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いつもそこに君がいた ~嘘の告白から、幼馴染だった二人の距離が変わり始める~  作者: 黒猫と珈琲


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第4話 少しずつ離れていく

 次の日の放課後。


 カイが授業を終えて教室を見渡したとき、アイリの姿はもうなかった。


「……あれ?」


 いつもなら、まだいる時間だった。


 アイリは帰り支度が早い方ではない。机の中を確認して、翌日の授業に必要なものを揃えてから帰る。それが終わる頃には、だいたいカイの準備も済んでいる。


 だから特に約束をしなくても、一緒に教室を出ることが多かった。


「アイリなら帰ったよ」


 近くにいた男子生徒が言う。


「帰った?」

「ラウラと」

「……そっか」


 昨日もラウラと帰っていた。


 別に、おかしなことではない。二人は親友なのだから。


 カイはそう思いながら鞄を持ち、教室を出た。


 いつもの坂道を一人で下りていく。


 一人で帰ることなんて珍しくもないはずなのに、今日は妙に静かに感じた。


 いつもなら隣から、


「今日の課題、ちゃんと覚えてる?」

「また先生に呼ばれてたでしょう」


 そんな声が聞こえてくる。


 今日は何もない。


 カイは一度だけ隣を見た。


 もちろん、そこには誰もいなかった。



 それから、そういう日が少しずつ増えた。


「アイリ、今日一緒に帰る?」


 昼休みに聞けば、


「今日はラウラと図書室に行くの」


 と返ってくる。


「じゃあ、そのあと待ってる」

「先に帰っていいよ?」

「別に待つけど」

「何時に終わるか分からないから」

「……そう?」

「うん」


 以前なら、アイリの方から言ったはずだ。


『少し待っててくれる?』


 そしてカイも、


『いいよ』


 と答えていた。


 けれど今は違う。


「じゃあ、また明日」


 アイリはそう言って笑った。


「ああ。……また明日」


 カイも答える。


 別に変ではない。


 そう思うのに、どこか落ち着かなかった。



「カイ」


 翌日の授業前。


 アイリが机の横へやってきた。


「これ」


 差し出されたのは、一冊のノートだった。


「ああ、数学の」

「前に貸すって言ってたから」

「ありがとう」


 カイは受け取る。


「今日、また教えてくれる?」

「分からないところに印をつけておいて。あとで説明するよ」

「ああ」


 アイリはそれだけ言うと、自分の席へ戻っていった。


 カイはわずかに眉を寄せる。


 何かが違う。


 前なら、そのまま隣に来て、


『どこが分からなかったの?』


 とノートを覗き込んでいた。


 カイが適当に答えれば、


『ちゃんと考えて』


 と呆れた顔をしながら、結局は授業が始まるぎりぎりまで付き合ってくれた。


 けれど今日は、ノートを渡しただけだった。


「……忙しいのかな」

「何が?」


 向かいの席からエイドリアンが顔を上げる。


「いや、なんでもない」


 カイはノートを開いた。


 見慣れたアイリの字が並んでいる。読みやすいように整理された式。端には、小さく補足まで書かれていた。


 いつも通りだ。


 何も変わっていない。


 それなのに。


 どうしてこんなに気になるのだろう。



 昼休み。


 カイは中庭へ向かった。


 いつもの木の下。


 そこへ行けば、アイリがいると思っていた。


 けれど。


「あれ?」


 ベンチは空いている。


 周囲を見回しても、黒髪は見えない。


「誰か探してる?」


 声をかけてきたエイドリアンに、カイは振り向いた。


「アイリ知らない?」

「ああ。ラウラたちと食堂にいたぞ」

「食堂?」

「うん」


 知らなかった。


 ただそれだけのことなのに、少し引っかかる。


「お前も食堂行けば?」

「いや、いい」

「なんで?」

「別に」


 カイはベンチへ座り、昼食を取り出した。


 隣には誰もいない。


 少し前までは、ここで二人で昼食を取るのが当たり前だった。いつからそうなったのかも、どちらが最初に誘ったのかも覚えていない。


 ただ、いつもそこにアイリがいた。


 パンを一口食べてから、カイは空いた隣へ視線を落とした。


 アイリが来ないのなら、ここへ来る理由も特にないような気がした。



「アイリ、消しゴム貸して」


 午後の授業前。


 いつもの調子で手を伸ばす。


 けれどアイリは自分の筆箱を見てから、首を傾げた。


「持ってないの?」

「忘れた」

「購買で売ってるよ」

「……え」

「授業までまだ少しあるし、行ってくれば?」

「いや、そうだけど」


 カイは思わずアイリを見る。


「貸してくれないの?」

「一つしか持ってないから」

「ああ……」


 そう言われれば、それまでだった。


「じゃあ買ってくる」

「うん」


 廊下へ出ながら、カイは妙な気分になった。


 以前なら、アイリは予備を持っていた。


 正確には、カイが忘れることを見越して、余分に入れていたのだ。


『また忘れたの?』


 そう言いながら貸してくれる。


 そんなことが何度もあった。


 ふと気づく。


 最近、アイリの筆箱が少し薄くなっていた。


 自分のための予備を、もう持ち歩いていないのかもしれない。


「……なんで?」


 誰に聞くでもなく呟いてから、カイは小さく息を吐いた。


 そもそも、自分の消しゴムくらい自分で用意するのが普通だ。



 数日後。


 朝、学院へ向かう途中で、カイはアイリの手元を見た。


「今日、荷物多くない?」

「少しね」


 教科書のほかに、何冊かの本を抱えている。


「持つよ」


 いつものように手を伸ばした。


 けれどアイリは、軽く首を振る。


「ううん。大丈夫」

「いや、重いだろ」

「図書室に返すだけだから」

「じゃあ、そこまで持つ」

「平気だよ。自分で持てる」

「でも」


 カイの手が宙に残る。


 アイリは困ったように笑った。


「カイ、本当に大丈夫だから」


 そう言って、そのまま歩き出す。


 カイも追いかけた。


 しばらくしてから、思わず口を開く。


「最近、大丈夫ってよく言うよな」

「そう?」

「前はもっと俺に持たせてたじゃん」


 アイリが少しだけ目を丸くした。


「持たせてた?」

「あ……いや」


 言ってから、自分でもおかしいと思った。


「俺が勝手に持ってたけど」

「そうね」


 アイリは少し笑う。


「でも、ちゃんと自分で持てるから」

「それは知ってるけど」

「だから、大丈夫」


 話はそこで終わった。


 カイは何も言えなくなる。


 持てるか、持てないか。


 そういう話ではない気がする。


 けれど、では何なのかと聞かれたら、自分でも説明できなかった。



 放課後。


 ラウラと港町を歩きながら、アイリは店先に並ぶ果物へ目を向けていた。


「アイリ。最近、カイと一緒に帰らないね」


 ラウラに言われ、少しだけ目を伏せる。


「そうだね」

「意識してる?」

「……少しは」


 ラウラはそれ以上すぐには聞かなかった。


 二人で人通りの多い道をゆっくり歩く。


「怒ってるの?」

「カイに?」

「うん」


 アイリは少し考えた。


 カイが誰かを好きになった。


 少なくとも、アイリはそう思っている。


 それ自体は、責めることではない。


「怒ってないよ」

「そっか」

「カイが誰を好きでも、それはカイの自由だから」


 口にすると、指先が少しだけ冷たくなった。


 それでも本当に、そう思っている。


「ただ……」

「うん?」

「今までのままじゃ、よくないのかなって」

「今までのまま?」

「毎朝一緒に行って、毎日みたいに一緒に帰って。お昼も一緒で、休日も二人で出かけて」


 アイリは少しだけ視線を落とした。


「もし私に好きな人がいて、その人が別の女の子とずっとそんなふうに一緒にいたら……たぶん、嫌だと思う」

「……なるほどね」

「だから、カイにそういう相手ができたなら、今までみたいにはしない方がいいのかなって。少しずつ距離を置こうと思ってる」


 ラウラがアイリを見る。


「それだけ?」

「え?」

「アイリ自身がつらいからじゃなくて?」


 アイリの足が、ほんの少し緩んだ。


 すぐには答えられない。


「……それも、少しはあるかな」

「少し?」

「たぶん」


 ラウラはため息まじりに笑った。


「そこはもうちょっと、自分を優先してもいいと思うけど」

「そうかな」

「そうだよ」


 アイリも小さく笑う。


 そのとき、ふと通りの向こうにある店へ目が止まった。


 旅行用品を扱う店だった。店先には船旅用の鞄や外国の地図が並び、窓にはいくつかの案内が貼られている。


 その一枚に、見覚えのある国名があった。


「……オルティギア」

「ん?」


 ラウラも視線を向ける。


 学院生向けの留学案内だった。


 山と空の国、オルティギア王国。


 以前、学院でも案内を見たことがある。山岳地域の気象学、独自に発達した航行技術、大型浮空船。海に開かれたセイランとは、まったく違う文化を持つ国だ。


「アイリ、前から興味あったよね」

「うん」

「学院でも資料もらってなかった?」

「もらったよ」

「じゃあ応募する?」


 ラウラは気軽に聞いた。


 けれどアイリは、すぐには答えられなかった。


 留学期間は長い。


 家族と離れる。


 ラウラとも離れる。


 そして、カイとも離れる。


 今までなら、それだけで選択肢から外していた。


「……まだ分からない」

「そっか」


 ラウラは無理に勧めなかった。


 アイリはもう一度、留学案内を見る。


 青い空を進む、大きな浮空船の絵。その向こうには、険しい山々が描かれていた。


 知らない国。


 知らない景色。


 知らない人たち。


 これまでは、自分とは遠い世界のように思っていた。


 けれど今は少しだけ、その景色が気になった。



 翌朝。


 待ち合わせ場所に着くと、カイが先に来ていた。


「おはよう」

「おはよう」


 二人で歩き始める。


 最近、アイリは少し離れて歩くことが増えた。


 カイが何度か速度を落とすと、アイリも自然に追いつく。


 けれど以前のように、肩が触れそうなほど近くはない。


「ねえ、アイリ」

「なに?」

「最近、先に帰るよな」


 アイリがカイを見る。


「そう?」

「そうだよ」

「ラウラと一緒にいることが増えたからかな」

「前だってラウラとは仲良かっただろ」

「うん」

「昼も食堂行くし」

「みんなで食べるのも楽しいよ」

「それはそうだけど」

「カイも友達と食べればいいでしょう?」


 カイは黙った。


 言われてみれば、その通りだ。


「……前は待ってただろ」

「え?」

「俺が遅くなっても、ずっと待っててくれたじゃん」


 アイリは少しだけ目を瞬いた。


「お互い友人もいるんだし、毎日一緒に帰らなくてもいいでしょう?」


 穏やかな声だった。


 責めるような響きはない。


 だからこそ、カイは答えられなかった。


「……まあ、そうだけど」

「うん」


 アイリは前を向き、また歩き始める。


 カイも隣を歩いた。


 毎日一緒に帰らなくてもいい。


 当然だ。


 何か約束をしていたわけではない。


 アイリにはラウラがいるし、自分にも友人がいる。別々に過ごすことくらい、あって当たり前だ。


 それなのに。


 何かがおかしい。


 少し前まで、当たり前にあったものが。


 一つずつ。


 気づかないうちに、なくなっている。


 カイは隣を見る。


 アイリはいつもと同じ顔で歩いていた。


 怒っているようには見えない。


 嫌われたとも思えない。


 それなのに、前より少しだけ遠い。


 カイにはまだ、その理由が分からなかった。


 一方で、アイリの鞄の中には一枚の紙が入っていた。


 昨日、帰宅してから改めて取り寄せたもの。


 オルティギア王国。


 学院留学制度の案内。


 まだ、行くと決めたわけではない。


 ただ初めてアイリは、その紙をしまわずに鞄へ入れた。


 遠い国の話ではなく。


 自分が行くかもしれない場所として。


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