1 政略結婚
「姫よ、お前とヴァレンツィア帝国の皇子、アルセイン・フォン・ヴァレンツィアの結婚が決まった」
ついに、私にも来るべきものがやってきたのね。
国王陛下から放たれた言葉に、私は握りしめていた手に、さらに力を込めた。
その日は珍しく、フリードリヒお父様とエミリオお兄様、そして私の三人の家族が揃っての食事をすることになった。
今まで家族揃って食事を取ることが一度もなかったから、何か大切な話をされることは覚悟していたが、まさか私の結婚とは思ってもいなかった。
「陛下、まさかルクレティアに何も言わずに結婚を決められたというのですか?」
驚きのあまり下唇を噛んで黙り込む私の姿を見たエミリオお兄様が、目を丸くして声を上げた。
「ああ、そうだが」
「なっ……陛下、それはいくら何でもあんまりです。婚約ならまだしも、突然結婚だなんて! ルクレティアはまだ十八になったばかりじゃないですか!」
「口を慎め、エミリオ。これはもう王国会議で決まったことだ」
エミリオお兄様を鋭く睨みつけたフリードリヒお父様が淡々と告げる。
お兄様はお父様の顔色を見て、何を言っても無駄だと悟ったのだろう。
不満そうに眉間を寄せると、またすぐに食事へ戻った。
いつもは父の言葉に逆らうことなど一度もないエミリオお兄様が、私を庇い、フリードリヒお父様の前で声を荒げたのは、これが初めてのことだった。
バカなエミリオお兄様。国王であるお父様には誰も逆らえないのに。
「陛下の命でしたら私は喜んで従います。お忙しい中、陛下が直接伝えてくださるなんて、これ以上に嬉しいことはありません。ありがとうございます」
フリードリヒお父様が、私を名前で呼んだことは一度もない。
それでも、私にとってルクレティアという名前は、他に変えの利かない、唯一の宝物だった。
この名は、父が私にくれた、この世でたった一つのプレゼントだったから。
「ああ」
お父様の顔は、心なしかいつもより表情が柔らかいように見えた。
まるで何かに安堵したような、そんな顔。きっと、政略結婚で行われる両国の同盟が上手くいくことに対してのものだろう。
それは決して、私を想ってのものではない。
勘違いするまでもない。お父様は私のことを愛していないのだから。王国の姫として、同盟の道具に使える自分の所有物として私を見ているだけ。
私はそれでも良かった。国のために役立てられるのなら。
この世の何よりも敬愛するお父様の役に立てるのなら。
政略結婚だろうが、なんだろうが、私は何だって完璧にやってみせるから。
そうすれば、いつの日か私を褒めてくださるだろうか?
このような状況になってまで、たった一人の親からの愛を求める自分が、滑稽で仕方がなかった。
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「姫様もついに結婚とは。時が流れるのは、本当にあっという間ですわね」
「あの悪名高い姫に嫁ぎ先が見つかったと聞いて、私がどれほど驚いたことか……」
「まあ、当然と言えば当然ですけれど。テレジアン王国にエミリオ王太子様がいらっしゃる以上、ルクレティア姫がこの国の女王になることはないのですから」
「よくよく考えてみると姫様も哀れな人じゃない。結婚と言っても、他国に人質として売られるようなものなのよ?」
「陛下も冷たいお方よね。一人娘が他国へ嫁いで行くというのに、見送りにも来られないなんて」
華やかなレースであしらわれた扇子で口元を隠しながら、私への悪口に花を咲かせている貴婦人たち。
まったく、誰が誰にものを言ってるのよ。
私に流れる噂のとおり、彼女たちの髪を引っ張り上げてしまいたくなる。
実際、私がそうしたところで、驚く人は少ないはずだ。
テレジアンの姫といえば、気に入らないことがあればすぐに手を上げる、癇癪持ちの女だと貴族たちの間では有名だから。
私に気づかれないようにするつもりがサラサラない令嬢たちから向けられる悪意に気づかないフリをして笑みを浮かべていると、少し離れたところから、見慣れた顔の令嬢がこちらに向かって歩いてきた。
「エマ嬢。もしかして、私を見送りに来てくれたの? 嬉しいわ」
「ええ、まあ。父に言われて仕方なく来ただけですが……」
今までの甘ったるい猫なで声ではなく、ぶっきらぼうに言い放ったのは私の友人――だったはずのご令嬢。エマ嬢だ。
彼女は侯爵家の四女で、歳は私よりも四つ下の十四歳。
彼女をまるで本物の妹のように可愛がり、彼女も私に懐いていたはずだったが、今、エマ嬢から向けられるのは軽蔑の眼差しだ。
恐らく、私が他国へ嫁ぐと聞いて、もう媚びを売る必要はないと判断したのだろう。
あからさまな態度の変わりように、笑いがこみ上げてきそうになる。
別に構わないけどね。表向きの友情を演じていたのは、私も同じことだから。
惨めったらしく言い訳をするかのように、そう心の中で呟いていると、突然、令嬢たちが黄色い声を上げた。一瞬にして、彼女たちの色白い頬が薔薇色に染まる。
自然と眉がひそまるのを感じながら、私は振り返った。
輝く黄金の髪をなびかせ、何を考えているのかサッパリ分からないローズピンクの瞳で私を見つめる男。
血を分けた実の兄、エミリオお兄様だった。
「まあ、お兄様。来てくださったのですか? とても驚きました。まさか私を見送りにきてくれる人がいるなんて」
「ルクレティア。その、父上は……」
「分かってはいたけれど、やっぱり少し悲しいですね。他国へ嫁いで行く娘に、最後に顔も見せてくださらないなんて」
「……陛下はお忙しい人だから」
エミリオお兄様は視線を落とすと、そう小さく呟いた。
忙しい? 陛下が? まあ、そうね。私たちのお父様はテレジアン王国の偉大なる国王陛下だもの。そこらの父親とはワケが違う。
だけど、他国に嫁いで行く娘を見送れないほど忙しい人でもないはずよ。
「そういうエミリオお兄様だってお忙しいはずでしょう? わざわざ私の見送りになんて来てくれなくて良かったのに」
私の言葉に、エミリオお兄様は柄にもなく寂しそうな目をした。
そんな顔をするお兄様の顔は初めてだったから、少し罪悪感が沸いたが、それもすぐに消え去った。
私たちは決して、仲の良い兄妹ではなかったはず。行事の時に顔を合わす程度だったじゃない。
問題ごとを起こしてばかりの妹に嫌悪感を抱いていて当然。私のことなんて嫌いだったでしょ?
ましてや見送りに来るなんて本当に信じられないわ。
「ごめんなさい、生意気を言ってしまって。十八年もここで過ごしたのよ。今日の日までは何も感じなかったのに、いざここを去ると思うと寂しくなってしまったの」
「いつでも帰ってくればいい」
「そんなの、陛下が許してくださるはずないわ」
最後まで生意気な妹でごめんなさい。
お兄様のことは好きでも嫌いでもなかったわ。
強いて言うなら、お父様からの関心が向けられていたお兄様が羨ましかった。
「そろそろ行かなければ。見送りに来てくださってありがとうございます。嬉しかったです、エミリオお兄様」
これは本心だ。
見送りに親族が誰も来てくれなければ、それこそ私は惨めな姫として見られてしまっただろう。
もしかすると、テレジアン王家の最も惨めな姫として歴史に刻まれていたかもしれない。
まあ……手遅れなような気もするけれど。
それでも、惨めな姫として名を残すくらいなら、最も極悪な悪女として名を残した方が幾分もマシだ。




