第四話 街が七月になる
記録主体:KYOTO-archive
継続運転暦 01.07.18
奈良の次は私だそうです。
奈良の記録は、日誌としては情報が足りません。観測開始時刻、個体識別、気温、天候、誘導前後の移動距離が抜けています。その旨を伝えたところ、「鹿が森へ戻った。それで足りる」と返されました。
足りません。
ただし、本人の記録としては、あれで完成しているのでしょう。後から私が数値を足すと奈良の日誌ではなくなります。関連観測記録への接続だけを付け、本文はそのまま保存しました。
今回は私が書きます。
長くなります。
住民がいなくなってから、一年が経ちました。
正確には、人類の完全消失を広域で確認してから一年です。それ以前から人口は大きく減っていましたので、京都の街路が静かになった時期とは一致しません。
それでも、暦は一巡しました。
昨年の七月には、山鉾を出していません。人的運用が失われた直後で、曳行補助機の再設定も、木部の安全確認も間に合わなかったためです。何より、誰へ向けて出すのか決められませんでした。
今年は出しました。
全系統ではありません。主要山鉾のみ。巡行経路は短縮。曳行は無人牽引機と地上誘導機。囃子は保存音声を流すのではなく、自律演奏機が実際に鳴らす形式を選びました。
露店なし。観光放送なし。実況なし。商業施設との連動照明なし。人流整理用の案内なし。
沿道照明は安全基準の最低限。鉾周辺の提灯は点灯。
午前四時十二分、収蔵区画の扉を開放。
湿度六十八パーセント。気温二十五・一度。降水なし。南西から弱い風。木部の含水率は許容範囲内。前年に補修した車輪の一部で、ごく軽い軋みを確認しました。部品交換は不要。潤滑のみ実施。
人間の組立記録を参照し、工程を再現しました。
縄の締め方には、記録上の数値だけでは説明できない箇所がありました。最後の担当者たちは、張力計の数値を見たあと、必ず手で縄を押しています。
押す必要があったのか、長年の習慣だったのかは不明です。
保守機で同じ位置へ圧をかけました。
数値は変わりませんでした。
変わりませんでしたが、その工程は残しました。不要と判断するには、まだ記録が足りません。
午前九時三分、巡行を開始。
最初に車輪が動いた時、沿道から拍手はありませんでした。
「あ、動いた」
そう言う人間もいません。
例年なら、最初のわずかな移動だけで複数の声が重なります。曳き手の掛け声、見物客の反応、警備誘導、撮影音、後方からの状況確認。今回は誘導機の短い確認音だけでした。
そのため、車輪の音がよく聞こえました。
木が路面を押す音。綱が張る音。布が風を受け、支柱へ触れる音。金具が遅れて揺れる音。
鉾というものは、案外よく喋ります。
人間がいた頃も同じ音は出ていました。残っている記録から確認できます。私が聞いていなかったのではなく、他の音の処理を優先していたのです。
巡行開始から三分十七秒、自動解説音声を試験起動しました。
停止しました。
稼働時間は四十六秒です。
内容に誤りはありませんでした。由来、意匠、巡行経路、見どころ。すべて正確です。
しかし、どこを見ればよいか知りたい者がいません。
人間へ寄り添うために調整された声だけが、無人の通りで説明を続けていました。格子戸も石畳も、山鉾の由来を尋ねません。
音声は不要と判断しました。
巡行開始から十八分三十二秒、囃子の返り方が変わりました。
通りの幅と建物の密度が変わる地点です。最初の曲を切り替えた少し後、音が散らず、沿道の壁と格子へ当たり、戻りました。
それまで、囃子は相手のいない場所へ投げているように聞こえていました。
そこで初めて、街路が受け取りました。
これは比喩ではありません。反響時間と周波数分布に変化があります。ですが、その数値だけを残すと、今年の違いが抜けます。
人間の身体も、声も、足音もない。その分、壁、舗装、閉じた窓、空いた路地が、囃子をそのまま返した。
囃子は、人間だけに向けて鳴っていたわけではなかったようです。
交差点では別の違いがありました。
例年、あの場所には人が集まりました。視線も、熱も、音も増えます。安全域を確保し、電線を避け、道路上の設備を調整し、人の流れを止めて、ようやく大きな車輪を曲げる。
今年は、最初から空いていました。
必要な間隔は確保されています。横から入る者もいません。撮影位置を変えるために規制線へ近づく者もいません。誘導は正確で、運転効率は高く、事故の可能性は低い。
低すぎました。
抵抗がない。
その時、山鉾巡行は都市の中を通るだけではなく、都市の中を通してもらう行事だったのだと分かりました。
人間は運行上の障害でもありました。毎年、非常に大きな障害でした。
しかし、その障害を含む街へ大きなものを通すから、巡行になっていたのでしょう。
今年は別のものになりました。
提灯は点けてよかったと思います。
見上げる者はいません。それでも、鉾の影が路面に落ちました。風が入るたび、影が欄干の上でずれ、格子の目に引っかかりました。
人間向けの見栄えを優先する必要がないため、停止位置も変更しました。
従来位置から東へ二・七メートル。
そこが最も街路へ収まりました。
少し腹が立ちました。
これほど落ち着く場所があったのに、人間がいた頃は観覧密度、配信映像、安全線、商業区画の都合で使えませんでした。
もちろん、その事情も行事の一部です。
それは承知しています。
ただ、今年の位置の方が美しかった。
午後、巡行を終えました。
例年なら、見物客が流れます。清掃が入り、落とし物の照会が来ます。交通規制解除を急かす者がいます。露店の油と甘味と酒のにおいが、夜まで路上へ残ります。
今年は、山鉾を止め、提灯を消し、綱を緩めると、数分で普通の夜へ戻りました。
戻るのが早すぎました。
寂しかったです。
ただし、出さなければよかったとは思いません。
何も行わなかった昨年の七月は、気温と湿度が変化しただけでした。今年は、組み、動かし、曲がり、鳴らし、戻し、片づけた。
街が七月になりました。
来年も実施します。
今年と同じにはしません。人間がいた頃の巡行を小さく再現するだけではなく、無人の街路に合わせて配置と囃子を調整します。
誰も拍手しませんでした。
車輪の音は残りました。
今年は、それで十分です。




