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いつもそこに君がいた ~嘘の告白から、幼馴染だった二人の距離が変わり始める~  作者: 黒猫と珈琲


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2/10

第2話 幼馴染という特別

 昼休み。


 カイは教室の後ろで、エイドリアンたち数人の男子生徒と話していた。


「なあ、カイ」

「ん?」

「アイリって可愛いよな」


 唐突な言葉に、カイは瞬きをした。それから、何を今さらというように笑う。


「まあね」

「なんだよ、その余裕」

「別に」

「いや、絶対おかしいだろ、その反応」


 エイドリアンが呆れたように言う。


 カイは机に軽く腰を預けながら、少し離れた廊下側の窓際へ視線を向けた。そこではアイリがラウラと話している。艶のある黒髪が窓から差し込む光を受け、わずかに藍色がかって見えた。


 何か面白いことでも言われたのか、アイリが小さく笑う。


「可愛いっていうか、昔からあんな感じだよ」

「その『昔から』を知らないんだって」

「そう?」

「俺たちからすると、普通にかなり人気あるぞ」


 カイは首を傾げた。


「知ってるけど」

「知ってるのかよ」

「そりゃ分かるだろ」


 エイドリアンがアイリを見る。それにつられて、周囲の何人かもそちらへ視線を向けた。


 派手な華やかさがあるわけではない。それでも整った顔立ちと落ち着いた雰囲気は人目を引くし、誰かに話しかけられればきちんと相手を見て答える。笑うと、普段の静かな印象がふっと柔らかくなる。


 けれど本人には、自分が目立っているという自覚がほとんどない。


 そのとき、教室の入り口から教師がアイリを呼んだ。


「アイリさん、少しいいですか?」

「はい」


 アイリはラウラに何か言って席を立つ。そのまま教師と一緒に廊下へ出ていった。


 カイはそれを何となく目で追ってから、友人たちへ視線を戻した。


「じゃあさ」


 エイドリアンの隣にいた男子が、少し声を潜める。


「付き合ってないなら、俺が誘ってもいい?」


 カイは反射的にそちらを見た。


「やめとけば?」

「早っ。なんでだよ」

「アイリ、そういう軽い感じ嫌いだと思う」

「別に軽く誘うって言ってないだろ」

「でもお前、先月も別の子に声かけてたじゃん」

「それとこれとは別」

「同じだろ」

「なんでお前が判定するんだよ」


 周囲から笑いが起きる。


 けれど、カイは何となく面白くなかった。


 アイリが誰かに誘われる。その相手と二人で町へ出かけて、放課後には並んで帰る。自分の知らないところで待ち合わせをして、自分以外の誰かと楽しそうに笑う。


 そんな光景を思い浮かべると、妙に落ち着かない。


「じゃあ、真面目に誘えばいい?」

「それもどうだろ」

「お前、結局全部止めるじゃん」

「だって」


 そこでエイドリアンが、にやりと笑った。


「もしかして、カイ」

「なんだよ」

「お前、アイリのこと好きなの?」


 一瞬、カイはぽかんとした。


 次の瞬間、声を上げて笑う。


「はは。ないない。幼馴染だぞ」

「幼馴染でも好きになるだろ」

「ならないって」

「なんで言い切れるんだよ」

「だってアイリだぞ?」


 カイは笑った。


「小さい頃からずっと一緒なんだよ。今さらそういうのじゃないって」

「ふうん」


 エイドリアンたちは、どこか納得していない顔をしている。


「じゃあ本当に、誰かが誘ってもいいんだな?」

「……それは」

「ほら」

「だから、お前はやめとけって」

「俺限定かよ」

「信用がない」

「ひでえな」


 また笑いが起きる。


 カイも一緒になって笑った。


 深く考えてはいなかった。


 自分とアイリは昔からずっと一緒にいる。それは恋人とは違うし、家族とも違う。それでも、他の誰かと同じかと聞かれれば、それも違う。


 ただ、その関係を何と呼べばいいのか。


 カイはまだ、考えたことすらなかった。



 アイリは、教師から預かった資料を抱えて教室へ戻る途中だった。


 扉の近くまで来たところで、自分の名前が聞こえた。


『お前、アイリのこと好きなの?』


 足が止まる。


 聞くつもりなどなかった。


 けれど次の言葉は、はっきりと耳に届いた。


『はは。ないない。幼馴染だぞ』


 明るい、いつものカイの声。


 冗談でも、照れ隠しでもない。本当に何でもないことのような言い方だった。


 アイリは資料を抱く腕に、少しだけ力を込めた。


 分かっていたはずだった。


 カイにとって、自分は幼馴染なのだ。好きだと言われたこともなければ、恋人になりたいと言われたこともない。ただ物心がつく前からそばにいて、誰より長い時間を一緒に過ごしてきただけ。


 それでも心のどこかでは、いつか、と待っていた。


 いつかカイも、自分と同じ気持ちになってくれるかもしれないと。


『小さい頃からずっと一緒なんだよ。今さらそういうのじゃないって』


 続いて聞こえた声に、アイリはそっと目を伏せた。


 期待しないようにしていたはずなのに。


 自分が思っていたよりずっと、期待していたらしい。


「アイリ?」


 後ろから声をかけられ、肩が揺れた。


 振り向くと、ラウラが立っていた。


「どうしたの?」

「え?」

「戻ってこないから、見に来たの」

「……先生に資料を頼まれてたの」

「それは見れば分かるけど」


 ラウラは一度、教室の方を見る。


 中から男子たちの笑い声が聞こえていた。


 それからアイリの顔へ視線を戻し、何も聞かずに手を伸ばした。


「半分ちょうだい」

「大丈夫。これくらい持てるよ」

「でも二人で持った方が楽でしょ」

「……ありがとう」

「どういたしまして」


 二人で教室へ入る。


 カイはすぐに気づいた。


「あ、アイリ。それ、先生の資料?」

「うん」

「重かっただろ。呼べばよかったのに」

「ラウラが持ってくれたから」

「そっか」


 いつもと同じ声だった。


 いつもと同じ顔で、カイは笑っている。


 アイリも何も言わず、自分の席へ向かった。


「アイリ」


 再び呼ばれ、振り返る。


「なに?」

「今日、一緒に帰るよな?」


 それも、いつもと同じ言葉だった。


 何度も聞いてきたはずなのに、今日は返事がすぐに出てこなかった。


「……うん」

「じゃあ、あとでな」


 カイは気づかなかった。


 ほんの少しだけ遅れた、その返事に。



 放課後。


 二人は学院から港町へ下りていく、いつもの坂道を歩いていた。


 風が吹くたびに遠くから潮の匂いが運ばれ、通りの向こうでは港へ戻る荷馬車の車輪が石畳を鳴らしている。


「今日の数学、難しくなかった?」

「最後の問題?」

「そう。途中から意味分からなくなった」

「あれは最初の式を変えるの」

「やっぱり?」

「ノート見る?」

「いいの?」

「うん。明日持ってくるね」

「助かる」


 会話はいつも通りだった。


 けれどアイリは、いつの間にかカイより半歩ほど後ろを歩いていた。


「……アイリ」

「なに?」

「今日、歩くの遅くない?」

「そう?」

「いつももっと速いだろ」


 カイが立ち止まり、アイリも足を止める。


「疲れた?」

「ううん」

「具合悪い?」

「大丈夫」

「本当に?」

「うん。少しぼんやりしてただけ」

「ならいいけど」


 カイはまだ少し気になるようだったが、やがて前を向いて歩き出した。


 その歩幅が、さっきより少しだけ小さくなる。


 アイリはその足元を見つめた。


 自分が遅れているから、合わせてくれている。


 たぶんカイ自身は、そんなことをしていると意識すらしていない。


 そういうところが、ずるい。


 荷物を持ってくれる。待っていてくれる。小さな変化に気づいて、こうして歩幅まで合わせてくれる。


 だから、ずっと期待してしまった。


 もしかしたら、自分はカイにとっても特別なのではないかと。


『ないない。幼馴染だぞ』


 けれど、カイにとっての「特別」と、自分が欲しかった「特別」は違ったのだろう。


「ねえ、カイ」

「ん?」

「この前言ってたケーキ屋さん、今度の休日だったよね?」

「うん。何か予定入った?」

「ううん。確認しただけ」

「じゃあ予定通りな」


 カイは何の迷いもなく答えた。


「楽しみだな。港の向こうの国で流行ってるケーキがあるらしいぞ」

「そうなんだ」

「アイリ、木苺のやつ好きそう」

「どうして分かるの?」

「分かるだろ、それくらい」


 当然のように言われて、アイリは返事に困った。


 好みを覚えていてくれる。


 二人で休日に出かける。


 それなのに、恋ではない。


 昨日までなら、それでもよかった。


 いつか変わるかもしれないと、待つことができたから。


「アイリ?」

「なに?」

「やっぱり今日、変じゃない?」

「そうかな」

「なんていうか、静か」

「いつも静かでしょう?」

「そういう意味じゃなくて」


 カイが少し眉を寄せる。


 その顔を見て、アイリは小さく笑った。


「大丈夫だよ」

「……ならいいけど」


 また、その言葉を使ってしまった。


 本当は大丈夫ではないのに。


 けれど今ここで、自分が何を聞いたのかをカイに告げる気にはなれなかった。


 責めることでもない。


 カイはただ、自分の気持ちを答えただけなのだから。


 好きではないものを、好きではないと言っただけ。


 それに傷ついたのは、アイリが勝手に待っていたからだ。


 やがて、いつもの分かれ道が見えてきた。


「じゃあ、また明日」

「うん。また明日」


 カイがいつものように手を上げる。


 アイリも小さく手を振って、自分の家へ続く道を歩き出した。


 明日も会う。


 今度の休日には、一緒にケーキを食べに行く。


 何も変わらない。


 少なくとも、カイにとっては。



 翌朝。


 いつもの場所には、カイが先に来ていた。


「おはよう」

「おはよう」

「今日は俺の方が早かった」

「珍しいね」

「たまにはね」


 カイは笑って、アイリの隣へ並ぶ。


「行こう」

「うん」


 歩き始める。


 昨日までと同じ朝。同じ道。同じ人。


 けれどアイリは、いつもよりほんの少しだけ離れて歩いた。


 肩が触れないくらい。


 腕がぶつからないくらい。


 それだけの、小さな距離だった。


 カイはまだ気づいていない。


 アイリ自身も、何かを変えようと決めたわけではない。


 ただ、昨日までのように何も知らず、カイのすぐ隣を歩くことができなかった。


 ずっと自分の場所だと思っていたところから。


 ほんの半歩だけ。


 アイリは離れ始めていた。


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