二十七話 特別
――特別がいい。特別でありたい。
ずっと、そう思っていた。多分今よりも小さかったころからずっとずっと、無意識に考えていたこと。
『とくべつ』だから、みんなと違っていい。
無理に他人と合わせたりしなくていい。
みんなが外に出て運動してても、ぼくは教室の隅で一人本を読む。
中学も一緒。みんなは受験に勤しんでいるけど、ぼくは一人音楽に耽り、あるいは考え事をしたり。
ただ自分を見る。自分という人間を知る。
たとえば何が好きだとか、逆に何が嫌いかとか。
自分はいったい何に向いているんだろう? そして何が向いてない?
生活している中で、ずっと意識しているとおのずとそれがわかってくる。
おれは人と関わるのが苦手なんだな。人と関わるってことは人と合わせなきゃいけない。自分はそれが嫌いみたいだ。
目立つことも、嫌い。苦手だ。
人前に立つと緊張する。口が言うことを聞かない。段々、息がしずらくなって。なぜだか喉が詰まりそうで咳をしたくなる。だめだ、みんなが見てる。みんなの前で咳なんかしたらきっと笑われる。そう思って我慢したら、もっときつくなる。苦しくて口から声が出ない。誰か助けて! そうだ、先生――
先生は真顔でぼくを見ていた。こころの中で『気づいて』って、いくら叫んでも先生の表情は何一つ変わらなかった。
なんでわかってくれないの?
恥だけかいて授業を終えると、今さら先生がやってきた。
苦しかった自分を慰めてくれるのかな――そんな願いは、一瞬にして砕け散った。
「次はもっと落ち着いた方がいいです。上手い人をもっと見習らいなさい」
返ってきたのはそんな言葉。
そんなの、自分でもわかってる。全然言ってほしい言葉じゃない。
上手い人を見習え? 簡単に言ってくれるさ。自分はあの人とは違うんだから。そんなのできっこない。
しょうがないじゃないか。自分は人前で話すのが苦手なんだから。そう、向いてないんだから。
人はみんな違う。違って当然。
話すことは当たり前のことじゃない。それも才能……。
でもぼくは別に、その人たちを羨ましいなんて思わない。
だってぼくには、ぼくにしかない得意なことがあるから。
考えるのが得意なんだ。くだらないことから、みんなが考えないようなずっと深いことまで、答えが見つかるまでひたすらに考え続けることが。
すると、自分にしか見えない何かが見えてくる。それは『気づき』かもしれないし、『興奮』かもしれないし、『哲学』や『美学』かもしれない。
考えると、自分が見えてくる。それが楽しくてしょうがない。自分は今、すごく人とは違う特別な人間なんだって思えるから。
けど、違った。世間は――社会はそんなこと全然褒めてくれなくて。
「友達をつくるべきだ」「人前で話せるようになるべきだ」「自信満々であるべきだ」「人やさしくするべきだ」「苦手なことは努力して直すべきだ」「勉強をするべきだ」「十年後の将来を考えるべきだ」「大人になれ、もうおまえは子どもじゃないんだ」「我慢しなさい」「いい成績を取りなさい」「つらいことも耐えるんだ」「好きなことばかりするな」「もっと周りを見ろ」「変わるんだ」「資格を取りなさい、きっと将来の役に立つ」「アルバイトをしなさい」「早く自立しなさい」「大学に行きなさい」「就職して自立しなさい」「お金を稼ぎなさい」「親孝行をすべきだ」「生みの親に感謝しなさい」
大人やほかのみんなから、そんなことを言われてきた。
知ったことか。そんなことできるわけがないじゃないか。それは、自分が自分でいちゃダメってことなのか。なら、ぼくっていらない存在? 生まれてこなきゃよかった?
自分はそれを、いとも簡単に拒絶した。
だって嫌だから。得意じゃない、おれには向いてないことだから聞く必要なんてない。
『特別』って、なんて便利な言葉なんだろう。
自分は特別だからって思うだけで、周りのことなんてどうだっていいって思えるんだ。自分が一番正しいんだって。
『特別』という魔法の言葉を使って、自分はあらゆることから逃げてきた。
――そう、『特別』は言い訳だったんだ。
実際、ぼくなんか特別でもなんでもない。
人に必要とされることなんてないし、むしろ今まで役立たずだとか邪魔だとかそういう目で見られてきた。
ぼくがいくら、自分が特別だって叫んでも誰も反応してくれない。
気づいたんだ。ぼくは何でもない、ただのゴミと同じ人間なんだって。
十数年生きてきてやっと理解できたことがある。
結局、他人に都合がいいって思われないと人は必要とされない。
学校も会社も、社会や国だってみんなそう。
みんなの理想と欲望の下でやりくりした方が『良い人間』だって思われる。
だからみんな先生や親が言った通り勉強するし、就職したり高いカネ払って大学に進学したりする。
要するに、おれみたいな奴はクズってことだ。
ここまで来たら貫くしかないだろう。自分の好きなことだけ、得意なことだけひたすらやり続けていく。みんながやっちゃいけない、やったら将来終わるって思ってるようなこと。
実際そうだった。気づいたら、みんなに置いてきぼりにされていた。
そして、自分には何もないんだって気づかされた。
何もないのは、自分が嫌なことから目を背けて生きてきたからだって。
人って何だろう。
特別じゃいけないの? 人と違ってちゃいけないの?
結局、みんな同じようにしなきゃいけないの?
立派って何? 自立って何?
別に考えたって結局時間の無駄。だって最終的に行き着くのは虚無でしかないんだから。
ああ、なんて皮肉なんだ。考えても何も起こらないなんて。
幸せになんかなれやしない。おれは誰にも必要とされないんだ。
「ねえハク」すみれは言った。とても落ち着きのある声だった。「音楽、好き?」
何かと思えばまたそんなことを。
「さっき言ってたじゃないですか、ぼくはもう音楽をやらなくていいって」
「違う。そうじゃない」
すみれは、首を横に振って否定する。
「音楽は好き?」
「………」ようやく、ハクは質問のはき違えに気づいた。「……好きです。でもそれは――」
「ならよかった。私は今も変わらないよ。あの日、音楽室で聴いた時から何も変わってない」
ハクが疑問を口にしようと思ったころには、すみれはもうすでに口を開いていた。
「私羨ましいって思ったんだ、あの時」
「羨ましい……?」
すみれの一言は、あまりに予想外だった。
「ハクが口ずさんだ曲、本当にいい曲だなぁってこころの底から思ったの。どうしてそんなに素敵なメロディ思い浮かんじゃうだろうって不思議でたまらなかった。私には絶対できないなあって。その時ね、私ってただ楽器弾けるだけじゃんって思っちゃって。目の前の、ハクの誰にもできないような曲作りに比べたら、私のしてることなんて全然大したことないって。そりゃあ周りからしたらさ、私の方がすごく見えてるかもしれないよ。でもそれはただわかりやすいから。おかしいよね、私からしたら、ただ手を動かしてるだけなのに、みんなそれで『天才天才』って言ってくるんだもん。全然天才なんかじゃないっていうのにね。ピアノ弾いてる人なんていっぱいいるし、私より上手いピアノ弾きなんて広い世界に出たらごろごろいるはず。ハクの方がよっぽどすごい。ハクの作る曲を作れる人は世界で一人、ハクだけだよ。世界で唯一無二の存在。そしていつか私のほかにも、ハクの才能を認める人が現れるんだよ。ハクのことを『天才』だっていう人たちが」
「………」
〈すみれさんが今口にしていることは慰めでしかなくて、突っ込みどころしかなくて――すぐに誇張して話をしているって気づくくらい、とんでもなく無根拠な戯言だって頭では理解していた。
――でも、どうしてだろう。どうして、こんなにうれしいんだろう。
まるで自分が今まで一番言ってほしかった言葉を言われたような気持ちだ。
もうそれだけでずっとこころが救われたような気がした。
すみれさん、やっぱりうまいなぁ、人を褒めるの。
おれはこの人にずっとずっと騙されながら生きていくんだろうなぁ、きっと……〉
「私は諦めようなんて思ってない。絶対に、ハクは部活に戻れるって戻るべき存在なんだってみんなが認めるときが必ず来るって信じてるから」
「ふふっ」
突然、ハクは笑いをこぼし始めた。
「………?」
すみれは首を横に傾げながら、そんなハクのことを不思議そうに見ている。
ハクはいよいよ堪えることを諦め、やがて「はっはっは」と盛大に笑い始めた。
「どうしたの……ハク?」
そんなハクの様子を見て、すみれはかなり唖然としていた。
「すいません。ついおかしくなっちゃって」
笑いを抑え、再び真面目な表情に戻す。
「なんか、すみれさんの話聞いてたら、自分が考えてたこととか、もうどうでも良くなってきました。……ありがとうございます、すみれさん。ぼく、ちょっと思いつめ過ぎてたみたいです」
そんなつもりで言ったわけではなかったのだろう。すみれは意外そうに、瞳を大きく見開いていた。
「……そう。ならよかった」
「まぁ、部活には戻ろうって気はないですけどね。いや、そもそも戻れないか」
「うん、いいよそれで。無理しなくて」
すみれは微笑まし気に頬をすっと緩ませる。ハクもそれを見た途端に、自然と笑顔がこみ上げてきた。




