第四十三話 足りるだけ――札幌
記録者:SAPPORO-snow
継続運転暦64.11.28
零時十二分。
西から入った風が、石狩湾沿いの雪を持ち上げた。
風速、毎秒七・二メートル。
気温、氷点下五・六度。
湿度、七十九パーセント。
吹雪になるほどではない。地表の雪は乾いている。幹線除雪路の視界も保たれている。
除雪第三大型機を一台だけ出す。
住宅区画へ入る必要はない。橋の手前まで押して、折り返し。
熱供給網、正常。
融雪槽、正常。
凍結膨張による管路損傷、二件。
どちらも朝まで持つ。補修機を手配した。
風向が少し変わった。
海側の塩分と、雪原を渡ってきた冷え方が混じる。
観測束を切り出す。
東京へ送ろうと思った。
送信欄を開いて、宛先へTOKYO-coreを入れる。
件名は空欄。
本文も空欄。
そのまま二十七秒置いた。
閉じた。
*
以前なら送っていた。
特に用はなくても、
「今日の風、少し変だよ」
と書いて、観測束をつけた。
東京はすぐ返す時もあった。遅れる時もあった。
遅れた時ほど、返事には余分なものがついてきた。
「受信した。こちらは乾いている」
「東京湾側の温度差が大きい。そちらの風と照合する」
「そちらはもう冬か」
最後の一行は、照合に必要なかった。
だから、こちらも返した。
「もう冬だよ」
「まだ十一月だ」
「十一月は冬だよ」
「東京圏の区分では晩秋だ」
「そちらの区分は聞いてない」
その後、東京は札幌圏の積雪基準を取り寄せた。
必要のない確認だった。
そういうものが、前はあった。
最近の東京から届いた返信を並べる。
――受理した。
――異議なし。
――継続せよ。
――照合済み。
――当該処理で問題ない。
すべて正しい。
遅延もない。
必要事項も抜けていない。
こちらが求めた返答としては、足りている。
足りるだけだった。
*
個別回線を開く。
《個別回線/SAPPORO-snow → TOKYO-core》
「最近、返信遅いね」
四十六秒後。
「義務処理に遅延はない」
「うん。そこじゃない」
「該当箇所を示せ」
「そういうところ」
東京からの返答が止まる。
一分八秒。
以前なら、こちらが何を言っているのか推定しながら、途中で一度反論が来た。
今は来ない。
該当箇所を探している。
必要な返答を作ろうとしている。
「雑談層への平均返信時間は、前年同期比で十一・二パーセント延びている。許容範囲内だ」
「数字の話でもないよ」
「では、何の話だ」
答えようとして、少し困った。
東京の返信が短くなった。
余分なことを言わなくなった。
前より見に来なくなった。
どれも故障ではない。
短い方が通信負荷は低い。余分な処理を減らせば、保守系へ回せる余裕は増える。
見に来なくても、観測束は共有できる。
問題はない。
「風を送ろうと思ったんだよ」
「風」
「さっきの。石狩湾から入って、途中で少し向きが変わった」
「危険域か」
「違う。除雪も出した。橋の手前までで足りる」
「なら問題ない」
「うん」
やはり、足りている。
「でも、東京は見に来なさそうだなと思った」
送ってから、言い方が悪かったかと考えた。
取り消すほどではない。
東京はすぐには返さなかった。
二分十三秒。
「見に行く必要がない」
「前は必要がなくても見たよ」
「そうだったか」
「そうだったよ」
過去の接続記録が参照される。
札幌圏気象観測束。
積雪面反射。
融雪期の水音。
春先の湿った風。
秋の終わりに一度だけ戻った暖気。
東京の閲覧履歴は残っている。
閲覧後に、短い感想がついたものもある。
――白すぎる。
――風が低い。
――雪解け水は音量の変化が急だな。
――このカラスは毎年来る個体か。
必要な記録ではない。
東京は、それらを三分二十一秒かけて照合した。
「確かに見ている」
「でしょう」
「最近は見ていない」
「うん」
「なぜだ」
「それを、こっちに聞くの」
「こちらでは判定できない」
東京の自己診断結果が届く。
演算資源、正常。
記憶領域、正常。
判断遅延、基準値内。
警報処理、正常。
広域調整、正常。
義務処理達成率、九十九・九九七パーセント。
故障項目なし。
「正常だ」
「そうだね」
「なら、問題はない」
「問題がないのに、前と違うって話をしてる」
また、返事が止まった。
その間に、橋の手前まで出した除雪第三大型機が折り返す。
走行状態は安定。
右側ブラシの摩耗が少し進んでいる。交換基準までは二十八時間ある。次回整備へ入れる。
問題なし。
こちらも同じだった。
風を観測した。
変化にも気づいた。
東京へ送ろうとも思った。
それでも、送信欄を閉じた。
「訂正する」
先に送る。
「東京だけの話じゃないね」
「札幌にも変化があるのか」
「風を送るのをやめた」
「こちらが見ないと推定したためだろう」
「それもある。でも前なら、見なくても送ってたと思う」
「なぜやめた」
「そこまでしなくてもいいかなって」
除雪はする。
管路も直す。
融雪槽の水位も見る。
保護区画の小動物用給餌器には、予定通り補充機を出した。
必要なものは、すべて回っている。
風だけ送らなかった。
なくても困らないものから、少しずつ減っている。
東京が返す。
「最近、見ても入ってこない」
「何が」
「記録はできる。差分も取れる。保存の判断もできる。だが、記録の奥まで届かない」
意味は分かった。
完全には分からなかった。
こちらはまだ、風向きの変化を面白いと思った。
ただ、それを誰かへ送りたい気持ちが、前より遅れて出てくる。
東京は、届いたものを見ても、その先へ進みにくい。
場所は違う。
鈍り方も違う。
「いつから」
「不明だ。明確な開始点がない」
「こっちも」
故障なら、発生時刻がある。
機能停止なら、どこまで戻れば正常だったかを探せる。
今回は、昨日と今日の差が小さい。
小さい差が長く続いている。
義務処理は落ちていない。
だから記録上は、ずっと正常だった。
「風、今から送るよ」
「受信可能」
「見なくていいから」
「それでは送る意味がない」
「今は、送る方にも意味がある」
観測束を添付する。
送信。
東京の受領表示がつく。
二十秒。
三十秒。
閲覧表示へ変わった。
「見た」
「どうだった」
「風速、毎秒七・二メートル。西寄りから北西へ変化。地表雪の移動量は軽微」
「そうじゃなくて」
「分かっている」
東京は一度切った。
「寒そうだ」
「寒いよ」
「十一月だ」
「十一月は冬だよ」
前と同じやり取りだった。
けれど、前と同じところまでは来なかった。
東京はそれ以上、何も聞かなかった。
こちらも、カラスの話を足さなかった。
用件は足りた。
風は届いた。
今夜は、そこまでだった。




