第14話:代官の査問状と、立ち上がる町民たち
第13話では、朝焼けの広場で繰り広げられた『鬼芋モチモチ団子と銀鱗サーモンの黄金滋養スープ』の大炊き出しをお届けしました。
しかし、その温かな湯気が町中を満たした矢先、ゴルド商会と癒着した町の代官の使者が武装兵を引き連れて乱入。理不尽な炊き出し没収とシオンたちの捕縛を宣告してきます。
恩人を理不尽に奪われそうになったとき、かつて絶望に沈んでいた町民たちはどう行動するのか――?
シオンの静かなる眼光と、フィオナの圧倒的な魔導の威厳、そして人の心の温かさが奇跡を起こす第14話をお届けします。
秋の冷たい朝風が、中央広場の石畳を吹き抜けていく。
つい先ほどまで何百人もの温かな湯気と、すすり泣くような感謝の声に満ちていた広場は、一瞬にして刺すような緊張感に包まれていた。
「代官令である! 直ちにこの大釜を撤去し、残った炊き出しをすべて没収せよ! そして――そこにいる素性不明のガキどもを、治安紊乱の重罪人として直ちに捕縛しろッ!!」
肥え太った顎を傲慢に突き出し、朱色の封蝋が施された羊皮紙をこれ見よがしに掲げる首席徴税監理官。
その背後に控える十数名の武装兵たちが、ギチリと革鎧を軋ませ、腰の鉄剣を鞘から引き抜いた。抜き身の鋼が朝日にギラリと冷たく反射し、広場に居並ぶ町民たちの間に、引き攣ったような悲鳴が走る。
「ひっ……!」
「へ、兵隊さんたちが……剣を抜いたぞ……!」
幼子を抱いた母親たちが青ざめて後ずさり、松葉杖の老人が恐怖に膝をガタガタと震わせる。
この町において、代官と兵士たちの言葉は絶対だった。逆らえば即座に地下牢へ放り込まれ、二度と日の目を見ることはできない。その恐怖が、長年にわたって民の首を絞め続けてきたのだ。
「てめぇら……! ゴルドの野郎からいくら小遣いを貰ったか知らねぇが、飢えてる町民の飯まで奪おうってのか!?」
カルロスが怒りに顔を真っ赤に染め、背中の大剣の柄を握りしめて前に出ようとした。
だが、その無骨な腕を、すっと伸びた細い手が押し止めた。
「――カルロスさん、待ってください」
静かな、けれど不思議なほど澄み渡った声だった。
一歩、前へと歩み出たのはシオンだった。
腰に佩いた白銀の太刀には触れもせず、シオンは腕まくりをしたエプロン姿のまま、抜刀した兵士たちの切っ先の前に、まるで朝の散歩のように自然な足取りで進み出た。
『……しゃぁぁぁっ!』
シオンの肩の上で、純白の有翼狐イリスが背中の羽を逆立て、紫水晶の瞳を吊り上げて役人たちを威嚇する。シオンは左手でイリスの頭をそっと撫でて落ち着かせると、冷徹な役人を真っ直ぐに見据えた。
「な、なんだ貴様は……! ガキの分際で、この公的な代官令の前に立ち塞がる気か!?」
「質問があります、監理官様」
シオンの左眼の奥で、純白と蒼氷の光彩が微かに揺らめいた。
――『神授の聖眼』。
男の掲げる羊皮紙、そこに記された墨の筆跡、そして男自身の全身から立ち上るドス黒い魔力の澱み。すべてがシオンの視界に鮮明な情報として流れ込んでくる。
「その査問状には、『無許可の不法集会を開き、正当な市場流通を乱した』と書かれていますね。ですが――この大釜のスープに使われた食材は、市場で買い付けたものではありません。町の人々が危険だと避けていた郊外の森と川から、僕たちが自らの足で採取してきた野草や川魚です」
「な、何だと……!?」
「市場の食糧を一粒も使っていない以上、商会の流通を妨害したという言いがかりは法的に成立しません。さらに言えば……その羊皮紙に押された代官印の朱肉、まだ乾いてから一時間も経っていませんね」
「なっ……な、何をデタラメを……ッ!」
監理官の顔がピクリと引き攣る。
「その羊皮紙の裏側には、ゴルド商会の私用便箋と同じ、安っぽい香油の匂いが染み付いています。……昨晩、商会のチンピラが自警団に撃退されたあと、商館へ駆け込んで代官様に泣きつき、急造で作らせた偽りの令状ですね? 民の命を救う炊き出しを止めるために、公権力を私的に悪用する……それこそが、王国の法に背く重大な背任行為ではありませんか?」
「き、貴様ぁぁぁッ……!!」
図星を完璧に突かれた監理官は、額に青筋を浮かべて激昂した。
シオンの言葉には、怒りや罵倒の色は一切なかった。ただ淡々と、事実と真実だけを刃のように研ぎ澄まして突きつけていた。だからこそ、やましい腹の内を抱える悪徳役人には、何よりも恐ろしい凶器となって突き刺さる。
「減らず口を叩く小僧がァッ! ええい、問答無用だ! 兵ども、何をしている! そいつらは代官様に歯向かう凶悪な反逆者だ! 逆らうなら手足を切り落としてでも捕縛しろッ!!」
監理官の狂気じみた絶叫に、武装兵たちが殺気を露わにして踏み込んできた。
シオンは静かに身構えた。太刀を抜く気はない。ルシアン直伝の水のような体術で、兵士たちの剣筋を受け流し、無力化するために――。
だが。
シオンが足を踏み出すよりも早く、広場の空気を引き裂くような叫びが上がった。
「――ふざけるんじゃないよォッッ!!」
それは、先ほど一番最初にシオンからスープを受け取った、あの松葉杖の老人だった。
老人は松葉杖を投げ捨て、震える足でがっしりと石畳を踏みしめると、抜刀した兵士の前に自らの痩せ細った身体を投げ出すように割り込んできたのだ。
「じ、爺さん!? 何をしてやがる、どきやがれ!」
「どくもんかい! お前たち役人は、ゴルド商会が穀物を全部奪って隠した時、一度でも助けに来てくれたか!? 俺たちが飢えて道端で行き倒れかけていた時、一杯の粥でも恵んでくれたかッ!?」
老人の枯れ木のような指が、兵士の胸倉を鷲掴みにする。その目には、死を恐れる臆病な光など微塵もなかった。
「あの子たちはな……俺たちに命をくれたんだ! 凍りついて死ぬはずだった俺たちの身体を、あの子たちの作ってくれたスープが温めてくれたんだよ! そんな恩人を……罪人扱いして連れて行かせるわけにいくだろうがッ!!」
「爺さんだけじゃないぞッ!」
「そうだ! あたしたちだって黙っちゃいないよ!」
どよめきが、一瞬にして怒涛の地鳴りへと変わった。
広場にいた母親たちが、若者たちが、職人たちが、空の木椀を置き、手に手に転がっていた薪や石ころ、農具を握りしめて駆け寄ってきた。
一人、二人ではない。数十人、百人、数百人――。
先ほどまで飢えと絶望に瞳を濁らせ、ただ俯いて震えていた町民たちが、誰に指図されるでもなく腕を組み、シオンとフィオナ、そして大釜を守るようにして、兵士たちの前に巨大な人の壁――幾重ものスクラムを作り上げたのだ!
「な……な、何だ貴様らッ!? 代官様の兵に逆らう気かッ!?」
兵士たちが怯え、切っ先を震わせながら後退りする。
民衆の壁の先頭には、まだあどけない顔をしたレオンとニーナの兄妹までが、小さな手を固く握りしめて立ちはだかっていた。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんに、乱暴するなっ!」
「あっちいけーっ! わるい奴らはあっちいけーっ!」
「お、おい……やめろ、下がるんだ……!」
兵士の一人が狼狽して叫ぶが、町民たちは一歩も引かない。
彼らの瞳に宿っていたのは、暴力への怒りだけではなかった。
――シオンが命がけで森から持ち帰り、一晩かけて煮込んでくれた、あの黄金のスープ。
胃の腑を満たし、五臓六腑を駆け巡ったあの温もりが、彼らの魂の奥底で凍りついていた「人間としての誇り」と「大切な人を守る勇気」を、完全に呼び覚ましていたのだ。
「お前ら、よくもあんな温かいスープを『没収』なんて言えたもんだな!」
「あの子たちに指一本でも触れてみな! この町の人間全員を叩き斬ってからにしなッ!!」
「ひっ……!?」
数百人の町民が放つ、魂の底からの怒号。
それは、いくら剣で武装していようと、私欲と賄賂で動いているだけの腑抜けた兵士たちを圧倒するには余りあるほどの質量だった。兵士たちの顔から血の気がサーッと引いていく。
「な、何を怯えている! 構わん、前にいる奴らから斬り捨てろ! 暴動だ、反逆罪で皆殺しに――」
狂乱して叫び立てる監理官の言葉は、そこで永遠に遮られた。
――キィィィィィン……ッ!
大気を震わせる、冷徹で高密度な高周波の魔力共鳴音。
町民たちの壁の向こうから、凛とした一歩が踏み出された。
純白の魔導ローブを秋風にはためかせ、黒壇の魔導杖の切っ先を監理官の眉間へと突きつけたのは――フィオナだった。
「誰を皆殺しにするって……? 聞き捨てならないわね、汚職役人」
フィオナの琥珀色の瞳が、絶対零度の冷気を帯びて輝いていた。
杖の先端に展開された三重の魔法陣から、パチパチと青白い閃光が激しく明滅し、広場全体の気温が一気に氷点下まで叩き落とされる。
王立魔導学院首席特待生――その肩書が伊達ではないことを物語る、圧倒的な魔導の暴風。
「ひ、ひぃぃっ……!? ま、魔導士……!?」
「私は王立魔導学院首席特待生、フィオナ・シルヴァンス。我が父ラインハルト・シルヴァンスは大陸最前線を預かる勇者であり、シルヴァンス家は王家より直々に不法行為の監察権を委任されているわ」
フィオナは懐から、白銀に輝くシルヴァンス家の家紋が刻まれた身分証プレートを掲げ、氷のような声音で告げた。
「貴方たちがゴルド商会から受け取っている裏金、そして民の兵糧攻めを黙認している事実……すべて克明に記録させてもらったわ。今すぐこの兵を引き上げて消え失せないなら――この杖の一撃で全員炭にしたあと、王都の監察局と王国軍本部へ特級不正告発状を飛ばしてあげる。……どうする? 選ばせてあげるわよ」
「シ、シルヴァンス……ッ!? ま、まさか、あの勇者一家の……本物の令嬢……ッ!?」
監理官の顔が、土気色を通り越して真っ白に染まった。
地方のちっぽけな代官など、シルヴァンス家の威光の前には羽虫も同然。王都に知られれば、代官もろとも一族郎党すべてが断頭台送りになるのは火を見るより明らかだった。
「ひ、退けッ! 退けぇぇぇッ!!」
監理官は悲鳴を上げ、手にした査問状を取り落としながら、肥えた身体を揺らして無様に転がり逃げ出した。
武装兵たちも互いに顔を見合わせると、抜いた剣を慌てて鞘へ収め、蜘蛛の子を散らすように監理官の後を追って一目散に広場から逃げ去っていった。
静寂が、広場を包み込んだ。
兵士たちの足音が完全に遠ざかり――次の瞬間。
「「「うおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!」」」
割れんばかりの、地鳴りのような大歓声が中央広場に爆発した。
町民たちが抱き合って涙を流し、空に向かって木椀を突き上げて快哉を叫ぶ。
「勝ったぞ! 役人どもを追い払ったぞ!」
「あの子たちを守り抜いたんだ!」
「シオンくん! お嬢ちゃん!」
町民たちが一斉にシオンとフィオナを取り囲んだ。
屈強な鍛冶屋の男たちがシオンを軽々と担ぎ上げ、母親たちがフィオナの手を握りしめて涙ながらに感謝の言葉を口々に叫ぶ。
「ありがとう、本当にありがとう……!」
「あんたたちは、この町の本当の救世主だ!」
「わ、わわっ! ちょっとシオン、降ろしなさいよ、何で私が胴上げされそうになってるのよバカぁ!」
フィオナは耳まで真っ赤にしてジタバタと暴れるが、その表情には隠しきれない歓喜と誇らしさが満開になっていた。
『きゅ〜〜んっ♪』
シオンの肩にしがみついたイリスも、町民たちから頭や背中を優しく撫で回され、誇らしげに胸を張って喉をご機嫌にゴロゴロと鳴らしている。
担ぎ上げられたシオンの視界に、涙を拭いながらサムズアップを向けてくるカルロスの姿が見えた。
カルロスは口パクで、はっきりとこう伝えてきた。
――『町が、一つになったぜ』と。
シオンは青空を見上げた。
天国のルシアン師匠に、胸の中で語りかける。
(師匠……見ていてくれましたか? 僕の作った料理が、人々の心を繋いでくれました)
だが、シオンの心は油断していなかった。
役人を追い払ったことで、ゴルド商会は完全に追い詰められた。
次は、あの用心棒の怪物を引き連れて、なりふり構わぬ暴力で自警団を潰しにかかるに違いない。
その前に――奴らが町から奪い、隠し続けている『本当の食糧庫』の場所を突き止めなければならない。
歓声に沸く広場の中で、シオンは決意を新たに瞳を研ぎ澄ませていた。
第14話を最後までお読みいただきありがとうございました!
次回、第15話『夜の屋根の上、シオンとフィオナの誓い』では、激動の一日を終えた夜、星空の下で二人が語り合う甘酸っぱく温かなバディの誓いが描かれます!




