第24話:『黒呪の剛力鬼』解き放たる!
第23話では、シオンの『神授の聖眼』による魔導金庫の一瞬解錠チート、そしてフィオナの通信術式による王都への証拠転送で、悪徳商人ゴルドの完全犯罪を完膚なきまでに打ち砕く痛快な舌戦をお届けいたしました。
しかし、全てを失い発狂したゴルドが解き放ったのは、魔族の生ける殺戮兵器――『黒呪の剛力鬼』!
第24話では、『黒呪の剛力鬼』とのバトルとなります。
どうぞお楽しみください。
ドォォォォォォォォンッッッ……!!
猛烈な爆炎と黒煙が、地下大空洞の天井を焦がしながら渦を巻いて吹き荒れた。
吹き飛ばされた神鉄の格子の破片が、小銃の弾丸のように岩壁へと突き刺さり、パラパラと無数の鍾乳石が頭上から崩落していく。
その白煙の奥底から漂ってきたのは、鼻孔の奥を直撃する、吐き気を催すほどの生々しい血の匂い。
そして――肌の表面をピリピリと刺し、肺腑をドス黒く締め付けるような、凶悪極まりない悪魔の瘴気だった。
ズゥゥゥゥゥン……!
ズゥゥゥゥゥン……!
一歩、足が踏み出されるたびに、何十トンもの鉄塊を落としたかのような地鳴りが響く。
立ち込める煙を太い腕で乱暴に薙ぎ払い、姿を現したのは――体長四メートルを優に超える、紫黒色の異様な巨躯だった。
全身の筋繊維は、皮膚を内側から食い破らんばかりに異常隆起し、血管の代わりに紫黒の光を放つおぞましい呪印が全身にびっしりと張り巡らされている。
額からはねじ曲がった太い二本の角が生え、その爛々と発光する真紅の双眸には、理性のかけらすら存在しない。
ただ目の前にある生けるものすべてを肉片に変えることだけを渇望する、生ける殺戮兵器――『黒呪の剛力鬼』。
その丸太のような右手には、大人の胴回りほどもあるトゲ付きの巨大鉄棍が、冷酷な光を放ちながら握りしめられていた。
「ヒャハハハハ! やれ! やれェェッ、剛力鬼!」
崩落した鉄扉の瓦礫の陰から、商人ゴルドの狂乱の喚き声が木霊した。
「そいつらを挽き肉にしろ! 骨の一片まで叩き潰してしまえ! おい、お前たち、ワシに続け! 裏の抜け道から地上へ出るぞ!」
ゴルドは残った私設傭兵の生き残り数名を引き連れ、混乱に乗じて倉庫の奥の非常脱出坑道へと逃げ込み始めた。
「逃がすわけには――」
フィオナが杖を向けようとした、その瞬間だった。
『――オオオオオオオオオォォォォォォッッッ!!』
オーガの喉奥から放たれたのは、大気を直接揺るがす狂気の咆哮だった。
怪物は逃げる雇い主など歯牙にもかけず、その血走った紅蓮の眼球を、正面に立つシオンへと完全にロックした。
ドッッ!と地面が弾け飛ぶ。
四メートルを超える巨躯からは信じられない、爆発的な初速。
突進の風圧だけで穀物の麻袋が何十袋も吹き飛び、オーガは右手の大鉄棍を天高く振り上げた。
刀身ならぬ鉄棍の全身に、体表の呪印から吸い上げられた紫黒の魔炎がメラメラと噴き上がる。
――凶悪奥義『黒呪・獄門粉砕撃』。
「シオン、避けてぇぇぇーーッ!!」
フィオナの悲鳴のような絶叫が響く。
避ける――?
シオンの思考速度が、極限まで跳ね上がる。
目の前に振り下ろされようとしているのは、触れるものすべてを消滅させる超質量の暴力。
自分ひとりであれば、ルシアン師匠直伝の水のような足捌きで、半歩横へ滑り込めば紙一重でかわすことができる。
だが――。
シオンは背後を一瞥した。
そこには、フィオナが展開した『氷華の三重聖壁』の中で、震えながら身を寄せ合う数十名の町民たち。
そして、自分を信じて「おにいちゃん」と手を伸ばしてくれた、あの幼い少女の姿があった。
もし自分がここを飛び退けば、この猛烈な一撃と余波の衝撃波は、氷壁ごと後ろの人々を粉砕し、跡形もなく消し去ってしまう。
(避けるわけには、いかない……!)
シオンの奥歯がギリリと軋んだ。
心優しき少年の胸にあるのは、恐怖ではない。
誰かの温かな日常を絶対に奪わせないという、鋼の覚悟。
「ふぅぅぅぅぅ……っ!」
息を吐き出し、丹田に力を込める。
シオンは白銀の神授太刀『聖天神刀・神威』を両手で握り、刃の峰を斜め四十度に掲げた。
正面から受け止めるのではない。相手の超質量のベクトルを、わずかでも天へと逸らす――シルヴァンス流・防の型『水天受け』!
そして、死の鉄棍がシオンの頭上へと叩きつけられた。
ドガァァァァァァァァァァァァンッッッ!!
空気が破裂した。
直撃の瞬間、鼓膜を劈く金属摩擦音と、大地がへし折れるような轟音がホールを満たす。
足元の頑丈な白銀石畳が放射状に爆砕し、直径十メートルにわたる大陥没が瞬時に穿たれた。
太刀の峰を通して、シオンの両腕へと伝わったのは――山そのものが降ってきたかのような、言語を絶する超質量。
「ぐ、あああぁぁぁっ……!?」
受け流しきれない。
相手の筋力は、生物の限界を遥かに超越していた。
筋肉が断裂しようが、骨が軋もうが、痛覚を持たない怪物は筋繊維の限界を超えた出力を強制的に叩き込み続けているのだ。
太刀の峰を滑り落ちるはずの衝撃波が、シオンの防御を突き抜け、肉体の内側へと直接叩き込まれた。
メキメキッ……!と両腕の骨が悲鳴を上げ、衝撃の余波が肺腑を押し潰す。
ドッッッ!!
「がはっ……!?」
シオンの身体が、紙屑のように後方へと弾き飛ばされた。
十メートル、二十メートル――宙を舞ったシオンの背中が、神殿倉庫の頑丈な岩壁へと凄まじい勢いで激突する。
ズドォォォォンッ!
岩壁に蜘蛛の巣状の巨大な亀裂が走り、崩れ落ちた岩の破片がシオンの頭上からバラバラと降り注ぐ。
シオンは地面へと膝から崩れ落ち、その口端から、ドロリとした鮮紅の血が吐き出された。
「ゴホッ……! ゲホッ、が……っ!」
視界が白く明滅する。
肺に空気が入ってこない。肋骨にヒビが入り、内臓が激しく焼けるように痛む。
今まで対峙してきた魔物とは、桁が違っていた。
神授の聖炎すら纏う暇を与えない、純粋無雑にして規格外の暴力。
「シオンッッ!!」
フィオナの絶叫がホールを裂いた。
氷壁の陰から、町民たちの悲鳴が響き渡る。
「お兄ちゃん!」「嘘でしょ、あんなに強い子が……!」「私たちのために、逃げてぇぇっ!」
シオンの胸ポケットから、純白の子狐イリスが必死に這い出してきた。
紫水晶の瞳から大粒の涙をポロポロと零しながら、シオンの血に濡れた顎や頬を、小さな温かな舌で何度も何度も必死に舐め上げる。
『きゅうぅぅ……! くぅぅん……! シオン、シオン……っ!』
「……ごめん、イリス。痛い思い、させちゃったね……」
シオンは震える右手で、イリスの小さな頭を優しく撫でた。
激痛に霞む視界の中で、シオンは胸元のペンダントに触れた。
師ルシアンの、穏やかで温かな笑顔が脳裏に蘇る。
――『シオン。太刀とは水だ。だがな、時には水も、岩を穿つ激流とならねばならん。大切な誰かの明日を守るためなら、泥を啜ってでも立ち上がれ』
(……そうだ。ここで僕が倒れたら、あの子たちの明日は来ない)
シオンは壁に手をつき、グラつく膝に渾身の力を込めた。
ズキズキと全身の神経が警報を鳴らし、吐き出す息に血の匂いが混じる。
それでも――シオンは、立ち上がった。
太刀の切っ先を地面から引き上げ、再び両手で構え直す。
『――グルルルルァァ……!』
オーガが、獲物がまだ息をしていることに苛立ちを覚えたように、喉を鳴らした。
巨躯を揺らし、ずしり、ずしりと歩み寄ってくる。
だが、シオンはただ耐えていたわけではなかった。
少年の左眼の奥底――『神授の聖眼』が、極限の集中によって、かつてないほどの青氷の極光を放ち始めていた。
(観察しろ……! あの怪物は、なぜ筋肉が千切れない? なぜあれほどの質量を無尽蔵に振り回せる……!?)
シオンの聖眼の視界の中で、迫り来るオーガの肉体が、骨格、筋肉、そして魔力循環の構造体として完全に分解・透視されていく。
見えた。
全身の筋繊維は、すでに先ほどの一撃の反動で無数に断裂していた。
普通の生物であれば、激痛で悶絶し、二度と腕を上げることすらできないほどの肉体崩壊。
それなのに、怪物は平然と鉄棍を引きずって歩いている。
(痛覚がないんじゃない。……強制的に、痛覚の神経信号が遮断されているんだ。そして、壊れた筋肉を無理やり繋ぎ止め、限界を超えて駆動させている【魔力の供給源】がある……!)
シオンの視線が、オーガの全身を駆け巡る紫黒の光脈を逆流するように辿っていく。
四肢から胴体へ。
胴体から脊髄へ。
そして――。
(……あった!!)
シオンの瞳に、確信の光が宿った。
オーガの分厚い首の後ろ。
頭蓋骨と頸椎が交差する、硬質な皮膚の窪み。
そこに、魔族特有の禍々しい【紫黒の暴走呪印】が、生きた毒虫のように脈打ちながら、脊髄へと直接根を張っていたのだ。
(あの呪印が、痛覚を麻痺させ、脳に疑似的な狂乱魔力を流し込み続けている心臓部だ! 全身の硬い装甲を叩く必要はない。あの首の後ろの呪印さえ両断すれば、暴走は止まる……!)
パズルのピースは、揃った。
しかし――敵もまた、シオンのただならぬ気迫を察知していた。
『――オォォォォォォォォッッ!!』
オーガが足を止め、大きく胸を反らせた。
全身の呪印が赤黒く沸騰し、喉奥に圧縮された魔力が爆発的な衝撃波となって全方位へ解き放たれる!
――咆哮奥義『狂血咆哮』!!
ドバババババッッ!!
大気を震わせる超高周波の絶叫が、シオンの鼓膜を叩き、足元の石畳を吹き飛ばす。
内臓を直接揺さぶられるような衝撃に、シオンの呼吸が一瞬止まり、踏みしめた足がわずかに地面から浮いた。
その、わずかコンマ数秒の隙。
オーガの巨躯が、地を蹴った。
ズガァァァンッ!と床を爆砕し、四メートルもの巨体が、天井スレスレの高みへと垂直跳躍。
ホールの天井を覆う闇を背負い、巨大な鉄棍を両手で振りかぶった怪物が、重力と落下の全エネルギーを上乗せして、シオンの頭上へと真っ逆さまに急降下してくる――!
逃げられない。
咆哮の余波で身体の自由がコンマ数秒奪われ、足元は瓦礫で崩れている。
直撃すれば、今度こそ肉体ごと消滅する――!
だが、その時だった。
「――シオンを、死なせないィィィィッッ!!」
凛とした、魂の底からの叫びが響き渡った。
氷壁の中から飛び出したフィオナが、泥にまみれた魔導ローブを翻し、シオンの眼前へと躍り出たのだ。
その手にある黒壇の魔導杖の宝珠が、かつてないほどの超高密度な真紅の光を放ち、周囲の大気が一瞬で発火する。
「私のバディに……手を出んじゃないわよ、このデカブツがぁぁぁぁッッ!!」
フィオナの全魔力が、解き放たれる。
シオンの頭上へ、天を突くような紅蓮の業火が立ち上り、迫り来る死の鉄棍を迎え撃つ――!
次回、第25話では、いよいよシオンとフィオナの二人の絆が奇跡を起こします!
どうぞお楽しみに。




