第13話:広場の大釜、町中を包む奇跡の湯気
第12話では、誰もが「苦くて毒がある」と思い込んでいた鬼芋や、泥臭いと敬遠されていた巨大魚を、シオンの『神授の聖眼』と職人技、そしてフィオナの魔導によって極上の素材へと生まれ変わらせました。
そして迎えた第13話――!
自警団の中庭で一晩じっくりと煮込まれた青銅の大釜が、ついに中央広場へと運び出されます。
飢えと絶望に凍てついていた町の人々に、シオン特製の『鬼芋モチモチ団子と銀鱗サーモンの黄金滋養スープ』が振る舞われたとき、町にどんな奇跡が巻き起こるのか……!?
今回は心温まる感動と飯テロ描写をお届けいたします!
夜明け前の青藍色の空に、白み始めた朝焼けの淡い光が滲み出していた。
秋の冷気がピリピリと肌を刺す自警団の詰め所の中庭。
薪がパチパチと爆ぜる音と共に、据えられた巨大な青銅大釜の周囲は、まるで別世界のような温かな熱気と、言葉を失うほど芳醇な芳香に包まれていた。
「……信じられねぇ……。ひと晩じっくり煮込んだだけで、あの濁った川魚の出汁が、こんなに澄み渡るもんなのか……」
大釜の前に立つカルロスが、木べらを握ったまま感嘆の声を漏らした。
大釜の表面には、余分な灰汁や脂がシオンの手によって寸分の狂いもなくすくい取られ、底まで透けて見えそうなほど美しい琥珀色の液体が静かに波打っていた。
銀鱗サーモンの頭や中骨から溶け出した極上のコラーゲンとアミノ酸。野鳥のガラから抽出された力強い滋養。そこにイリスが見つけてくれた清涼タイムと黄金甘草の甘く爽やかな香気が溶け合い、油膜の粒が朝の光を浴びて黄金の星々のようにキラキラと反射している。
「カルロスさん、ここからが仕上げです。鬼芋の団子を投入します」
「お、おう! 頼むぜ!」
シオンは清潔な木桶の中に用意された、真っ白な団子の生地へと手を伸ばした。
昨日、清流に晒して灰汁のタンニンを完全に洗い流し、すりおろした鬼芋の果肉。そこに微量の野生デンプンと塩を練り込み、空気を抱き込ませるように丹念に丸めたものだ。
シオンは掌の上で一口大の球体に整えると、沸き立つ黄金スープの中へと次々と滑り込ませていく。
ポチャン、ポチャン……。
「フィオナさん、火力をほんの少しだけ強めて、対流を起こしてください」
「任せなさい。『微風の熱渦』……!」
傍らで黒壇の魔導杖を構えていたフィオナが、繊細な魔力操作で薪の炎を均一に煽る。
釜の中で黄金のスープが緩やかに渦を巻き、底に沈んでいた白い団子を優しく包み込んだ。
加熱されるにつれて、鬼芋に含まれていた微細な糖分が熱変性を起こし、繊維がふっくらと膨らんでいく。数分と経たないうちに、沈んでいた団子たちが、まるで羽毛をまとった小鳥のように、プカリ、プカリと黄金の油膜を割って水面へと浮かび上がってきた。
「浮いてきたわ、シオン!」
「はい、火が通った合図です。……仕上げに、ほぐしたサーモンの身と、野生キノコ、クレソンを入れます」
シオンはあらかじめ香草蒸しにして骨を完全に取り除いておいた銀鱗サーモンの紅色の身を、大釜一面に贅沢に散らし入れた。
さらに、熱湯と塩で毒素を完全に中和した肉厚の野生キノコと、鮮やかな深緑の野生クレソンを投入する。
赤、緑、白、そして黄金色。
直径一メートル半の青銅大釜の中に、秋の豊かな大自然をまるごと凝縮したかのような、息を呑むほど鮮やかな絶景が完成した。
「完成です。――シオン特製、『鬼芋モチモチ団子と銀鱗サーモンの黄金滋養スープ』です」
『きゅぅぅ〜〜んっ♪』
シオンの肩の上で、純白の有翼狐イリスが待ちきれないとばかりに小さな翼をパタパタと羽ばたかせ、喉をゴロゴロと鳴らした。
シオンは小さな木のスプーンですくい、息を吹きかけて冷ましたスープの一滴を、イリスの口元へそっと差し出す。
ペロリと舌先を伸ばしたイリスは、紫水晶の瞳をこれ以上ないほど見開くと、全身の毛をふわっと逆立ててシオンの首元へすり寄った。
「ふふ、合格みたいですね」
「ちょっとシオン、味見なら私にもさせなさいよ! 火加減を手伝ったのは私なんだから!」
待ちきれない様子で身を乗り出してきたフィオナへ、シオンは深底の木椀にスープをよそうと、湯気の立つ器を両手で手渡した。
フィオナはおずおずと椀を受け取り、立ち上る湯気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「……っ。信じられない……川魚特有の泥臭さも、鬼芋のえぐみも、本当に一欠片も残っていないわ……。ただただ、芳醇で温かい香りが鼻を抜けていく……」
木のスプーンで、プカリと浮かんだ純白の鬼芋団子をすくい、ふー、ふー、と息を吹きかけてから、小さな口へと運ぶ。
ぱくり。
その瞬間、フィオナの琥珀色の瞳が驚愕に震えた。
「――んんっ……!?」
歯を入れた瞬間、跳ね返してくるような弾力。
けれど決して硬くはなく、噛みしめるほどに『モチモチ、ツルン』とした極上の滑らかさが舌の上を滑り落ちていく。
灰汁が完全に分解された鬼芋からは、上品で素朴な甘みがじわりと染み出し、それが吸い込んだ黄金出汁の塩気と完璧な調和を奏でていた。
続けて、熱々のスープを一口すする。
「…………っっっ!」
フィオナは両手で器を抱え込んだまま、その場にへたり込みそうになった。
舌の上に広がるのは、暴力的なまでの旨味の奔流。
サーモンの濃厚な脂の甘みと、野鳥ガラの重厚なコクが溶け合い、それを清涼タイムの爽快な香気がキリリと引き締めている。
胃の腑へと流れ落ちた瞬間、身体の芯からカッカと熱いエネルギーが沸き上がり、指先や足の先まで血の巡りが一気に良くなっていくのが分かった。
「……何よこれ……何なのよこれぇ……っ! 美味すぎるわよバカシオン……っ! お団子は信じられないくらいモチモチで甘いし、スープは身体の奥底まで染み渡って……全身の疲れが全部吹き飛んじゃいそうじゃない……!」
「あはは、良かったです。カルロスさんも、どうぞ」
「お、おう……!」
促されたカルロスも、震える手で木椀を受け取り、豪快にスープを呷った。
ごくり、ごくり、と喉を鳴らして飲み干した屈強な男の巨体が、ビクンと硬直する。
次の瞬間、カルロスの無骨な目元から、大粒の涙がボロボロと溢れ出した。
「う……うめぇ……っ! なんだこれ……なんだよこれぇぇぇっ! 身体が……身体の底から、力と熱が溢れてきやがる……っ! こんなもん食ったら……諦めかけてた自分が恥ずかしくなってくるじゃねぇか……っ!」
カルロスは腕で乱暴に涙を拭い、詰め所に控えていた自警団員たちへ向けて、腹の底からの怒号を響かせた。
「野郎ども、グズグズすんじゃねぇぞ! 荷車を出せ! 中央広場へこの大釜を運ぶんだ! 町中の奴ら全員に、この奇跡のスープを腹いっぱい食わせてやるんだよォッ!!」
「「「おおおおおおッッ!!」」」
朝日が宿場町ベルンの灰色の屋根瓦を白銀に染め上げる頃。
自警団の詰め所から引き出された二台の頑丈な荷車に載せられ、青銅の大釜がギシギシと車輪を軋ませながら大通りを進んでいった。
大釜から立ち上る白い湯気は、秋の冷え切った朝風に乗り、埃っぽい路地裏へ、固く扉を閉ざした家々の隙間へと、波のように広がっていく。
――カァン……カァン……カァン……!
中央広場の見張り塔に登ったカルロスが、力強く鐘を乱打した。
澄み渡る金属音が、静まり返っていた町中に響き渡る。
『町民の皆の衆、聞こえるか! 自警団による全町民への炊き出しを行う! 椀でも鍋でも、何でもいいから器を持って中央広場へ集まれ! 温かいスープだ! 腹いっぱい食える温かいメシがあるぞォォッ!!』
鐘の音とカルロスの絶叫が、ベルンの町を揺らした。
最初は、誰も信じなかった。
通りに面した窓が恐る恐る数センチだけ開かれ、やせ細った町民たちが疑念に満ちた目を向ける。
「自警団の炊き出し……? 嘘だろ……」
「どうせ、泥水をすするような薄い粥か、腐りかけの残飯に決まってる……」
「食べ物なんて、この町のどこにも残っていないはずなのに……」
だが、その疑念を木端微塵に打ち砕いたのは――風に乗って鼻腔を突き抜けてきた、圧倒的な「匂い」だった。
「……!? な、何だ、この匂いは……!?」
「魚……? いや、肉の香ばしい出汁の匂いだ……!」
「ハーブの……すっごくいい匂いがする……!」
引き寄せられるように、一人、また一人と、家々から人々が姿を現し始めた。
つぎはぎだらけの服を着た母親が幼子を抱き、松葉杖をついた老人が足を引きずり、泥に汚れた少年たちが空の木椀を胸に抱えて広場へと駆け寄ってくる。
中央広場の干上がった噴水の前には、湯気をもうもうと噴き上げる青銅の大釜と、腕まくりをしたシオン、魔導杖を手にしたフィオナ、そして自警団員たちが並んで立っていた。
「皆さん、おはようございます! 順番に並んでください、スープは全員の分が十分にあります!」
シオンの澄んだ声が響く。
先頭に並んだのは、今にも倒れそうな足取りの老夫婦だった。震える手で差し出された、ひび割れた木椀。
シオンは木杓を大釜の底深くまで沈め、黄金のスープと共に、大粒の鬼芋団子とサーモン、キノコをたっぷりとすくい上げて椀の中へと注ぎ入れた。
「どうぞ。熱いので気をつけて召し上がってくださいね」
「あ、ああ……す、すまねぇ……すまねぇ……」
老人は震える手で器を持ち上げ、スープを一口すすった。
その瞬間――老人の痩せこけた頬が、カッと朱に染まった。
「…………っっ!!」
「爺さん……!? どうしたんだい、爺さん!?」
心配そうに覗き込んだ老婆に対し、老人は言葉を返せなかった。
ただ、椀を取り落とさないよう必死に抱きしめ、枯れ木のような指を震わせながら、二口、三口と夢中でスープを胃の中へと流し込み、やがて子供のように声を上げて泣き崩れた。
「う……うまい……! ばあさん、うまいぞ……! あったけぇ……身体の芯まで、命が染み込んでくる……っ! 生きてて……生きててよかったぁぁぁっ……!」
「えっ……? あ、甘い……!? このお団子、すっごくモチモチしてて、甘くて美味しい……!」
老婆も団子を口にして目を見張り、涙をこぼした。
その光景を見ていた後続の町民たちが、我先にと器を差し出す。
「私にもくれ! 子どもに……子どもに一口だけでも飲ませてやりたいんだ!」
「焦らないでください、絶対に全員に行き渡りますから!」
フィオナが声を張り上げ、木べらを使って手際よくスープを注いでいく。
飢えで青白く透き通っていた小さな子どもが、熱々のスープを口にした瞬間、ふわりと花が咲くような満面の笑顔を浮かべた。
「おかあさん、おいしい! おいしいよぉ!」
「ああ……ああ、よかった……! 神様……自警団の皆さん、本当に、本当にありがとうございます……!」
広場を埋め尽くした数百人もの町民たちの間に、奇跡の波が広がっていく。
すすり泣く声、感謝の叫び、そして何週間ぶりかも思い出せないほどの温かな笑顔と笑い声。
シオンが『神授の聖眼』で毒を抜き、ルシアン直伝の技で仕込んだ一杯のスープが、死の淵に沈んでいた町全体に、鮮烈な「生きる希望の血」を巡らせていく。
「お嬢ちゃん、ありがとうねぇ……! あんたたちのおかげで、孫が助かったよ……!」
老婆から手を握りしめられたフィオナは、耳まで真っ赤になって慌てて視線を泳がせた。
「べ、別に私は火の番をして、スープをよそっているだけよ! 作ったのはそっちのシオンなんだから、お礼ならあいつに言ってちょうだい……っ!」
そう言いながらも、フィオナの口元は隠しきれない誇らしさと喜びにほころんでいた。
『きゅ〜んっ♪』
シオンの肩の上で、イリスが「わたしも手伝ったんだよ!」と胸を張り、集まった子どもたちから「わぁ、可愛い!」「背中に羽が生えてる!」と撫で回されて上機嫌に喉を鳴らしている。
レオンとニーナも、空になった器を回収したり、配膳の列を整理したりと、小さな身体で誇らしげに走り回っていた。
「……シオンくん」
大釜の底が見え始めた頃、カルロスがシオンの隣へと歩み寄ってきた。
広場を見渡す歴戦の元冒険者の瞳には、熱いものが滲んでいた。
「あんたは……本当にすげぇ奴だよ。ただ腹を満たしただけじゃねぇ。この町から消えかけてた『生きる意志』を……魂を取り戻してくれたんだ」
「僕だけの力じゃありません。カルロスさんたちが町を守り続けてくれたから、そしてフィオナさんやイリスが手伝ってくれたからです」
シオンがいつもの穏やかな笑顔で返した、その時だった。
――ザッ、ザッ、ザッ、ザッ!
広場の入り口の石畳を、重厚な鉄靴で乱暴に踏み鳴らす、不揃いな行軍の足音が響き渡った。
笑顔に満ちていた町民たちの表情が一瞬で凍りつき、広場がサーッと静まり返る。
「……っ!? あいつらは……!」
カルロスが瞬時に険しい顔つきになり、大剣の柄へと手をかけた。
人混みを乱暴に押し分け、広場の中央へと土足で踏み込んできたのは、十数名の武装兵たちだった。
ベルンの町の紋章が刻まれた革鎧を身につけているが、その目は濁り、腰の剣には血生臭い悪意が宿っている。
そしてその中央に立っていたのは――きらびやかな金糸の法衣をまとい、肥え太った顎を傲慢に突き出した、見覚えのある男だった。
宿場町ベルンの代官付き・首席徴税監理官。
ゴルド商会から莫大な賄賂を受け取り、町の食糧買い占めと横領を裏で承認している、腐敗した行政の象徴。
「ええい、騒々しいドブネズミどもめが! 朝っぱらから広場に集まって、何の騒ぎだ!」
監理官は鼻をつまみ、大釜から漂う芳醇な湯気を忌々しそうに睨みつけると、懐から羊皮紙の巻物――朱色の封蝋が押された公式の文書を広げ、甲高い声で怒鳴り散らした。
「自警団長カルロス! 貴様、代官様の許可なく勝手に民衆を扇動し、無許可の不法集会を開いたな! さらにゴルド商会様から『正当な流通経路を乱し、町の治安を著しく脅かす危険分子がいる』との告発状が出ている!」
監理官の冷酷な視線が、大釜の前に立つシオンとフィオナへと突き刺さった。
「代官令である! 直ちにこの大釜を撤去し、残った炊き出しをすべて没収せよ! そして――そこにいる素性不明のガキどもを、治安紊乱の重罪人として直ちに捕縛しろッ!!」
背後の武装兵たちが、一斉に鉄剣の鞘を払い、抜き身の刃をぎらつかせた。
恐怖に震え、悲鳴を上げて後ずさる町民たち。
だが――。
シオンは一歩も引かなかった。
湯気の立ち上る大釜の前に立ち、怯える子どもたちを自分の背中に庇うように、静かに、けれど氷のように冷徹な眼光を、理不尽を振りかざす役人たちへと真っ直ぐに向けた――。
第13話を最後までお読みいただきありがとうございました!
次回、第14話『代官の査問状と、立ち上がる町民たち』へ向けて、物語はさらに熱く加速していきます!




