21 汚れ
「やはり、この一帯の道路は改めて整備する必要があると思います」
街外れの石畳へ視線を落としながら、私はそう切り出した。
「ソルリアは貿易の要となる街です。物流の中心である以上、移動の途中で事故でもあれば、商人たちにとって大きな損失となります。将来的な発展を考えても、この辺りにはもう少し投資をしても良いのではないでしょうか?」
「分かった。財務部には俺の方から申請を出しておく。必要な予算がまとまり次第、こちらへ回してくれ」
「ありがとうございます、皇……アル」
思わず口をついて出かけた呼び名に、私は慌てて言い直した。
彼はその言い間違いを咎めることもなく、小さく口元を緩める。
「視察も一通り終わったな。そろそろ戻るとしよう」
「そうですね」
頷きながら、ふと気になっていたことを思い出す。
「そういえば、視察の目的があると仰っていましたよね。一体、何だったのですか?」
「ああ」
先ほどまでの穏やかな空気とは打って変わって、アルセインの表情がわずかに引き締まった。
「実は、前々から調査を進めていた件があってな。ソルリアは貿易で栄えている街だ。それだけ多くの品や人が出入りする」
一度言葉を切り、街並みへ視線を向ける。
「便利である反面、厄介なものまで一緒に入り込んでくるのさ」
「厄介なもの……ですか?」
私が問い返すと、アルセインは静かに答えた。
「麻薬だ」
短く告げられたその一言に、私も自然と眉を寄せた。
麻薬……。
その存在は、テレジアン王国でもたびたび問題視されていた。
強い依存性を持ち、人から理性を奪い、人生そのものを狂わせる危険な薬物。
ヴァレンツィア帝国では持ち込み自体が禁じられているはずのそれが、この街で流通しているというのか。
確かに、それなら一国の皇子が自ら現地へ赴いたのも頷ける。
麻薬は放置すればするほど、被害が際限なく広がっていくものだから。
「本来なら、あまり君に聞かせるような話ではないのだが……」
「構いません。私だって一国の姫だったのです。今更、どんな話を聞いても動じません」
私を気遣うように視線を向けるアルセイン皇子に向かって、そう強く言い切る。
アルセイン皇子は暫く私を見つめたと、「分かった」と頷き、話し始めた。
「ターゲットになっている層は、二十代から三十代ほどの女性。主に、裏街で働く娼婦たちだ」
彼が私に話しづらいと言いたがったのが、なんとなくわかった。
姫として煌びやかに育ったと思っている彼にとって、私を動揺させる話題だと考えたのだろう。
けれど、私の生きてきた世界はそれほど美しくはないし、それなりにこの世界のしくみについては理解し、自分の置かれている立場がどれほど恵まれているのか心得ているつもりだ。
この世界が、そう綺麗ごとだけで回っていないことも。
「彼女たちは平民だが、仕事柄香水を身につけることが多い。恐らく、そこに目を付けたのだろう。実際に、先日ソルリアで麻薬成分の入った香水が見つかった。ソルリアには多くの輸入品が入り込むからな」
悪意ある者たちは、想像以上に抜け目ない。
大掛かりな犯罪ごとに手を染める者たちは非常に賢く、裏には大きな権力を持つ者が隠れていることもある。
彼らの狡猾さを思えば、香水に麻薬を忍ばせるという手口は確かに理にかなっていた。
街の娼婦たち……あれ?
「待ってください。それじゃあ、先程万引きしようとしていた胸が豊かな女性を見ていたのは……」
「ああ。麻薬入りとして発見された香水とよく似た商品で、彼女からも強い香水の香りがしたからな」
「せ、先日の緑色のワンピースを着た茶髪の色っぽい女性もですか?」
「よく覚えていたな。ああ、そうだ。麻薬入りの香水はソルリアだけでなく、首都部の方まで広がっていると聞いていたからな」
「そ、そうだったのですね……」
だからあの時、アルセイン皇子は香油を使っていそうな大人っぽい女性を見ていたのね。
ただ自分の好みの女性だったからではなく、香水の事件を知っていたから。
なんだ、全部私の勘違いだったんじゃない。
アルセイン皇子はただ仕事をしていただけなのに。
それにも関わらず、私は一人で勘違いして、子供みたいに怒って……。
彼が側室を迎えようとも、愛人を迎えようともどうだっていいと思っていたのに。
ただすれ違いざまに目線を向けるだけで怒るなんて、私は頭がどうかしてしまったのかしら。
「はあ……」
痛む頭を押さえて、息を吐きだす。
「大丈夫か? 先ほどから様子がおかしいが、どこか具合でも悪いのでは……」
アルセイン皇子の手が私の頬に伸び、様子を伺うように手を添えられた。
心配げに私の顔を覗き込む彼の顔が近い。
顔に勢いよく熱がこもり、私は彼の顔を両手で押し返す。
「あっ、すみません!」
「いや、驚かせてしまってすまない」
私よりもずっと大きな手のひらで顔を押さえながら優しく笑う姿に、込み上げる何かを堪えるために下唇を噛みしめた。
「そろそろ帰ろう。かなりの距離を歩いたし、さすがに疲れただろう」
穏やかな笑みを浮かべ、愚かにも手を振り払った私にもう一度手を差し出してくれるアルセイン皇子。
きっと彼は、本当に優しい人なんだろう。お人好しというか、なんというか。
どうして彼がここまで私に優しくしてくれるのか。
その優しさに払える対価を、私は持ち合わせていないのに。
それなのに、なぜか私の心はこの手を取りたくなってしまう。
今度こそ、と恐る恐る手を伸ばし、その手を取ろうとしたそのときだった。
「お姉さん……?」
突如、背後から声が聞こえ、急いで振り返る。
そこには、くたびれた服の裾をぎゅっと握りしめ、不安げにこちらを見上げる子供の姿があった。




