7 笑顔という仮面の裏で
「まあ、日差しが暑いですね」
「このくらいがちょうどいいではありませんか。健康のためにも日光を浴びることは大切ですから」
「ですよね? ルクレティア妃」
ルビー宮にある皇女専用の庭園は、まるで絵画のように色彩に満ちていた。
白亜の噴水が水音を立て、愛らしいカラフルな小鳥たちのさえずりが風に混じる。咲き誇る花々が煌めいており、エメラルド庭園とはまた違った美しさがある庭園だ。
「ええ、そうですね。このくらいの日差しだと、日傘が必要ないくらいかもしれません」
もちろん、このお茶会の主催者はこの庭園の持ち主であり、この国の皇女。
そして私の義妹となった、アリステア・ディ・ヴァレンツィア皇女殿下だ。
「皆さん、こちらへどうぞ。既に準備は整っておりますわ」
アリステア皇女はそう言うと、甘いピンク色の髪を揺らしてニッコリと愛らしい笑みを浮かべた。
「お先に、皇子妃からお座りになってください」
「ありがとうございます」
アリステア皇女に言われ、私は1番近くにあった椅子を引いて席に着く。
「では、私はこちらに」
アリステア皇女は私と反対側に対面になるようにして座った。
「さあ、皆さんもおかけになってちょうだい」
アリステア皇女の柔らかな声に従い、取り巻く令嬢たちが一人、また一人と椅子を引く。
そして、丸い円状の机の席で私のことを避けるようにして遠い場所から座っていった。
まったく、分かりやすいんだから。
「ふふっ、きっと皆さん遠慮してくれているのね」
アリステア皇女は微笑みを浮かべたまま、わざとらしく小さく首を傾げてみせる。
遠慮、ね。ただ単に誰も私の横に座りたがらないだけだと思うけど。
愛らしい笑みを浮かべてはいるが、どこか嘘くさい。
一国の皇女というものは、やっぱりどこか影を被っているものなのだろうか?
こちらも負けずにとびきりの作り笑顔を向けておく。
咲き乱れる花々よりも鮮やかで、どこまでも完璧な笑みを。
たとえ、ちっとも面白くないことでも、それが顔に出るようではこの場所では生き残れないから。
皇女の隣と、嫌われ者の隣。
どちらを選ぶかなんて考えるまでもない。
見えない選択肢のようでいて、実際は明白な二択。
私の隣の席はさながら罰ゲームの椅子とでも言おうか?
今から、令嬢たちによる押し付け合いでも始まるのかしら。それはちょっと興味深いわね。
「ごきげんよう、ルクレティア妃」
「……セシリア嬢」
優しげな笑みとともに声をかけてきたのは、セシリア・ローディエンス侯爵令嬢。
私の金髪よりも少し白っぽいハニーブロンドの髪が日差しの光を受けて煌めいており、瞳の色と同じ、淡い紫色のドレスがよく似合っている。
必要以上に擦り寄ってくることもなく、かといって公然と敵意を向けるでもない絶妙な距離感を保てる人。
まあ、もしかしたらその悪意すらも隠せるほどの人間なのかもしれないが……。
「お隣、私が座ってもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。どうぞおかけください」
少しだけ驚いた素振りを見せてしまった自分を、心の中で咎めつつ、セシリア嬢の穏やかな笑みに返すようにしてニコリと笑っておく。
「アリステア皇女。皇女の隣はもちろん、私ですよね」
「カルロッタ嬢! エヘヘッ、当たり前じゃないですか」
わざとらしいほど明るい声。二人のやり取りに視線を向けると、カルロッタ嬢が誇らしげに胸を張って皇女の隣へと歩いていくところだった。
よりにもよって、カルロッタ嬢がアリステア皇女の横に座ったのね。
カルロッタ嬢を目で追っていると、向こうもこちらに気が付いたのか、ニコッと明るく笑顔を向けてきた。
私も急いで笑顔を返しておく。
カルロッタ・セリフィア嬢。
皇宮で開くお茶会に、侯爵家のご令嬢であるカルロッタ嬢を呼ばないわけにはいかないから覚悟はしていたけれど、随分アリステア皇女と仲が良いみたいね?
そして私のもう片方の隣に座ったのは、最後まで立っていた人の中で一番身分の低い令嬢だった。
気まずそうにこちらをチラリと見て、「失礼します」と言い席に着いた。
「さあ、皆さん始めましょうか。楽しいお茶会を」
アリステア皇女の一声とともに、控えていたメイドたちが一斉に動き出した。
銀のポットからは芳醇な紅茶の香りが広がり、彩り豊かなスイーツが静かにテーブルに並べられていく。
白と金のティーセットが陽の光を反射してキラキラと煌めいていた。
「カルロッタ嬢が着られているドレス、とっても素敵ですね?」
「ありがとうございます。これはレディー・ポンパディユールの店のものですよ。アリステア皇女の紹介していただきましたの」
「まあ! あのレディー・ポンパディユールの?」
「ええ、そうです」
上品な刺繍と繊細なレースが施されたドレスは、確かに目を引く美しさだった。カルロッタ嬢の体格にもぴたりと合っており、仕立ての良さが一目でわかる。
周囲の令嬢たちも興味津々といった様子で、ひとしきりその話題で盛り上がっていた。
「そういうルクレティア妃のドレスも、レディー・ポンパディユールのものでなくて?」
令嬢たちの会話に参加していたセシリア嬢が、突然私に話題を降ってきた。
私の名前が突然挙がり、明らか様に空気がピリつく。
邪魔者の私は放っておいてくれて構いませんのに……。
「はい、そうです。ですがレディー・ポンパディユールという方にあまりピンとこなくて……。ヴァレンツィアでは有名なデザイナーの方なのですか?」
なるべく柔らかく、波風を立てぬように微笑を添えて問い返す。
「そりゃあ、もちろんですよ!」
「彼女のデザインするドレスに勝てるドレスなど、ありません」
「まあ、そうなんですね。私もその方に興味が湧いてきました」
そういえば、今朝ドレスを用意してくれたメイドたちもそんなことを言っていたような……。
「レディー・ポンパディユールと言えば、アリステア皇女のお気に入りのデザイナーでもありましたよね?」
「ええ、皆さんの仰るとおり、彼女のドレスに勝てるものなどありません。……まあ、それはあくまでヴァレンツィアだけの話ですが……」
皇女が褒めるだなんて、本当に素晴らしいデザイナーなのね。
ところで、なにか引っかる言い方に思えるのは私の気のせいかしら?
「大国、テレジア王国に比べれば、この国の物はどれもみすぼらしく見えてしまうでしょうね。そうでしょう? 皇子妃」
扇子を片手に、ニコッと愛らしい笑みのまま言い放ったアリステア皇女。
「何を仰っているのですか? アリステア皇女。そんなはずありませんわ」
「正直に言ってくださって構いませんよ、皇子妃。テレジアに居た頃は随分と自由に過ごされていたみたいですね。ヴァレンツィアでは、かなり息苦しい思いをされているのではありませんか?」
「そんなまさか。これでも自由にさせてもらっているくらいですよ」
笑顔を崩さずに答える。だが、ティーカップを持つ指先に、微かに力が入ったのがわかった。
「そうですか。それは良かった」
アリステア皇女は、先ほどまでの無邪気な笑みを少しだけ引き締め、まるで何かを見透かすような涼しげな瞳で私を見つめてきた。
ヴァレンツィア帝国の皇女といえば、気弱で病弱な皇女と聞いていたのだけれど……一体、どこぞのバカがそんな噂を流したのかしら?
どこからどうみても、この目に映る彼女の姿は血に飢えた獣のように鋭い目をしているわよ。
獲物を前にした、捕食者のように。
結局、噂なんて当てにならないものなのね。
「そういえば……近頃、少し気になる噂を耳にしましたの」
そのとき、アリステア皇女の隣、カルロッタ嬢の逆側に座っていた別の令嬢が世間話を始めるかのような軽やかな声で口を開いた。
「気になる話ですか?」
「まあ、何でしょう?」
何人かの令嬢が興味深そうに身を乗り出し、声を重ねる。
「確か、ルクレティア妃がテレジアに居た頃、ある令嬢を舞踏会で階段から突き落とした……といったような噂だったかと」
カチャ、と誰かの手元から落ちたスプーンがティーカップの受け皿の縁に当たった音がした。
まるで、それが合図だったかのように場の空気がさらに一段と重くなる。
「まあ、それはまたずいぶんと物騒なお話ですね」
アリステア皇女が苦笑混じりに返す。
……なんだ、やっぱりそういうことだったのね。
「相手の令嬢は平民出身だったようで、再婚によって貴族令嬢となった方だとか……」
アリステア皇女がお茶会に私を招待した時点で、私に一番に席につかせて自分は反対側に座った時点で、なんとなく察してはいたものの、こうも分かりやすいと笑えてしまう。
なんだか懐かしい。テレジア王国に居た頃を思い出すわね。
まさか、全く似ていないテレジアとヴァレンツィアの共通点をこんなところで見つけてしまうとは驚いた。
「その話、私も聞いたことがあります」
「まあ、カルロッタ嬢もですか?」
「はい。確か、ルクレティア妃とドレスの色がかぶってしまったとか……ですがそんな些細なことでは階段から突き落としたりしませんよね? ルクレティア妃」
結局、私はどこに行ってもこうなのね。
「当たり前じゃないですか。一体どこから噂が流れたかは知りませんが、私がそんなことをするはずありません」
私がそう答えると、一拍の沈黙が流れた後、カルロッタ嬢が笑顔で話した。
「まあ、そうですよね。まさかそんなことを皇子妃がなさるはずありませんもの。そうですよね、皆さん?」
カルロッタ嬢の言葉に、誰も反論しない。
それどころか、皆、静かに紅茶を口に運びながら、ほんのわずかに視線だけをこちらに向けている。
熱い紅茶を飲んでいるはずなのに今にも凍え死んでしまうかと思うほど寒い。
椅子の上に座っているだけで、まるで首を斧の前に差し出しているかのような居心地だ。
あの変わり者の皇子のように、私を信じると口にする人間は誰もいない。当然だ。
「本当に、どこからそんな噂が流れるのかしら。困ってしまいますわ」
どうにか笑顔を保って言葉を繋ぐ。
「きっと誰かが皇子妃のことを妬んでいるんでしょうね。皇子妃があまりにもお美しいから、周囲の嫉妬を買ってしまうのかもしれませんね」
続けて「ふふっ」と笑ったアリステア嬢。
あなたのお兄さんの方はどうも読み取りづらくて、今までに会ったことのない人間だったから扱いが難しかったけど……。
それに反して、あなたは随分分かりやすい子なのね。
「アリステア皇女に褒めていただけるだなんて嬉しいですね。ありがとうございます」
何も気にしていないと、涼しい顔でニッコリと微笑む。
すると、やはり気に食わなかったのか、どこかムッとした顔したアリステア皇女。
ほら、やっぱりわかりやすい。
「皇子妃、先程からずいぶん余裕があるようですが……」
「……アリステア皇女?」
また何か吠えるのかと思えば、突然口を閉ざし、俯いてしまった。
その細い肩が小さく震え、ぎゅっと睫毛を伏せて、まるで何かに耐えるように俯く。
何なのよ、言いたいことがあるならさっさと……
「う……ケホッ!」
乾いた咳とともに、彼女の色白の手が口元を押さえた。
……あれ?
その指の隙間から、ぼたりと赤黒い液体がこぼれ落ちた。ドレスの胸元を濡らし、絹の布地に広がっていく。
「皇女……? 皇女殿下!!」
その叫び声が誰のものだったのか、それはわからない。
わかることは、アリステア皇女が吐き出した血から確かに魔力が感じられるということだけだった。
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