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悪名高いお姫様の政略結婚  作者: にゃみ3
第一章 悪名高いお姫様
2/19

2 謝罪の言葉が先では?


 ヴァレンツィア帝国に来てから、早くも一か月が経った。


 本来ならば戦地より戻っているはずだったという夫は、何やらトラブルが起きたらしく帰りが遅れてしまっているという。



「次はこの書類をお願いします。予算表は月別にして纏めてください」

「かしこまりました」


 指示を出すと、財務部から来た男たちがこちらにぺこりと頭を下げて部屋を出て行く。

 淡い光の差し込む扉が静かに閉まり、部屋には再び私一人きりが残された。


 一人きりというのは今だけの話ではない。アルセイン皇子が戦地から返ってこないせいで、私はヴァレンツィアの皇子妃となった今も、広く大きな宮殿で一人過ごしていた。


 一人なことにはもう慣れっこになっていたはずだけど、何だか複雑な感情を抱いてしまう。それに顔も合わせたことのない夫に異国の地で一人にされるというのも、何だか癪に障るのだ。


「テレジアンの姫と聞いて心配しましたが、しっかりと仕事をなさる方じゃないか」

「そりゃあ、まだ嫁いできたばかりですから猫をかぶっているのでしょう。そう長くは持ちませんよ」


 簡単に書類をまとめた後、そろそろ戻って休もうと執務室から出てみると、書類を持っていったはずの二人が部屋を出てすぐのところで立ち話をしているのが見えた。


 テレジアンの姫と聞きなれた呼び名が聞こえ、扉の陰でこっそりと聞き耳を立てていると、いつものアレが耳に飛び込んできた。


「あと数カ月……いや、あと数週間も経てば本性を現すはずさ」

「あの傲慢で我儘な……悪名高いテレジアンの姫のことなのだから」


 本性を表す……ね。私の本性って、一体なんなのかしら?


 噂というものは本当に厄介なもので、テレジアン王国で言われていた「テレジアンの姫の本性」というやつは、このヴァレンツィア帝国でも中々に広まっているようだった。


 そのせいで軽蔑のまなざしを向けられることも屡々。

 この国の人々は建前上では他国から嫁いできた姫として親切に接してくれるから、それだけでもテレジアンよりはマシな待遇だといえる。


 もう暫くで帰ってくるという夫を待つ間も、私は皇子妃としての仕事を黙々とこなしていた。

 与えられた役割を果たせば余計な言葉を浴びずに済む。それが、私の生きた十七年間で学んだやり方だった。



 ヴァレンツィアにようやく馴染み始めた頃。

 ヴァレンツィアの皇宮内に設けられたエメラルド庭園を一人で散歩していると、私はふと、茂みに隠れるようにして開いた小さな穴を見つけた。

 子供の背丈ほどの穴。興味半分でくぐってみると、それは街まで続いた抜け穴だった。


 抜け穴を見つけて以来、私は時折、夜中にひっそりとその抜け道を使って街へ出るようになった。


 テレジアン王国に居た頃もそうだった。ルクレティア姫という肩書で生きる人生はなんとも息苦しくて、城を抜け出しては、街へ行き、どこにでもいる一人の少女として遊んだものだ。


「おじさん、これをください」


 出店のフルーツ串屋に寄った私は、いちごとブドウが交互に刺さった串を指さす。


「はいよ。お嬢さん可愛いから、もう一つおまけしてあげるよ!」

「わあ、本当ですか? ありがとうございます!」


 こういう時の笑顔なら、わざわざ作ることなく自然に浮かんでしまうのが不思議だ。

 テレジアンに居た頃は念のためにと厳重な変装を行っていたが、こっちでは軽くローブ一枚被るだけで済むのが楽だ。


「お嬢さん見ない顔だけど、旅人かい?」

「ええ、まあ」

「そうかい、そうかい。ヴァレンツィアを存分に楽しんでいきなね。この国はいい国だよ」

「ありがとうございます。そうだ、この辺りでいい感じの酒場を知りませんか?」


 私の問いかけに、おじさんは少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐにニヤリと笑みを浮かべた。


「へえ、お嬢さんなかなか通だね。飲み歩きがお好きと見た」

「アハハ、お酒はあんまり好きではないのですが、あのガヤガヤとした楽しげな雰囲気が好きなんです」

「なるほどねぇ。そうだな、美味しいワインの店を知ってるよ。ランタンが綺麗だって観光客にも人気だ」


 おじさんは通りの奥に向かって、指を向ける。


「この通りを抜けて左、細い路地に入ったところにある。天井から小さなランタンがずらっと並んでてな。料理も丁寧だし、常連も多いけどよそ者にも優しい。あんたみたいなお嬢さんにはちょうどいいと思うよ」

「素敵ですね。ちょっと行ってみます」

「気をつけてな。あんまり遅くならないように」

「はい。ありがとうございます」


 手を振ってくれるおじさんに手を振り返しながら背を向け、月明かりが照らす街へと歩き出した。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




「白ブドウジュースをお願いします」

「かしこまりました」


 ワインが美味しい店は例外なくブドウジュースも美味しい。

これは私の持論だが、外れたことは一度もないから丁寧な論文として書き出せば……なんて、姫である私が街の酒場に行った話を出来るはずがないのだが。


「申し訳ございません。本日はいつもよりお客様が多くて……。騒がしいですよね? お席を変えましょうか」

「大丈夫ですよ。お気遣いいただいて、ありがとうございます」


 店主に向かって微笑み返したそのとき、不意に背後で聞き慣れない子供の叫び声が聞こえた。


「やめてください!」

「チッ! このガキが!」

「ごめんなさい、ごめんなさいっ! どうか許してください!」


 振り返ると、ガタイの良いガッシリとした男が今にも殴り掛かりそうな勢いで少年の腕を掴み上げていた。

 少年の目は涙でいっぱいになっていて、既に殴られたのか頬は赤く腫れていた。


「……どうされたのですか?」


 気づけば私は席から立ち上がり、その男に向かって言葉を投げかけていた。


「あ? なんだよ、嬢ちゃん」

「その子、痛がっているじゃないですか。手を離してあげたらどうですか?」

「はっ、アンタには関係ないだろ。このクソガキ、俺の財布を盗もうとしやがったんだ!」

「ごめんなさい! お母さんの薬代が欲しくて……あ、謝りますからどうか見逃してください!」


 ざわつく客たちは遠巻きに見ているだけで、誰一人として声を上げようとはしない。みんな、面倒ごとは避けたいのだろう。生存本能を持つ人間として当然の行動だ。


 謝罪の言葉を並べる子供を見ると、不愉快でしかたなくなる。


『ごめんなさい、ごめんなさい! どうか許してください! ……私は本当に、何もやっていないんです!』


 ……必死に縋る昔の自分の愚かな姿を思い出してしまうから。


「うるせえガキだな。ほら、嬢ちゃんも分かったらあっちに行ってろ! これは俺とこのガキの問題だ」

「でしたら、私が代わりに慰謝料を払います。だからその子供を引き渡してください」

「はあ? 慰謝料ってアンタ……」


 私はローブの内ポケットからお金の入った袋を取り出すと、それを男の足元に向かって投げ落とした。


 中から転がり出たのは、艶のある金貨。それも一枚や二枚ではない。床一面に音を立てて散らばった金貨が、一瞬にして酒場の空気が変わった。


「なっ!」

「慰謝料としては、十分ですよね?」

「……あ、ああ! まあ、これだけあるなら今回は特別に見逃してやるよ!」


 男は鼻の下をこすりながら「へへっ」と下卑た笑みを浮かべて床にしゃがみこみ、金貨を拾い集め始めた。


 それを見ていた少年が、おずおずと私の袖を引っ張る。


「あの……僕を、助けていただいて……」

「何か勘違いをしているみたいだけど、私はあなたを引き渡してもらっただけよ」

「えっ……?」


 少年の目が恐怖に見開かれる。私は静かに視線を落としたまま、冷たく言葉を重ねた。


「犯罪を起こしておいて許されるとでも思っているの? そうね、あなたを騎士団に引き渡すのも悪くないわね」

「そ、それだけは……! 僕が居ないとお母さんに薬を渡せない! お母さんが死んじゃうんです!」

「そう? じゃあ、私が代わりに罰をあたえるわ」


 途端に震え出す少年に、私はひとつため息をついてから、そっと手を伸ばす。

 少年の額に親指と人差し指をあてて、パチンッと軽い音を立ててはじいた。


「はい。この私が直接あなたに罰を与えたわ。これであなたの罪はおしまい」

「へ……? えっと、俺、何が何だか……」

「病にかかったお母さんの薬を買いたいといっていたわね。それならこれをあげるから、今度は真っ直ぐ家に帰るのよ。二度と罪を犯してはいけないわ」


 私は残っていた数枚の金貨をそっと彼の小さな手に握らせる。

 すると、少年は信じられないとでも言いたげに目を見開くっと、今にも涙がこぼれ落ちそうな瞳でこちらを見つめ、何度も頭を下げる。


「ありがとう、お姉さん! これでお母さんに薬を買えるよ!」

「……気を付けてね」


 私が手を振ると、少年はくるりと身を翻して走り去っていった。


「嬢ちゃんすげえじゃないか! よくやった!」

「ああ、本当にそうだ!」


 割れるよな拍手と共に、店内に居た人々から歓声が浴びせられる。


 どうしよう。目立つような行動は極力避けなければいけなかったのに。


「アハハ……」


 私はとっさにウェーブがかったハニーブロンドの髪を顔に寄せ、背けた。


 このまま滞在するのも目立つだけ。まだ一口も飲めていない白ブドウジュースを一気に飲み越してさっさと帰ろうと思い、私は急いで席に戻った。


「お嬢さん……」


 席に着いた途端に声をかけられた。顔を上げると、少し離れた席に座っていた初老の男が気まずそうにこちらを見ていた。


「その、アンタ、あの金は――」

「失礼」


 そのとき、私と老人の間に一人の青年が割って入った。

 私と同じく黒いローブのフードを深く被っており、顔の半分以上が影に隠れている。


 誰……?


 怪しむ間もなく、その男は私の目の前にあった白ブドウジュースを勝手に手に取り――


「あっ! それは私の!」


 一口。二口。

 私が止める暇もないまま、青年はそれをぐいっと飲み干した。


「甘いな……ジュースか」

「はい?」


 まさか、人の物を勝手に飲んでおいて文句をつけるつもり?


「マスター、水をくれるか」

「……かしこまりました」


 カウンター席の机越しに立っていた店主は、怯えたような声で返事をすると急いで奥の部屋へと歩いて行った。


「ま、まだ私飲んでないのに!」

「なら、もう一杯頼むか?」

「……その前に謝罪の言葉が先では?」


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