第23話:神授の聖眼、裏帳簿の看破と商人ゴルドの退路遮断
第22話では、暴かれた闇倉庫の何千トンもの穀物、そして魔族へ生贄として売られる寸前だった子どもたちの牢獄という、ゴルド商会の底知れぬ悪意が露わになりました。
第23話もお楽しみください。
ズドォォォォンッ……!と地響きを立てて崩れ落ちた鉄扉の残骸。
立ち込める白煙と土煙を押し分けるようにして、赤々と揺れる数十本の松明の炎が、地下大空洞の闇を血のような朱色に染め上げていた。
「ヒャハハハハ! 自警団のネズミかと思えば、ガキが二人きりとはな!」
下卑た脂ぎった嘲笑を響かせ、肥え太った体躯を揺らしながら歩み出てきたのは、最高級の白銀狐の毛皮マントを羽織った男――宿場町ベルンを牛耳る悪徳商人、ゴルドだった。
その十本の指には、町民たちから巻き上げた血税を象徴するかのように、大粒の宝石が嵌め込まれた黄金の指輪がギラギラと輝いている。
ゴルドの背後には、幅広の肉切り包丁やギザギザの曲刀を手にした、凶悪な人相の私設傭兵団が三十名以上、出口を完全に塞ぐようにしてズラリと立ち並んでいた。
「ひっ……! ご、ゴルド……!」
「あ、悪魔め……!」
シオンの背後で、牢から解放されたばかりの町民たちが、恐怖と憎悪に身体を震わせる。
先ほどシオンが手を包み込んだ幼い少女が、怯えてシオンのズボンの裾をギュッと握りしめた。
シオンは少女の小さな頭にそっと左手を置き、静かに前を見据えた。
その胸ポケットから、目を覚ました純白の子狐イリスがひょこりと顔を出し、侵入者たちの生臭い悪意に紫水晶の瞳を吊り上げ、「ふしゃぁーっ!」と愛らしくも鋭い威嚇の声を上げた。
「ほう? 愛らしいペットまで連れて、おままごとのピクニックか?」
ゴルドは黄金の杖で手のひらをポンと叩き、酷薄な笑みをその豚のような顔に張り付かせた。
「せっかくネズミ穴から迷宮を抜けてここまで辿り着いたというのに、運のない奴らだ。……おい、野郎ども! 入り口の通路に樽の油をぶち撒けろ!」
「へへっ、承知!」
屈強な傭兵たちが、油の染み込んだ木樽を次々と転がし、唯一の退路であった崩落口の周辺へ黒い油を撒き散らしていく。
刺激的な油の臭気が、鼻腔をツンと突いた。
「何をする気よ……!?」
フィオナが黒壇の杖を構え、鋭く眉を吊り上げる。
「何をするかだと? 決まっているだろうが!」
ゴルドは醜い顔を歪め、唾を飛ばしながら下品に吠えた。
「穀物の山を見られ、売り物の生贄どもを牢から出された以上、貴様らを生かして帰すわけにはいかんのだよ! 奥の金庫に眠る帳簿も、この数千トンの穀物も、そして貴様ら全員もろとも――炎で焼き尽くして灰にしてやる! 迷宮の落盤と出火による事故死だと代官に証言させれば、すべては灰燼に帰して完全犯罪だ! ワハハハハハ!」
「……自らの罪を隠すために、この膨大な食糧を焼き払い、これだけの人命を焼き殺すと?」
シオンの声は、どこまでも静かだった。
だが、その声の底に沈む絶対零度の冷徹さに、前列にいた傭兵の数人が思わずピクリと足を止めた。
「はんっ! 飢え死に寸前の虫ケラどもが何十人死のうが、ワシの財産と商会の信用に比べれば塵芥に等しいわ! おい傭兵ども、まずあの生意気なガキの首を刎ねろ! 一人殺すごとに金貨十枚のボーナスだッ!」
「オオオォォッ!」
金に目を眩ませた傭兵たちが、抜き身の刃をギラつかせて一斉に足を踏み出そうとした――まさにその刹那。
「フィオナさん! 町民の皆さんを守ってください!」
「任せなさい! 『氷華の三重聖壁』ッッ!」
フィオナが杖を地面へ突き立てると同時、絶対零度の冷気暴風が吹き荒れ、町民たちを取り囲むようにして分厚い氷の防壁が瞬時にそびえ立った。
傭兵たちが冷気に気圧されて足を止めた、わずかコンマ五秒の隙。
シオンの身体は、すでに広場の岩壁――あの巨大な黒鉄の金庫の前へと疾走していた。
「なっ……!? あいつ、金庫へ逃げたぞ!」
「ハッ、無駄だ無駄だ!」
ゴルドが腹を抱えて嘲笑する。
「その金庫は、王立魔導学院の元教授に大金を積んで特注させた、至高の三重魔導錠前よ! 触れた者の魔力を逆流させて焼き殺す致死の呪詛トラップが仕掛けてある! 力任せに叩けば爆発して貴様がミンチになるだけだわッ!」
「シオン、下がって!」
氷壁の中からフィオナが叫んだ。
「その金庫の術式、王立魔導学院の秘匿暗号術だわ! 第一層の術式を逆算して、第二層の反転位相を解いて……私の全魔力で術式解体式を組んでも、最低十分はかかる! 無理に触っちゃダメ――」
だが、シオンは下がらなかった。
金庫の扉に刻まれた、毒々しい紫黒の魔力で脈打つ複雑怪奇な幾何学模様。
その前に立ったシオンの左眼に、スッと青氷と白銀の光脈が灯った。
――『神授の聖眼』。
シオンの視界の中で、金庫の分厚い鉄扉が完全に透き通った。
張り巡らされた魔力の循環ライン。
触れた者を焼き殺す致死の呪詛ボルト。
そして――何百もの歯車と魔力結節点が複雑に絡み合う迷宮のような構造の、たった三箇所。
(第一層の吸収反転回路。接合部の魔力が切り替わる、わずかな淀み)
(第二層の物理閂。魔導石の共鳴周波数の交差点)
(第三層の致死トラップ。信管となる術式核の、針の穴ほどの隙間――)
シオンの思考は、研ぎ澄まされた刃のように静止していた。
知恵のパズルを解くのではない。
魚の骨の継ぎ目に包丁の刃を滑り込ませるように。
硬い肉の筋繊維の隙間へ、最短の角度で刃先を導くように。
チャキン……。
シオンは神授太刀『聖天神刀・神威』を、わずか三寸だけ鞘から滑らせた。
そして――。
ト、ト、トンッ。
神速の刺突が、目にも留まらぬ三連の残像となって金庫の鍵穴とレリーフの隙間を撫でた。
「え……?」
フィオナが言葉を失った。
解読に十分を要すると言った最高難度の魔導トラップが、発動の火花すら散らすことなく、光を失って静かに沈黙したのだ。
カチリ。
カチリ。
――ガコンッッ!!
重厚な真鍮の歯車が噛み合う小気味よい音が響き、絶対に開かないはずの黒鉄の金庫扉が、音もなく跳ね上がった。
所要時間――わずか、コンマ二秒。
「う、嘘でしょ……!? 解読式も組まずに……一瞬で、核だけを突いて全解除したの……!?」
フィオナが顎が外れそうなほど口を開けて硬直した。
「な……ななな、何が起きたァァァッ!?」
ゴルドの肥満した顔から血の気がサーッと引き、突き出た顎がガクガクと激しく震え出す。
シオンは金庫の中に手を差し入れ、整然と収められていた羊皮紙の束を掴み出した。
聖眼でパラパラと内容を走査する。
「……ありました」
シオンは冷徹な眼光のまま、一枚目の分厚い帳簿を掲げた。
「宿場町ベルンへ運び込まれるはずだった穀物・小麦・家畜の総量と、ゴルド商会が買い占めた日時の全記録……『裏帳簿』です。これ一冊で、市場を意図的に飢餓に陥れた流通独占の罪が完全に立証されます」
「ひ、ぎっ……!?」
ゴルドの喉からカエルの潰れたような悲鳴が漏れた。
だが、シオンの手は止まらない。二枚目の朱色の印章が押された誓約書を広げる。
「そしてこちらは、ベルンの代官へ毎月支払われていた賄賂の金額と、代官本人の直筆署名が入った『賄賂受領書』。……公権力との癒着の決定的な証拠です」
「そ、それをどこで……! 返せ、今すぐワシに返せぇぇぇッ!」
ゴルドが目を血走らせて叫ぶが、シオンが引き抜いた三枚目の書類を見た瞬間、その場の空気が完全に凍りついた。
それは、人間の皮膚を鞣したかのような禍々しい紫黒の羊皮紙だった。
中央には、魔族軍大幹部『十禍』の血塗られた禍々しい刻印。
そして末尾には、ゴルド本人の血判が、生々しく捺されていたのだ。
「……『魔族軍直属・闇ギルドへの生贄提供に関する密約書』」
シオンの静かな朗読が、地下空洞の隅々にまで染み渡る。
「借金を返済できなくなった町の民、および身寄りのない孤児計四十二名を、明日の夜半、魔界へ通じる境界商人へ生贄奴隷として金貨五百枚で引き渡す……。ゴルドさん。これにも、あなたの血判が押されていますね」
「な……っ! あ、悪魔の密約書……!!」
氷壁の陰から、町民たちの慟哭と怒りの叫びが爆発した。
フィオナが氷壁から一歩踏み出し、黒壇の杖を天空へと掲げた。
杖の宝珠から、純白の光の粒子が幾重にも立ち上り、シオンが掲げる三枚の書類を立体的な映像としてスキャンしていく。
「王立魔導学院首席特待生、フィオナ・シルヴァンスの名において宣告します!」
フィオナの凛とした、威厳に満ちた声が響き渡る。その首元には、勇者一家の証である白銀のメダリオンが神々しく輝いていた。
「この全証拠の魔導写本は、今この瞬間、私の通信術式によって『王都中央監察局』および『王国軍本部』の特級アーカイブへと即時転送・保全されました! もう、燃やそうが破ろうが無駄よ! あなたたちの罪は、王国の歴史に永久に刻まれたわ!」
「ひ……ひぃぃぃぃぃぃっっ!!」
ゴルドは腰を抜かしてその場にへたり込んだ。
「し、シルヴァンス……!? あの大魔導士ミレイアの娘……本物の勇者の家系だと……!? ば、化け物め……! 何でそんな大物がこんな田舎の宿場町にいるんだァァァッ!!」
傭兵たちの間にも、目に見えて動揺と恐怖が広がっていく。
「お、おい……相手は勇者の娘だぞ……!」
「国軍に証拠が飛んだってことは、俺たちまで国家反逆罪で縛り首だ……!」
「やってられるか! 金どころの話じゃねぇぞ!」
武器を取り落とし、蜘蛛の子を散らすように後退し始める傭兵たち。
完全犯罪の目論見は完全に粉砕され、ゴルドの逃げ道は、法の上でも物理の上でも完全に塞がれたのだ。
だが――。
すべてを失った男の瞳に宿ったのは、反省でも後悔でもなかった。
「おのれ……おのれぇぇぇぇぇッ!!」
ゴルドは髪を振り乱し、口端から泡を吹きながら発狂したように立ち上がった。
その瞳は血走り、正気を完全に失った狂気に染まりきっている。
「ワシの財産が……ワシの商会が……! 許さん……許さんぞ虫ケラどもがァァッ! 証拠が届こうが知るか! 貴様らを八つ裂きにして、全員の首を魔族へ手土産に差し出して、ワシは魔界へ亡命してやるわぁぁぁッ!!」
ゴルドは懐から、禍々しい紫黒の宝石が埋め込まれた【遠隔起爆の魔導具】を引きずり出した。
シオンが「しまっ――」と踏み込もうとした、コンマ数秒の前。
カチリッ!と、ゴルドの親指がスイッチを底まで押し込んだ。
ドガァァァァァァァァンッッッ!!
闇倉庫の最深部――穀物の山のさらに奥、頑丈な神鉄の格子で幾重にも封印されていた巨大な洞窟の扉が、猛烈な爆炎と共に吹き飛んだ。
吹き荒れる爆風。
舞い散る鉄片の雨。
そして――爆煙の奥底から立ち上ってきたのは、今まで対峙したどの魔物とも比べ物にならない、吐き気を催すほど濃厚な血の匂いと、大気をドス黒く濁らせる圧倒的な悪魔の瘴気だった。
ズゥゥゥゥゥン……!
ズゥゥゥゥゥン……!
重厚な足音が一つ響くたびに、地下空洞の天井から鍾乳石がパラパラと崩落する。
暗闇の中から、二つの爛々と光る真紅の眼球が浮かび上がった。
『――グォォォォォォォォォォォォッッ!!』
地鳴りのような咆哮が、ホールの空気を衝撃波となって叩き割った。
爆煙を突き破って姿を現したのは――体長四メートルを超える、黒紫色の筋肉に覆われた悪夢の巨躯。
全身の皮膚には、血管のように脈打つ発光する呪印がびっしりと刻み込まれ、右手には大木ほどもあるトゲ付きの巨大鉄棍が握られていた。
――中ボス『黒呪の剛力鬼』。
痛覚を呪印によって完全に麻痺させられ、ただ敵を粉砕することだけに特化させられた、魔族の生ける殺戮兵器だった。
「ヒャハハハハ! 死ね! 全員ミンチになって死に晒せェェェッ!(これで、全員終わりだぁぁぁ!!)」
狂笑するゴルドを背に、怪物は血に飢えた紅蓮の瞳でシオンを捕捉した。
シオンは静かに、しかし力強く太刀を正眼に構えた。
胸ポケットの中で、イリスが小さな爪を立ててシオンの服を握りしめている。
背後には、震えながら自分を信じて見つめる町民たちと、子どもたち。
「……フィオナさん。町民の皆さんから、絶対に離れないでください」
「シオン……!?」
「大丈夫です」
シオンの紫苑色の瞳の奥に、誰かの日常を守るための、白銀の光が凛と灯った。
「僕が、必ず食い止めます」
怪物の巨大な鉄棍が、地響きと共に持ち上がった――!
第23話を最後までお読みいただきありがとうございました!
次回、第24話ではオーガとの大苦戦が描かれます!
シオンはこの理不尽な暴力を前に、いかにして弱点を見出し、立ち上がるのか――!?
緊迫の死闘をぜひお見逃しなく!




