22 一心同体
「お姉さん……?」
灰色の髪を持つ少年は大きな茶色の瞳でこちらを見上げる。
この子……どこかで見たことがあるような。
「……あっ」
どこでこの少年を見たのか、記憶の中を探っていると、思ったよりもすぐに見つけることができた。
テレジアン王国に来たばかりの頃、初めてアルセイン皇子と出会った酒場にいた、あの――。
「あなた、酒場にいた子ね?」
私の言葉に少年は表情を明るくすると、大きく何度も頷いてみせた。
私の隣に立つアルセイン皇子も、酒場という単語であの日の出来事を思い出したのか、納得したような声をする。
「うん、そうだよ! あの時は本当にありがとう、お姉さんのおかげでお母さんの薬が買えたんだ」
あの夜に見た、暗く怯えた表情から打って変わって明るい笑みを見せる少年の姿に、胸の奥に何か温かいものが満ちていくのを感じる。
私にまだ、こんな感情が残っていたなんて不思議だけど……。
「そう、よかったわね」
微笑みを返しながら、そっと頭を撫でてあげると、少年はくすぐったそうに目を細めて笑った。
ところで、これは一体……。
今の私は、とても不思議な気持ちだった。
絡まり合う感情の中で、一人取り残されたかのような、そんな複雑な感情。
それはきっと、私が少年の無事に安堵しながら、異様な不信感を覚えてしまったからだろう。
どうして、こんなにボロボロな服を着ているの?
金貨を渡したのは、母親の薬を買わせることだけが目的ではなかった。
やせ細った体に、やつれた頬。そして、くたびれてボロボロになった衣服。
私の目の前にいるこの少年は、あの時と何の変りもないみすぼらしい恰好をしていた。
あの夜の私は、柄にもなく少年を不憫に思い、薬代だけでなく衣食住も整えればと思って金貨を渡した。
しかし、今目の前に立っている少年はあの夜の姿とまるで変わっていない。
それどころか、ますます弱り切っているようにも見えた。
「私があげたお金はもう使い果たしたの?」
「う、うん……薬が高くて、お医者さまが銀貨五百枚だっていうから……」
少年の言葉を聞いて、私とアルセイン皇子は同時にお互いを見合わせた。
きっと、考えていることは同じだろう。
「ねえ、私たちをお母さんの元に連れて行ってくれないかしら? その薬について、少し話を聞きたいの」
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セシルと名乗った少年の後を追い、私とアルセイン皇子は木々が並ぶ小道を進んでいた。
あちこちに小さな段差や崩れた石畳が見えるこの通りは、港町ソルリアの表通りとはまるで違った空間だった。
表通りの塗装予算のことばかり考えていたが、この辺りも一掃した方がよさそうだ。
「こっちだよ、お姉さん」
セシルが指差した先にあるのは、木製の扉がついた古い家だった。
壁にはツタが這い、窓にはひびが入っている。
ぱっと見ただけで、ここが裕福な家ではないことは明らかだった。
「お邪魔します……」
セシルに続いて中へ入ると、強烈な甘い香りが鼻をついた。
急いで袖で口元を覆ったが、それでも頭がクラクラとする。
まるで、花が過剰に熟れ、腐る直前のような……。
「セシル、すぐに部屋の扉と窓をすべて開けるんだ」
「えっ?」
「早く!」
「う、うん……!」
私と同様に眉をひそめているアルセイン皇子は自らが入って来た扉をバンッと勢いよく開けると、セシルにも同じように指示を出した。
私も二人を手伝うべく、ドレスの裾を掴むと駆け足で正面に合った大きな窓を開ける。
長期間開いていなかったのか、ふわりと埃が舞った。
それと同時に、新鮮な空気が一気に入り込む。
新たな空気が入り込んだことで、部屋に充満していた強烈な香りが徐々にマシになっていく。
初めは部屋に舞った埃で咳き込んでいたセシルも、新しい空気が心地いのか満足そうにした後、母を呼んでくると言って階段を上がって行った。
私は少しでも綺麗な空気を吸うために窓際に移動すると、指先についた黒い錆汚れに視線を落とした。錆び付いた窓の鍵に触れた際についたのだろう。
「手が汚れてしまったな」
「このくらい平気です」
突然声をかけられ、慌てて笑顔を取り繕うと、アルセイン皇子が大きく溜息をついた。
「そんなにも謙虚な君に、どうしてあんな噂が流れたのか。俺には到底理解ができないな」
「……え?」
何か失礼なことをしてしまったのかと焦ったが、彼の表情はいつもと変わらず穏やかだった。
その水色の瞳も、いつもの暖かさを宿している。
安堵して言葉を返そうと口を開きかけた、その時だった。
突然、アルセイン皇子が私の手を取ったかと思うと、懐から取り出したシルクのハンカチで私の手を丁寧に拭き始めた。
本当に信じられない出来事だった。
「……あなたの手が汚れてしまいますよ」
「構わない。夫婦は一心同体だというだろう。妻の手が汚れるのなら、夫の手も汚れているべきだ」
さも当然のことのように言い放つアルセイン皇子に、私は開いた口が塞がらなかった。
夫と妻って……それ以前に、あなたは皇子じゃない。
あなたはこの帝国の愛される皇子で、私は隣国の嫌われた姫。
私たちの境遇は似ているようで、まったく違うのよ。
本当に、どういうことなのか。
慣れていないのか、力加減を確かめるように慎重にハンカチを滑らせるその仕草が、妙に真剣で。
その不器用な優しさが胸を締めつけ、私よりも一回り大きなその手が限りなく愛おしく感じた。
さっきまで聞こえていたのは、風が吹き抜ける音と、小鳥たちのさえずりだけだったはずなのに……。
今はもう、信じられないほど早く鼓動する心臓の音しか聞こえない。




