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いつもそこに君がいた ~嘘の告白から、幼馴染だった二人の距離が変わり始める~  作者: 黒猫と珈琲


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3/10

第3話 嘘の告白

 それから数日が経った。


 アイリとカイは、変わらず一緒に学院へ通っていた。朝になればいつもの場所で会い、授業が終われば都合の合う日は一緒に帰る。


 カイは今までと何も変わらない。


 アイリも、できるだけ変わらないようにしていた。


「アイリ、昨日のノートありがとう」

「分かった?」

「なんとか。途中までは」

「それ、分かってないでしょう」

「当たり。だから、今日、もう一回教えて」


 カイが笑う。

 

 アイリも、少しはにかむように笑い返した。


 こうして話していると、あの日聞いた言葉を忘れてしまいそうになる。


『ないない。幼馴染だぞ』


 けれど、ふとした瞬間に思い出す。


 昔から、カイが優しくしてくれるのは幼馴染だからだと思っていた。それでも以前は、どこかで少し期待していた。けれど今は、待っていてくれるのも、荷物を持ってくれるのも、二人で出かけるのも、昔からそうしてきたからなのだと考えるようにしている。


そう思えばいい。


最初から、何も約束されてはいなかったのだから。



 放課後。


 カイが鞄へ教科書を入れていると、窓際にいたエイドリアンが声を上げた。


「なあ、カイ。お前ならいけるんじゃない?」

「何が?」


 エイドリアンが窓の外を顎で示す。


 中庭を数人の令嬢が歩いていた。その中心にいるのは、学院でもよく知られた華やかな少女だ。明るい蜂蜜色の髪をきれいに巻き、いつも何人かの友人に囲まれている。


「あの子」

「……なんで?」

「この前、あの子、誰に誘われても全部断ったって話してただろ」

「ああ」


 そういえば、そんな話を聞いた気がする。


 カイにとっては、その程度だった。


「でも、お前なら落とせるんじゃない?」

「何それ」

「こう言っちゃなんだが、カイは顔がいいし、侯爵家だし、女の子と話すの慣れてるし」

「最後は褒めてるのか?」

「褒めてる褒めてる」


 エイドリアンが笑うと、近くにいた男子たちも面白がって話に乗ってくる。


「へー。面白いから、やってみろよ」

「嫌だよ」

「なんだ。怖いんだ?」

「何が」

「振られるの」

「別に怖くないけど」

「じゃあいけるだろ」

「そういう問題じゃないだろ」


 断ればいい。


 本当なら、それだけの話だった。


「まあ、そこまで言うなら無理にとは言わないけど」


 エイドリアンが軽い調子で言う。


「でも、カイでも自信ない相手っているんだな」


 その一言に、カイの手が止まった。


「……誰が自信ないって?」

「だって、やらないんだろ?」

「それとこれとは別だろ」

「はいはい」


 周囲から笑い声が上がる。


 十七歳の、くだらない挑発だった。


 少し考えれば、乗る必要などないと分かる。好きでもない相手に好きだと言う意味だって、考えれば分かったはずだ。


 けれどカイは、その少しを考えなかった。


「……じゃあ、行ってくればいいんだろ」

「え、本当に?」

「お前らがうるさいから」

「いやいや、そこまで言ってないって」

「今さら止めるなよ」


 カイは鞄を机へ置いた。


「告白すれば満足?」

「本気でやるのか?」

「振られたら笑うなよ」

「それは笑う」

「おい」


 カイも笑って、教室を出る。


 エイドリアンは一瞬だけ目を丸くしたが、そのときはまだ止めなかった。


 ただの悪ふざけ。


 カイも、エイドリアンも、その程度にしか考えていなかった。


 その言葉を聞く誰かにとっては、決して軽くないものだということを。



 アイリは図書室にいた。


 返却する本を三冊抱え、書架の間を歩いていく。


 本を返したら、今日はラウラと一緒に帰る約束をしていた。カイにも、先に帰ると伝えてある。


 最近は、そんな日が少しずつ増えていた。


 意識して距離を取ろうとしているつもりはない。ただ、毎日一緒でなくてもいいのだと、少しずつ思えるようになってきただけだ。


 カイと帰らない放課後にも、自分の時間はある。


「アイリ」


 図書室を出たところで、ラウラが待っていた。


「終わった?」

「うん。待たせてごめんね」

「全然。行こ」

「今日はどこか寄る?」

「港の近くに新しい雑貨屋ができたらしいよ」

「じゃあ、見てみたい」

「決まり」


 ラウラが嬉しそうに笑い、アイリもつられて笑う。


 少し前までなら、カイと一緒ではない放課後を物足りなく感じていたかもしれない。


 でも、ラウラと過ごすのも楽しい。知らない店へ行くのも楽しみだった。


 学院の裏手へ続く回廊を抜けようとした、そのとき。


「ちょっと待って」


 ラウラが足を止めた。


「どうしたの?」

「向こう、人がいる」


 回廊の先、中庭へ続く柱の陰に二人の姿が見える。


 男子生徒と、女子生徒。


 何か話しているらしい。


「別の道から行こうか」

「そうね」


 二人きりなら、邪魔をしない方がいい。


 アイリが引き返そうとしたときだった。


「――君のことが好きなんだ」


 聞き慣れた声がした。


 足が止まる。


 聞き間違えるはずがない。


 何年も、毎日のように聞いてきた声だった。


 アイリはゆっくりと振り返る。


 柱の向こうに立っている男子生徒。


 明るい金髪。


 見慣れた横顔。


 カイだった。


 その前には、蜂蜜色の髪をした令嬢が立っている。


「……え?」


 少女が驚いたように目を瞬いた。


 カイは少し照れたように笑う。


「だから、その……よかったら、俺と付き合わない?」


 アイリの指から、力が抜けた。


 手にしていたハンカチが床へ落ちる。


「アイリ」


 ラウラが小さく呼ぶ。


 けれど返事ができなかった。


 目の前の光景だけが、妙にはっきりと見えていた。


 カイには、好きな人がいたのだ。


『ないない。幼馴染だぞ』


 数日前に聞いた言葉が蘇る。


 あのときは、それだけで十分だったはずだ。


 自分は幼馴染。


 恋愛の相手ではない。


 分かっていた。


 それなのに、心のどこかではまだ待っていたのだろう。


 いつか変わるかもしれない。


 いつか、自分を見てくれるかもしれない。


 けれどカイは、別の少女にその言葉を渡した。


「……行こう」


 アイリは小さく言った。


「アイリ」

「ラウラ。行こう」


 ラウラは何も言わなかった。


 床に落ちたハンカチを拾い、アイリへ差し出す。


「ありがとう」


 受け取って、二人は静かに来た道を戻った。


 カイは最後まで、アイリがそこにいたことに気づかなかった。



 学院を出て、しばらく歩いたところでラウラが口を開いた。


「アイリ」

「うん?」

「……大丈夫?」


 いつものように「うん」と答えかけて、アイリは口を閉じた。


 大丈夫。


 何かあるたびに、つい使ってしまう言葉。


 けれど今は、自分でもよく分からなかった。


「ごめん」

「何が?」

「雑貨屋、今日はやめてもいい?」

「もちろん。帰ろう」

「うん」


 二人で港町へ続く坂を下りていく。


 海から吹く風が、アイリの黒髪を揺らした。潮の匂いがする。


 ラウラは何も聞かなかった。


 しばらく黙って歩いたあと、アイリがぽつりと言った。


「私ね」

「うん」

「カイのこと、ずっと好きだったの」


 ラウラは驚かなかった。


「うん」

「もしかして気づいてた?」

「なんとなくは、ね」

「そっか」


 アイリは少し笑った。


「まあ、そうね。カイの前だと、アイリってちょっと違うもの。いつもよりよく笑うし」

「そう……私って、そんなに顔に出てたのね」


 それきり、また黙る。


 アイリは自分の手元へ目を落とした。


 口には出さなかった。


 期待していないつもりだった。


 それでも、ずっと待っていた。


 明日も。


 来月も。


 来年も。


 変わらずそばにいれば、いつかカイが自分を選んでくれるかもしれないと。


 けれど、カイに好きな人ができたのなら。


 自分はいつまで、今までと同じように彼の隣にいるのだろう。


 好きな人がいる相手と毎朝待ち合わせて、一緒に学院へ行く。帰りを待って、昼を一緒に食べて、休日まで二人で出かける。


 それは、違う気がした。


「ラウラ」

「なに?」

「私、少し変だったのかもしれない」

「どんな風に?」

「カイとはずっと一緒だったから」


 アイリは前を向いた。


「これからも、ずっと一緒なんだって、どこかで思ってた。そんな約束、一度もしてないのに」


 自分で言葉にして、初めて気づく。


 必ず恋人になれると信じていたわけではない。


 けれどカイの隣には、ずっと自分の場所があると思っていた。


 何の根拠もなく。


「でも、そんなわけないよね」


 アイリが笑うと、ラウラが眉を寄せた。


「アイリ」

「大丈夫」


 そこまで言ってから、アイリは少しだけ首を振った。


「……ううん。ごめん。今日は大丈夫じゃないかも」


 口にすると、張りつめていたものがほんの少し緩んだ。


 ラウラも小さく笑う。


「じゃあ今日は、大丈夫じゃなくていいんじゃない?」

「いいのかな」

「いいよ」

「……そっか」


 アイリの声が、ほんの少しだけ揺れた。


「うん」


 二人はそのまま、並んで歩いた。



 翌朝。


 アイリはいつもの時間に家を出た。


 いつもの道を歩き、いつもの角を曲がる。


 そして、いつもの待ち合わせ場所には、カイがいた。


 アイリを見つけると、いつものように手を上げる。


「アイリ、おはよう」

「おはよう」


昨日、別の女の子に「好きだ」と告げた人が、何も変わらない顔で笑っている。


アイリは一瞬だけ、その顔を見つめた。

昨日のことなど、最初から何もなかったみたいだった。


「ん? どうした?」

「ううん」

「そう? じゃあ、行こうか」

「うん」


 二人で学院へ向かって歩き出す。


 カイは何も知らない。


 アイリが昨日の告白を見ていたことも。


 あの「好き」という言葉を、そのまま信じていることも。


 そして、その言葉を聞いたことで、アイリが初めて自分の立つ場所を考え始めたことも。


 しばらく歩いたところで、カイが振り向いた。


「今日は一緒に帰れる?」

「ごめん。今日はラウラと帰るの」

「……そうなんだ」

「うん」

「じゃあ明日は?」


 アイリは一瞬だけ黙った。


「明日は、まだ分からない」


 カイがこちらを見る。


 澄んだ青い瞳に、わずかな戸惑いが浮かんだ。


 けれどアイリは気づかないふりをして、前を向く。


 今までなら、カイの予定が自然と自分の予定の中にあった。


 帰る時間も。


 休日の予定も。


 カイと過ごせるかどうかを、どこかで先に考えていた。


 でも、これからは少し違ってもいいのかもしれない。


 私はいつまで、この人の隣にいるんだろう。


 昨日、初めてそう考えた。


 そして今日。


 アイリは自分から、ほんの少しだけ。


 いつもの場所を離れ始めた。


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