8 人を縛る鎖
「アルセイン皇子殿下、申し付かっていた書類はこちらにまとめてあります」
「助かるよ、フレデリック」
フレデリックの金色の瞳が、まっすぐに彼を見つめていた。何か物申したそうな顔をしながら。
考えていることが顔に出てしまうところがこの男の良い所でもあるが、気に入らない時の顔と、真剣な時の顔の区別がつかないのは少し厄介だ。
フレデリック・ティアルジ公爵令息。
銀色の髪と金色の瞳。優しげな表情は、確かに貴族としての品格を感じさせる。
ティアルジ公爵家の男たちは、なぜ、揃いも揃って似たような顔立ちをしているのか。
先代公爵も現公爵も、そして目の前のフレデリックも、まるで鏡写しのように同じ顔をしていた。
「皇子殿――」
「ここにはお前と俺以外誰も居ないのだから、わざわざ堅苦しい呼び方も言い回しもする必要はない」
言葉を遮るようにそう告げると、フレデリックは軽く眉間を寄せ、不満を吐き出すようにため息を着き、話し始めた。
「それなら、ここは家臣としてではなく、一人の友人として言わせてもらうよ。アルセイン」
「ああ」
「……君は、どう思っているんだ?」
フレデリックの男性の顔が歪められる。
動かし続けていたペンから視線を逸らし、その姿を一瞥したアルセインは静かに返す。
「どう思ってるって?」
「それはもちろん、あのテレジアン王国の悪名高い姫君のことさ」
やはりかと、何度目になるかも分からない溜息をつきそうになる。
戦地より帰還してからというもの、周りの人間は口を開くとルクレティア姫のことばかりだ。
その事実に、アルセインは呆れきってしまっていた。
「さっきから物言いたげな顔をしていると思えば、そんなくだらないことを考えていたのか」
「くだらないだと? 僕は君を心配して言っているんだ。それに、君の大切な妹君のことも。皇女様がお茶会を開かれることなど、今まで一度もなかったことだろう」
フレデリックの言葉は理にかなっていた。確かに彼の言うとおり、誕生日や公式行事を除けば、アリステアが宮殿に自ら客を招いたのはこれが初めてだった。
「それも、皇帝陛下が体調面を懸念して反対されていたにも関わらず、お前が無理やり許可を出してやったというではないか。一体、どういう風の吹き回しだ?」
「特に深い意味があるわけじゃない。友人を家に招きたいと願う子供の頼みを拒む理由がないだけだ。それに俺は、できる限り、あの子の好きにさせてやりたいと考えている」
「好きに……か」
「ああ、そうだ」
簡潔に答えたアルセインに、フレデリックは肩をすくめながら皮肉を滲ませた声で言う。
「君のシスコンっぷりは健在みたいで安心したよ、アルセイン。わざわざ仕事場を、いつもの執務室からルビー宮の離れに移すくらいには心配で仕方ないらしいな?」
「……悪いか?」
「いや、仲が良くて羨ましいと言っているんだ」
「ならばその人をバカにしたような笑みはなんだ」
「そんなまさか。僕が敬愛する皇子殿下をバカにするはずがないではありませんか」
図星だったが、わざわざそれを口に出されるとこちらとしても少しばかり居心地が悪い。
この部屋にある大きな窓からは、ルビー宮の庭園を見渡すことができた。
手入れの行き届いた芝生に置かれた円卓を囲んで、アリステアと、招いた数人の令嬢たちが談笑しているのが目に入る。
その中に、彼女の姿もあった。
テレジアン王国で大切に育てられた姫、ルクレティア。
陽光を受けて輝く金色の髪。所作のひとつひとつが洗練されていて、笑顔は柔らかで、愛らしさと美しさを兼ね備えた、すべてが計算されたかのような完璧さ。
今の彼女を見ていれば、あの日、美しい顔をぐちゃぐちゃにして泣きついてきたことが嘘みたいだった。
貴族、ましてや王族の人間にしては珍しいほど、ころころと変わる表情。
泣いて、喚いて、拗ねて……人間味のある姿が愛らしく、ついからかいたくなってしまい言葉を重ねていると、いきなり涙を浮かべて声を上げられたときは本当に驚いた。
すぐに抱き上げて宮へ連れ帰ろうとすれば、彼女は更に距離を縮めてきた。
彼女としては、自分のことに必死で何が何だか分かっていなかったようだが……。
愛も自由も、望む資格のない生まれだ。いつか政略結婚をすることくらい覚悟していた。
どんなレディーが嫁いで来ようとも、ヴァレンツィアの皇子として、愛は無くとも妃を大切に扱うつもりだった。
まあ、覚悟はしていたといっても、まさか戦地に居た半年間のうちに結婚を決められ、帰った頃には婚姻が済まされていたとは思ってもいなかったが……。
凱旋式で初めて顔を合わせることになると思っていたテレジアンの姫とは、意外にも帝国までの帰路に立ち寄った酒場で出会った。
彼女が何者なのか、一目見ればすぐに分かった。
場違いなほど上品な雰囲気をまといながら、ローブの下からちらりと覗く黄金の髪。
その姿を視界に入れて、すぐに確信した。
彼女こそが俺の妻、テレジアン王国のルクレティア姫だと。
美しく輝く金髪に思わず視線を奪われ、暫くの間その姿を目で追っていると、彼女は突然立ち上がり、店の隅で子どもに絡んでいた男に金貨を投げつけた。
躊躇いなく、毅然と。そしてなぜか、少しだけ悲しげな目をして。
あれが噂に聞く、“悪名高きテレジアンの姫”だとは。
盗みを働いた少年を庇い、怒鳴る男に金貨を投げつけた彼女は噂とはまるで違って見えた。
……そして、今。
開け放たれた窓の向こうから、庭園に響く楽しげな笑い声が耳に届く。
「意外と、仲良くやっているみたいだな」
だが、いつまでも外の様子ばかり気にしているわけにはいかない。
アルセインは小さく息をつくと、机の上に積まれた書類へ視線を戻した。
その瞬間だった。
「キャアアッ!」
庭園中に響き渡る鋭い悲鳴。
あまりに突然の叫び声に、彼は反射的に顔を上げ、窓の外へ目を向ける。
視界に飛び込んできたのは、先ほどまで楽しそうに微笑んでいた妹の姿だった。
彼女は苦しげに口元を押さえ、その場で力なく膝をつき、その細い身体は芝生の上へ崩れ落ちた。
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「大丈夫ですか、皇女様!」
アリステア皇女の傍に令嬢が、地面に座り込んで苦しそうに顔をしかめる皇女に向かって手を伸ばそうとする。
「待って! 触れてはダメよ!」
それを止めたのは、カルロッタ嬢だった。
「魔力が込められた血に触れたら、あなたまで……!」
「で、ですが、カルロッタ嬢……!」
取り乱した令嬢を嗜めながら、視線をアリステア皇女に落としたカルロッタ嬢は皇女から距離を取り、声をかけはじめた。
「皇女殿下、私がすぐに魔術師を呼んできます。ですから少し我慢していてくださ――」
「退いて!」
もどかしくなるほど慎重に動く二人を押しのけ、席から勢いよく立った私はアリステア皇女に駆け寄った。
迷っている時間などない。魔術師が来るのを待っていたら、彼女の体はきっと取り返しのつかないことになる。
「皇女、しっかりしてください!」
やせ細った身体を支えるようにして傍らに膝をつくと、アリステア皇女が弱弱しく顔を上げた。
「皇子妃……だめです、私に近寄れば、あなたも……」
色白の肌はいつにも増して青白く、唇が微かに震えている。
前に聞いたことがある。
ヴァレンツィアには、“魔力を制御できぬ者の血には呪いが宿り、その血を他者が触れれば、その呪いもまた伝播する”という、根も葉もない、遥か昔の国王の発言が今でも根強く残っていると。
だからこそ、膨大な魔力を抱えながらも制御できぬアリステア皇女は、人目を避けるように宮殿に閉じこもっていたと。
しかし、そんなものは根拠のない単なる迷信……噂にしか過ぎない。
私は、噂がこの世で一番嫌いなの。そんなものに振り回されるなんてバカじゃない。
アリステア皇女の潤んだ瞳が限りなく痛々しく見え、私は眉をひそめた。
「黙っていてください、生意気な皇女さま。私がすぐに楽にしてあげます」
私は彼女の胸元に手を添えて、自身の魔力をこれでもかと流す。
彼女の身体に溜まった魔力の暴走を抑えるには、新鮮な魔力を流し、彼女の中に溜まった古い魔力を流すのが一番だ。
アリステア皇女の胸元と、私の手の間にエメラルドグリーンの光が現れる。
「ルクレティア妃、ご無事ですか! 私に何かできることは……」
誰もが自分の身を案じて一歩、また一歩と後ろへ下がる中、唯一駆け寄ってきてくれたのはセシリア嬢だった。
「私は大丈夫です。それより、アリステア皇女の主治医を今すぐ呼んでください。それから魔術師もお願いします」
セシリア嬢は私の言葉に頷くと、すぐに踵を返して駆け出していった。
「く、くるしい……」
アリステア皇女の瞳がうつろになり、やがて静かに閉じられていく。
「どうか我慢してください、少しの辛抱です」
だが、その体に満ちていた魔力の暴走は確かに収まりつつあった。
「くるしい……誰か、たすけて、私をたすけて……お兄さま……」
意識を失う寸前に出た言葉が兄を求める言葉だとは。
やっぱり、お兄様のことが大好きなんじゃない。
気を失ったことは彼女にとって救いだっただろう。これ以上痛みに蝕まれるより幾分も楽だろうから。
アリステア皇女の中で暴走していた魔力がだんだんと落ち着いていき、静まる。
安堵した私は、彼女からゆっくりと手を離した。
「なんてことを……!」
その時、鋭く、張り詰めた声が空気を裂いた。
声を上げたのは、カルロッタ・セリフィア……あの女だ。
「あなた……皇女に何をしたのですか!」
「……はい?」
振り返れば、そこには顔面を蒼白に染めた令嬢たちがまるで魔物でも見るかのような目で私を見ていた。
まるで、目の前に立つ私が皇女を呪い殺した魔女であるかのような目で。




