3 皇子と姫
「……その前に謝罪の言葉が先では?」
突然現れて、了承も得ずに人の飲み物を飲んだ。味の批評の前に、まずは私への謝罪が礼儀というものだろう。
まあ、泥棒に礼儀を語ったところで仕方ないのかもしれないけど……。
「それは君の方だろ」
「わ、私が何に対して謝罪するのですか」
「君が口にするのは謝罪ではなく感謝の言葉だ」
「……はい?」
冗談? それとも酔ってるの?
「もし俺が割って入らなければ、君はもっと厄介なめにあっていただろう。見てみろ、ここに居る奴らの目を」
言われてようやく、私は周囲の気配に意識を向けた。
カウンターの隅や壁際の席から、複数の視線がこちらに注がれている。
「知らないようだから教えてやる。この街には、あんなにも沢山の金貨を持っている人間はいない」
そんな目で見られていたなんて、全く気づかなかった。
確かに、彼の言う通りだ。私は不用意すぎたかもしれない。
テレジアンにいた頃の癖で、つい面倒ごとをお金で物事を片付けてしまった。
仕方ないじゃない。結局私は傲慢で我儘な、テレジアンのおバカなお姫様なのよ!
「それでも、あなたが私の楽しみにしていたブドウジュースを勝手に飲んだことは別問題です」
私はむくれて言い返す。すると男は、軽く鼻を鳴らして笑った。
「それは失礼。ならば俺がもう一杯ご馳走しよう」
冗談とも本気ともつかないその言い方に、私はただ呆れるしかなかった。
「……名前くらい、名乗るべきじゃなくて?」
「ならば君の方から名乗ってくれ。俺は君に興味がある」
私に興味がある? まったく意味が分からないわ。
こんなワケの分からない人と話す時間が無駄よ。
早く宮へ帰ろう。まだ夜明けには時間があるけれど、万が一のことを考えたら今すぐベッドの中に戻るに越したことはない。
ええ、そう。はやく帰るのよ、ルクレティア!
「ひどいと思わない? いったい私が何をしたって言うのよ!」
「……少し飲みすぎじゃないか? さっきから俺と同じ量を飲んでいるだろう」
「うるさいわね! 酔ってなんかないわ!」
カッとなって言い返す私に、彼は呆れたようにふっと笑う。
さっきからクスクスと笑ってるけど、人のことをバカにしているの?
「君……名前は確か、ティアと言ったか」
その言葉に私は一瞬肩を強張らせる。
そう言えば会話の初め、適当に名乗ったんだっけ? そういうこの男は自分の名を名乗ったのか、名乗っていないのか。もうすっかり忘れてしまったけれど。
「なんとなく、君のことがわかってきたよ」
「そうですか。ティアのことをよく知れてよかったですね~」
「ああ、本当に。やっぱり俺はついている」
一体どこからその自信が来るのだろうか。
まるで私の内側まで見透かしているような口ぶりが、妙に癪に障る。
いくらアルコールが入っているからといって、普段はこんなにも自分の感情を表に出したりしないのに。
あんまりにもこの男の話術が優れているから、誘導されるように口が勝手に動いてしまう。
「そういえば……私には顔も見たことのない夫がいるんです」
男は、まるで興味がないかのように気の抜けた声で相槌を打った。
「その夫とやらがもうすぐ帰ってくるそうで……」
「へえ? よかったじゃないか」
「……それ、本気で言っているんですか?」
「ああ、もちろん」
「はあ……帰ってきて欲しいわけがないじゃないですか。もちろん戦地で死なれる方が困りますけど、せっかく嫁いできた妻のためにもっと急いで帰ってこいって感じじゃないですか? こっちはずっと一人ぼっちにされているのに!」
言い切ってから、ハッとする。少し、話しすぎたかもしれない。こんなこと誰にも言うつもりなんてなかったのに。
どうしてこんな見知らぬ男に話してしまうのか、自分でもわからない。
「仕方がないだろう。移動中に馬車の車輪が外れ、修理に時間がかかっていたんだ。戦に疲れた兵たちを無理やり歩かせるわけにもいかないし、戦利品を放置していくわけにもいかないだろ」
……うん?
「どうして……それをあなたが知っているんですか?」
段々と酔いがさめてきて、頭がはっきりとしてくる。
ランタンの灯りに照らされた彼の顔が、フードの隙間からはっきりとこの目に映った。
「奇遇だな。俺にも顔を合わせたことのない妻がいる」
青い瞳が、まっすぐこちらを見つめている。
「……けっこう、ありがちなんですね」
「ああ、そうかもな」
「いや、そんなはずないでしょう……」
ぐらりと視界が揺れた気がした。
眠気とアルコール、場の空気でふわふわとしていた頭が一瞬でハッとする。
そして私の視界に映し出されたのは、ニヤリと悪戯気な笑みを浮かべる彼の姿。
「あ……」
青がかった黒色の髪に、吸い込まれるようなサファイアのような青い瞳。そして、右目の下にある、小さなほくろが一つ。
儚げな印象の中に、どこか人を寄せつけない静謐さが漂っていた。
間違いない。
結婚の話を聞かされた後に、従者の者たちから見せられた肖像画で幾度となく見たその姿。
「あ、アルセイン皇子……」
「今更気が付いたのか? 姫よ。名前は確か……ルクレティア姫だったな?」
その声色には明らかな悪戯めいた愉快さがにじんでいた。
まるで最初から全て分かっていて、私が気づくのを楽しみに待っていたかのように。
アルセイン・ディ・ヴァレンツィア皇子。私の政略結婚の相手。
顔から血の気が引いていくのを感じる。全身が固まり、何も言えなくなる。
静かに揺れるランタンの光が、彼の顔に影を落としていた。その瞳の奥にどこか私の反応を面白がっているような色が宿っているのが分かる。
私に皇子の肖像画が送られてきていたということは、当然皇子にも私の肖像画が送られていたはず。つまり、この男は初めから私が「テレジアンの姫」ということを分かったうえで話していたんだ。
な、なんて性格が悪い男なの……?
「私、帰ります!」
椅子を勢いよく引いて立ち上がり、机に金貨一枚を置いて、小走りでその場を立ち去った。
少しでも面白いと思っていただけましたら下にある☆マークから評価をお願いいたします。
ブックマーク、感想、レビューもお持ちしております。とても励みになります⋈*.。