「いいよ、別に謝んなくて。そう………部活に入ったんだ、拍」
「意外だった?」
「え?」
唐突なハクの質問に、母は思わずきょとんと目を丸くする。
「だからおれが部活に入ったこと」
「……ああ、うん。そりゃあ意外に決まってるよー。まさか拍が部活に入るなんてね」
まだ聞きたいことがあるらしい母は「でさ……」と声を漏らした。
「その部活って、音楽の部活なんでしょ。結構部員の人数とか多いんじゃないの?」
「四人だけだよ」
「え、四人だけ!?」
「だってまだ部、設立したばっかりだし。そもそもバンドに興味ある人なんて全然いないと思うけど」
「そっか……。拍がバンド……」
息子の驚愕な事実を完全に呑み込むことができてないのか、母はいまだ唖然としたままだった。
「ていうかお母さん」ハクは言った。
「……?」
「あっち行ってもいい? ずっとここに立ってるのきつい……」
「……ああうん、ごめんずっとそこに立たせたままで。早くあっちで暖まらないとね。――ああえーと、暖房付けなきゃ」
そう言って、母は慌ててリビングの方へと向かっていく。
自分も靴を脱いでリビングに向かった。荷物を置くと、今度は手を洗うため洗面所へと移動する。
「お母さん今帰ってきたー?」
手を洗いながら、声を張り上げる。
「………?」
しかし母からの返事が返ってこない。再度大きな声を上げようとしたその時――
「きゃぁぁぁぁ!!!」
母の叫び声。床をドスドスと走る音。
その両方が耳元に届いて、思わず身震いした。
急いで自分も母の元へと向かうと、
「ごめん……」
大層しょぼくれた表情で、母は自分にそう謝ってきたのである。
久しぶりの投稿ですね。
少し第二幕の内容に納得がいかず、二度三度修正を重ねていました。
お待たせしてしまって申し訳ないです。




