9 生意気な小娘
「はい……?」
一体、その目は何なのだろうか? 魔力を使ったことに対して疑問が飛ぶことは想定内だったが、彼女らの向ける視線は疑念の意を越した、敵意を持った目だ。
特に、顔を歪ませる令嬢たちの中心にいるカルロッタ嬢からの視線が痛い。
あなたって、いつも中心に居なくちゃ気が済まない性格なのかしら? 私はあなたが嫌いなのに、あなたはいっつも私の前に現れるのね。
「早くアリステア皇女から離れてくださ……」
「アリステア!!」
カルロッタ嬢とは別の声が、それをかき消すように響いた。
その場に居た全員の視線がその声の主へと向く。
「アルセイン!」
「……皇子」
どうしてあなたがここにいるの?
「姫、アリステアは……」
駆け寄って来たアルセイン皇子は真っ先に私の元に来て膝を付くと、支えていたアリステア皇女を心配げに見下ろした。
いつもの余裕ありげな様子からは到底思えない、かなり取り乱した様子。
よっぽど妹のことが心配なのね。
「大丈夫です、気を失っているだけですから。身体に溜まっていた悪性化した魔力は既に浄化しました。ですが、まだ安心はできません。かなり身体に負荷がかかっているようなのですぐに医者にみせた方が良いかと」
「……そうか。わかった」
「皇子! 皇女様は……?」
後方から駆け寄ってきたのは、アルフィアス公爵家の令息フレデリック・アルフィアス。
「フレデリック、皇子妃と客人たちを頼んだぞ」
「かしこまりました。お任せください皇子」
それだけを告げると、皇子はアリステア皇女を抱いたまま足早に宮殿の奥へと姿を消した。
残された私たちと、新たにアリステア皇女に代わって加わったフレデリック公子。
空気は、最悪だ。
「やはり噂は本当だったのですね、ルクレティア妃」
ぞっとするような声音で、カルロッタ嬢が口を開いた。
アリステア皇女の件は落ち着いたが、私はまだ本題が残っている。
先ほどからひしひしと感じている、悪意じみた目だ。
「カルロッタ嬢、先程から一体なんですか? 私にはあなたの言っている意味が全く分からないのですが」
「とぼけないでください。あなたが皇女に向かって魔力を使い出してから皇女は気を失ったではありませんか。それとも、これがただの偶然だとでも仰るのですか?」
「ええ、ただの偶然ですわ。それに、痛みに苦しんだまま意識を持つよりも、失った方が幾分も皇女にとって楽だと思いますよ」
「それは皇女殿下が決めることであって、あなたが決めることではないでしょう?」
「それをいえば、カルロッタ嬢もそうではありませんか」
私の言葉に彼女はぐっと言葉を詰まらせた。しかし、それを庇うように周囲の令嬢たちが次々に声を上げていく。
「テレジアンの姫が魔力を使いこなせるだなんて聞いたことがありません」
「皆さんご覧になりましたか?」
「ええ、見ました。まるで魔女のように魔力を使われる姿を……」
刺すような視線が一斉に私へと注がれる。
ここに居る皆がカルロッタ嬢の味方。
どう考えても、この状況は私にとって不利だった。
……まあ、私が不利じゃない時などあったためしがないのだが。
「落ち着いてください、カルロッタ嬢。貴女らしくありません」
そのとき、私を庇うようにしてフレデリック公子が前に出た。
「そうですか? 私はいつもこうですよ」
「皇子妃に対しての発言は慎重に行うべきです」
「もちろん承知の上ですよ。それに、フレデリック公子は一部始終を見ていないから言えるのです。確かに私たちは見ました。……もしや、アリステア皇女の魔力が暴走したのも、ルクレティア妃が原因なのでは……?」
どうやら言葉を選ぶつもりはないらしい。
「はあ……皆さん、ここが皇宮だということをどうかお忘れなく。ルクレティア妃、まずは宮殿へ戻りましょう。皆さんには帰りの馬車を用意してあります。分かっているかとは思いますが、アリステア皇女の顔を汚すような行動は避けてください」
カルロッタ嬢を含めて、令嬢たちは納得いかない様子だったが、これ以上公子の言葉を遮るわけにもいかなかったのだろう。
不満を隠しきれないまま「公子が仰るのなら」と、次々に口を閉ざしていった。
やがて、手際よくやってきたメイドたちに導かれ令嬢たちはその場を去っていった。申し訳程度に私へと礼を取り、目を合わせることもなく足早に。
その中でただ一人、カルロッタ嬢だけがひときわ完璧な礼を取り、刃のように鋭い視線を私へ突き刺して踵を返していった。
「お待ちください、ルクレティア妃! エメラルド宮までお送りいたします」
皆が去っていったのを見切ってから、私も自分の部屋へと戻ろうとしたとき。背後から制止の声がかかり、私は足を止める。
「結構です。一人で帰れますから」
「ですが……」
私はゆっくりと振り返り、フレデリック公子のマリンブルーの瞳を見つめた。
「公子は、私が何か仕出かすのではないかと心配なんですよね?」
「……はい?」
案外顔に出やすいタイプなのか、フレデリック公子は目を瞬かせて少し困ったように眉尻を下げた。
「大丈夫ですよ。これでも私、身の程は弁えているつもりですから」
「……そうではありません。僕はアルセイン皇子殿下に忠誠を尽くしています。ですから皇子に頼まれた貴女様のことを一人にするわけにはいきません」
話には聞いていたけど、アルティアスの公子はかなり真面目な人なのね?
私が断れば、あなたが困ってしまうと。あくまで私に断らせない言い方をしている。
はあ……。
「……わかりました。では、よろしくお願いします」
「はい、お任せくださいルクレティア妃」
フレデリックはほっとしたように小さく息を吐き、穏やかな笑みを浮かべた。
気を遣わせてしまったのだろうか。ほんの少し、罪悪感が沸く。
だけど今の私には、彼のことを気にして言葉を選べるほどの余裕はなかった。
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「う……」
気持ち悪くて、気持ち悪くて、頭がどうにかなってしまいそうだ。
宮殿まで送ってくれたフレデリック公子は私をメイドに託すと「失礼します」とだけ言い残して、すぐにエメラルド宮を後にした。
予定よりもずっと早くの帰り、それも公子に送られて来た私をメイドはこちらをじっと見つめてきていたが、その目には明らかな警戒と不信の色が滲んでいた。
「今日はもう一人にして欲しい」と頼むと、彼女は一瞬ためらったものの、すぐに「かしこまりました」と小さく一礼し、部屋を後にした。
扉が閉まる音が響いた瞬間、私はその場に膝をついた。
ああ、最近はメイドたちも私に世間話をしてくれるくらい打ち解けたと感じていたのに。
アルセイン皇子と親しい関係だと誤解しているからだとしても、私はそれが……少しだけ嬉しかった。
床に座り込んだまま口元を手で覆い、込み上げる吐息を必死に抑える。
「ふう……」
落ち着いて、落ち着くのよ、ルクレティア。
まだ大丈夫。どうとでも言える。
私は何もやっていない。今までもそうだったように、今回だって何もやっていない。ただアリステア皇女を助けようとしただけじゃない!
……だけど、もしアリステア皇女本人が私に襲われたと言ったら?
皇女は明らか様に私を嫌っていた。そんな彼女が、真実とは違う言葉を口にしたとしても――誰が私の無実を信じてくれる?
「テレジアンに……お父様に報告がいっちゃう」
どうする? どうしたらいいの?
きっと失望させてしまう。ただでさえ、私は出来損ないの娘なのに。
どうする? どうしたら、どうしたらいいのよ。私がミスをしたばっかりに、気を緩めたばかりに……!
こんなことになるなら、無理やりにでも理由をつけてお茶会になんて行かなければよかった。こんなことになるなら、皇女を助けなければよかった。
あんな生意気な小娘、見殺していればよかったじゃない。
どうして、どうしてこうも私は上手くできないのよ。
「どうしてよ……」
感情に収拾が付かず、吐息と一緒に声をこぼした、そのとき。コンコンッとノック音が鳴り響いた。私は急いで涙を拭って振り返る。
「ルクレティア妃」
扉越しに響いたその声は、先ほど顔を合わせたメイドのものだった。
「……なに? 今日はもう来ないでって言ったはずよ」
「あの、それが……」
「俺だ。少し話をしたい」
おどおどとしたか弱いメイドの声に被さった、力強い男の声。
「……アルセイン皇子」
私の夫の声だ。
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