二十三話 奮起
「その……あいつ昨日辞めた。この部」
そう告げられた瞬間、頭が一瞬にして真っ白になった。
彼が一瞬何を言っているのかわからなくなって。
「辞めた………?」
――なんで、なんで……
「なんで!? 智也がそう唆したの……!? ハクが退部するように!?」
「違う! あいつからおれに『辞めます』って言ってきたんだよ」
「………!」すみれは思わず目を見張った。「ハクから……!?」
「そうだ。おれは昨日あの後言おうとしてたんだ。歌は確実に良くなったから今は落ち込まずにこれから練習していけばいいって。でもあいつはおれを遮って、退部するって……急にそう言ってきたんだよ」
だから自分は悪くない――それが智也の言い分らしい。
自分からしてみれば、かなり言い訳がましい聞こえようだった。
だが同時に、完全に智也が悪いと――そう彼を一向に責め立てることもできなかった。
たとえそれが言い訳だったとしても、ハクが自分でそう言ってきたのだったら誰だってそう言いたくなる気持ちも理解できる。
そして話が繋がる。彼がメールを返してこなかった理由がそこにあったのだと。
すみれは蒼白な表情を浮かべ、やがて口を開く。
「私、もうここにいる意味ない……。元々ハクと一緒に音楽やるために部活入ったのに、そのハクが抜けたって言うなら私もこの部活辞める――」
「それはないぜ」
智也は遮るように口を挟んだ。
「おまえの気持ちもわかるけどな、せっかくここまで練習積み重ねてきたっていうのにここでいきなり放棄なんて、無責任にもほどがあるだろ。おれたちのことちゃんと考えろよ」
智也の言いたいことはごもっともなことだと、すみれは思った。
しかし、自分は今まで『ハクと一緒に音楽をするため』にやってきたのだ。
ハクが一時的に部活に来なかったときだって、その目的があったから彼の言う通り練習に付き合ってあげた。
だが、そのハクはもういない。部活を辞めてしまった。
だからもう、自分がここに残って彼らと一緒に音楽をする意味など、まったく持ってないのだ。
「ごめん。やる意味もないのに続けようなんて思えない。だから私も――」
――退部する、そう告げようとした矢先だった。
「吹奏楽のときもおまえはそうやって辞めていったのか?」
思ってもいなかった不意打ち。
その言葉を言われた時、なぜか胸が痛かった。
自分でも不思議だった。
なぜ私はここまで、この言葉に動揺しているのだろうかと。
「無責任だな、おまえは。他人のことなんてまったく考えずにそんなこと言ってんだろ。そりゃあ、みんなに憎まれるわ」
違う。
「そんな態度ずっと貫いてたら、おまえきっといつか痛い目見るぜ。集団に馴染めないで一人ぼっち。おまえ助けようとする奴なんて絶対現れねえ。おまえはみんなに――
――嫉妬されてんだよ。
なんであんな奴が才能持ってるんだろうってみんな思ってる。まあ周りはおまえにこき使っていい態度で接してるかもしれねえけどな。こころんなかじゃみんなおまえを邪魔者扱いしてんだよ」
……違う。
「おまえは自分の立場がわかってねえんだよ。だからおまえは他人にいつも偉そうにする。なあ知ってるかすみれ、おれたちおまえより年上なんだぜ。なのにおまえは初めて会ったときからいきなりおれたちにため口叩いてきた。いったい何様なんだよおまえは。才能があるからって偉そうにし過ぎなんだよ。もっと周りを見ろよ。責任持てよ。ちゃんと自分が周りに迷惑かけてるって自覚しろよ」
「違う………」
すみれは囁くように、声を漏らした。
「さっきから偉そうだの無責任だの、人のこと何もわからないのになんでそんなわかったようなこと言えるの……? 私のことそんな前から知ってる? 知り合ってまだ全然でしょ。こうして一緒に行動したのもほとんど一瞬。なのに、それで人の何がわかるっていうの。私が何を考えてるとか何に悩んでるとかどれに価値を置いてるかとか、全部わかんないよね? 智也は私のこと何も知らない」
「だからおまえのその無責任な行動が許されるって言うのかよ」
智也は若干すみれに気圧されながらも、自分の言ったことは間違っていないと言わんばかりに声を張って、彼女に問うた。
「智也も同じだよ。私と同じ無責任な人」
「は?」
意味が分からないと、智也は目を丸くする。
「私は最初から、ハクと音楽するためにこの部に入るって言ってた。ハクをここから遠ざけたのも、私に練習につき添わせるようにしたのも全部智也。そんな状況で練習させた時間を勝手に私が退部できない理由にして……気づいてる? あなたも十分無責任ってこと……智也」
智也はすぐに言い返して来たりすることはなく、ただただ唖然とした表情ですみれを見ていた。おそらく、自分でもこころ辺りがあったんじゃないか。
このままそれぞれの意見を主張し合って、どちらが正しいか議論し合うことはできる。
しかし、すみれはそれを拒んだ。
自分はそんな子どもみたいなことがしたいわけじゃない。
ちゃんと言われたことの一部は認めるし、お互い主張をすり合わせながら話し合いをするべきだと、そうわきまえているつもりだった。
けれど自分はまた、相手の意見を完全にのみ込めるほど大人でもなかった。
私が言っていることは正しい。そればっかりを思ってしまって。
「……じゃあ、どうすんだよ。おまえは結局抜けるのか?」
「うん。いても意味ないし」
「おまえが抜けたらこの部、無くなるんだぞ」
「新しい人連れてこればいいじゃん」
「そんな簡単にできるわけないだろそんなこと。また無責任なこと言いやがって」
智也は下を向いて呆れるように「はぁ」と、一回大きなため息を挟んだ。すぐに顔を上げ、やがて真剣な目つきですみれを見た。
「罪悪感はないのか? 部が無くなるっていうのに」
「別にないわけじゃない。ただ天秤にかけただけ」
「天秤ってハクのことか? なら言っておくが、あいつはきっと悲しむと思うぞ」
すみれは眉根を上げた。反射的に「なんで?」と聞き返していた。
「まあ、自分のせいで部活がなくなったって自分を責めるだろうな。最悪、学校に来なくなるかもな」
「………」
それは今まで、自分にばかり目がいってしまっていたこと。そして、周囲の問題をまったく見過ごしてしまっていたことに気づかされた言葉だった。
ハクは今、何を思っているのだろう。
悲しみ? 怒りか? それとも罪悪感だろうか?
いや、もっと大事なことが抜けている気がする……。ハクが一番に感じているかしれなくて、かつ自分が最も恐れていること……
「――!」
気づいた。
ハクが――彼が今思っているのは『音楽』を自分がやることに対する絶対的な失望と諦めだ。
ハクはもう音楽をしようなんて思わないかもしれない。今後一生ずっと。
そんなの、嫌だ。
(私のせいだ)
「わかった。部活に残る、私」
いきなり主張を変えたすみれに、智也は目を見開いた。
「でも目的は変わらない。私はハクと音楽するためにここに残る。そして絶対、私はハクをもう一度ここへ連れてくる」
「ああ、わかった。おまえの好きにすればいい」
智也は納得したようにそう返事をした。
絶対にハクをここへ復帰させてみせる――すみれは固くこころに刻んだ。
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