ボーナス① withモーツァルト
べつに見なくても大丈夫です。
――いい曲だった。これ本当に君が作ったの?
とある休日。それはもう、かなり昔に思えるくらい前のこと。
あの時あの人に言われた言葉が、日をまたいだ今になっても頭の中から離れない。
その言葉を反芻するたびに、今まで経験もないような興奮と多幸感に包まれる。
勝手に口角が上がっていくような気がして、ふと電源がついてない携帯のスクリーンを鏡代わりに見つめた。
「――あああーっ」
出来ごころで見たつもりの自分の顔はあまりに気持ち悪くて、思わずハクは布団の中に潜り込むと声にならない声で叫んだ。
〈うれしいんだろう、きっと。
人にあんなこと言われたの初めてだった。
本当に。
今まで否定されてばっかだった。
――変われ。変われ。
そんなことばかり言われてきて、いつも自分じゃない、ほかの誰かになるように教え込まれて育ってきた。
でも、あの人は違った。
認めてくれた。
自分が自分であっていいって。
ありのまま生きていいんだって。
そう思わせてくれた。
今も思う。あんなに感激するほど、あの曲はよかったのかって。
そもそも、あれが自分が作った曲だって自覚もあんまりないし。
んー……。
よくわかんない。
やっぱり、メロディだけだとなぁ〉
「あ……」
〈あの曲に、言葉が乗ったらどうなるんだろう。
もっと違う風に聴こえたりするのかな。
でも歌詞なんてつけたことないし。
そもそも歌に込めるようなメッセージなんて、自分には毛頭ない。そういうのは、世の中に
何かを訴えたいって日ごろから考えてる、すごく情熱的な人たちがやることだと思うし。自分には到底できそうにないなぁ。
………。
もう一度、あの人に褒められたい。
歌詞つけて、それでまたあの人に歌ったら……。
またすごいって、言ってくれるかな〉
「ちょっとだけ」
仰向けになっていたハクはベッドを離れ、すぐさま机の椅子に腰かけた。
適当に学校で使っているノートを取りだした後、筆箱から消しゴムとシャーペンを取り出す。
少し浮かれてしまう。あたかも自分が、本物の詩人になったような気がして。
その内、自然に歌詞の一つや二つくらい湧いてくるだろうと、最初はそう考えていた。
しかし時間は五分、十分、十五分と進んでいくだけで。
結局、これといったものは何もできなかった。
「やーめた!」
椅子を蹴って、勢いよくベッドに後退する。
もう頭の中はごちゃごちゃ。何も考えたくない。
こうしてる間も嫌気が差す。
理想と現実。
いつも先に来るのは、後者の方。まったく、十回に一度くらいは理想が叶ってほしいというものだ。
しかしそうした嫌気も、時間が経てば時期に収まってくる。
布団の上にうつ伏せのままだと、何だか気持ちいい。
段々と睡魔に侵される。
しかしそれに気づく気力も、今の自分にはなくて……。
知らず知らずのうちに、ハクは眠りについていた。
――チクッ、タクッ……
妙な音が自分の耳をくすぐる。
その音は、一定のリズムを刻み続け、まるで止まる予感がしない。
(時計……)
少し、家に置かれてある時計の音とは違う。ふとそんな違和感を感じて、ふと瞼を開けた。
「え………」
知らない場所だった。
思わず下を見る。寝ていたはずのベッドがそこにはない。
代わりに、赤い敷物があった。何だろうと思ってそれを手で摩ってみる。ザラザラしていて、少し変な感触だ。
(え、何……これ)
手の感触が気になって、思わずそれを握りしめる。その手を顔に近づけ確かめると、
「埃……?」
手の中にあるのは、大きな埃の塊だった。
もうろうとする意識の中、ハクは周りを見渡す。
まるで、どこかしらの家の地下にある作業場のようだ。それも現代的ではない。もっと昔にあるような感じの雰囲気。
奥に見える、高級感漂わせる漆黒色のグランドピアノはやけに目を引いた。
その時点で大体わかった。ここがどういう場所なのか。そもそも、ここは日本じゃない。
「ヨーロッパ……?」
地べたには、目に見えるほどの不気味な埃が散漫している。決して物が散らかっているわけではないが、辺りはものすごく汚く見える。
誰も使っていない部屋なのか。それとも、ただ掃除されていないだけなのか。
――いや……そんなことはさておき、だ。
「なんで、こんなとこに……」
原因を突き詰めようと考えてみたが、なぜか頭がぼんやりしているせいで思考が回らない。
とりあえず歩いて確かめよう。そう思ったハクは腰を上げ、足を一歩踏み出した。が――、
「わッ!」
一歩踏み出した先は、段差だった。ハクは埃だらけの赤いカーペットに向かって、正面から転び果てる。
「わ……汚い…」
服にしつこいほど埃がくっついてくる。これでは取るのにも時間がかかりそうだ。ああ、なんて面倒くさい。
「おい、少年」
服にびっしりついた埃を落とそうとした矢先、前方から声が聞こえた。
変だ。さっきまで誰一人として人はいなかったはずなのに――。




