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悪名高いお姫様の政略結婚  作者: にゃみ3
第一章 悪名高いお姫様

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14/23

14 私の言葉を


「ルクレティア。今の話は本当なのか?」


 姫でも、妃でもない。ただのルクレティア。

 たったそれだけの呼びかけが、どうしてこんなにも胸を締めつけてくるのか。


 あなたから名前を呼ばれると、私はどうも弱くなってしまうみたい。

 あの夜に、あなたが言ってくれた言葉を思い出してしまうからかしら?


 その問いかけは、ちゃんと私の言葉を聞いてくれる時の問いかけ。

 急かしたり、無理に謝罪をさせようとしたりしない、私の意見を尊重してくれる優しい聞き方。


 この騒動の真相を誰の言葉でもなく、私の口から知ろうとしてくれている。

私に耳を傾けてくれている。


 だったら私は……。


「……ちがいます」


 情けないほど声が震えてしまう。

 どうしてあなたの前では、こんなに上手く振舞えないの。

 嘘をついて、何も感じていないフリをして、どんな言葉も気にせず笑ってみせる。それは私の得意分野のはずなのに。


 あなたの前だと、どうしてこんなに不器用になってしまうのかしら。

どれもこれも、あなたのせいよ。


 だから、ちゃんと私の話を聞いて。

 あなたにならきっと話せるから。

 私を信じると言ってくれた、あなたになら。


 ……あの言葉、私は信じてみてもいいのかしら?


「頬を叩いたのは私ではなく、アリステア皇女です」


「アリステアがカルロッタのことを?」


「はい。ですが皇女は私を庇ってくださっただけです。カルロッタ嬢が。私に向かって無礼なことばかり言うので、私を庇ってアリステア皇女が、その……ですから……」


 言葉が断片的に途切れる。

 胸の奥で渦を巻く感情を押さえ込もうとしても、うまく整わない。

 思考が追いつかなくて、ただ必死に事実だけを絞り出す。


 私の言いたいことは何? 今起きた事実をちゃんと纏めなくては。


 偽りならば滑らかに出てくるのに、本当のことを言うことがこんなにも難しいなんて。


 私が一番伝えたいこと、伝えなければならないこと。

 私は何もやっていない。全部カルロッタ嬢の嘘なのよ。


 だから、お願い。お願いだから……。


「わ、私を信じてください!」


 あなただけは、私の話を信じてくれるわよね? アルセイン……。


 私は胸の前で両手を合わせて、勢いよく強く叫んだ。

 返ってくる返事を想像するだけで、胃の奥がねじれて吐きそうになる。


 少しでも気を緩めれば、しゃっくりと一緒に嗚咽が零れそうだった。

 それほどまでに、私は追い詰められていた。


 ……しかし、彼の返事は軽やかなものだった。


「分かった」


「……え」


「つまり君は、カルロッタのせいでそんな顔をしていたんだな」


 彼の手が、私の頬へ触れる。


「俺は君を信じるよ」


 たったその一言が、長い年月をかけて積み上げてきた心の壁が、音を立てて崩れた。


 私を信じてくれる人が、この世界にいたなんて。


「は……? アルセイン、何を言っているの? 長年の友人である私の言葉を信じてくれないっていうの?」


「ああ、そうだな。確かに君は昔から妹に良くしてくれた。大切なヴァレンツィアの人間だ」


「だったら……」


「だが、彼女は俺の妻だ。悪いが、立場を弁えてくれるだろうか」


 その言葉と同時に、アルセイン皇子は私の肩へと静かに手を回す。

 戸惑う私の身体を引き寄せるように、そっと腕の中に抱きしめられた。


 彼の爽やかな香油の香りと、規則正しく刻まれる鼓動。


 こういう時、守られるべき可憐な少女は何と言うのだろうか?

 よくあるロマンス物語の、カッコイイ王子さまに守られる少女ならば。


 残念ながら、そういう本に興味も縁も無かった私には、どんな言葉が正しいのか分からない。


 だから私は、ただ夫の腕の中で、その美しい横顔を見上げることしかできなかった。




・ ୨୧ ┈┈┈ ⋯ ┈┈┈ ୨୧ ・




 カルロッタ嬢は、アルセインから突き放されたことがよほど堪えたのだろう。

 顔を強張らせたまま言葉も発せず、背後に控えたシルヴィア嬢とアリエル嬢に支えられるようにして、その場を後にした。



 そして今、私はアルセイン皇子に部屋まで送ってもらっていた。

 広く長い廊下を、二人で並んで歩く。

 窓から差し込む夕陽が白い大理石を朱く染め、床には私たち二人の影が細長く伸びていた。


 さっきまであれほど騒がしかった出来事が、まるで遠い昔のことのように思えてしまうほど静かな時間だった。


「フレデリックを通して、アリステアからも話を聞くつもりだ。疲れただろうから、まずはゆっくり休んでくれ」


「…………」


「姫?」


 私は足を止めた。

 数歩先を歩いていたアルセイン皇子も、それに気付いて振り返る。

 夕陽を受けた水色の瞳が柔らかく細められ、穏やかな視線が私へ向けられた。


「ルクレティアです。先程のように、ルクレティアと呼んでください」


 彼の顔を見上げ、そっと微笑む。

 一瞬だけ目を瞬かせたアルセイン皇子だったが、すぐに口元へ笑みを浮かべる。

 その笑みは、いつものどこか悪戯っぽいものだった。


「俺だけが君の頼みを聞くのか? それは……」


「フェアじゃない、ですよね?」


 彼の言葉を先回りして告げると、アルセイン皇子は驚いたように目を見開いた。


「では、先日仰っていた私の秘密を教えて差し上げます」


「秘密?」


「実は、私もチョコレートクッキーが好きなんです」


「……は?」


「あなたがあの日くれたチョコレートクッキーを食べておけば良かったと、後悔しているんです。だから、その……」


 自分でも分かるほど声が小さくなっていく。

 そんな私を見て、アルセイン皇子は一瞬だけ目を丸くしたあと、堪えきれなくなったように声を上げて笑った。


「ああ、そうだな。俺も、久しぶりに食べたくなってきたよ」


 そして小さく咳払いを一つすると、アルセイン皇子は私に向き直り、目を細めて笑みを浮かべた。


 思わず目を覆いたくなってしまうほど、あなたは輝いている。


「だが、一人で行くのはあまりに寂しいだろう? ルクレティア、俺に着いてきてくれるか」


 私に差し出された大きな手。

 私はその手を見つめ、自然と口角が吊り上がる感覚を覚えた。

 それは、いつものような意図して作ったものではなく、自然に浮かんだ笑みだった。


「いいですよ。私も、あなたと一緒に行きたいと思っていましたから」


 そう言って、差し出されたその手へ、自分の手を重ねた。

 指先から伝わる温もりは、想像以上にずっと暖かいものだった。


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