14 私の言葉を
「ルクレティア。今の話は本当なのか?」
姫でも、妃でもない。ただのルクレティア。
たったそれだけの呼びかけが、どうしてこんなにも胸を締めつけてくるのか。
あなたから名前を呼ばれると、私はどうも弱くなってしまうみたい。
あの夜に、あなたが言ってくれた言葉を思い出してしまうからかしら?
その問いかけは、ちゃんと私の言葉を聞いてくれる時の問いかけ。
急かしたり、無理に謝罪をさせようとしたりしない、私の意見を尊重してくれる優しい聞き方。
この騒動の真相を誰の言葉でもなく、私の口から知ろうとしてくれている。
私に耳を傾けてくれている。
だったら私は……。
「……ちがいます」
情けないほど声が震えてしまう。
どうしてあなたの前では、こんなに上手く振舞えないの。
嘘をついて、何も感じていないフリをして、どんな言葉も気にせず笑ってみせる。それは私の得意分野のはずなのに。
あなたの前だと、どうしてこんなに不器用になってしまうのかしら。
どれもこれも、あなたのせいよ。
だから、ちゃんと私の話を聞いて。
あなたにならきっと話せるから。
私を信じると言ってくれた、あなたになら。
……あの言葉、私は信じてみてもいいのかしら?
「頬を叩いたのは私ではなく、アリステア皇女です」
「アリステアがカルロッタのことを?」
「はい。ですが皇女は私を庇ってくださっただけです。カルロッタ嬢が。私に向かって無礼なことばかり言うので、私を庇ってアリステア皇女が、その……ですから……」
言葉が断片的に途切れる。
胸の奥で渦を巻く感情を押さえ込もうとしても、うまく整わない。
思考が追いつかなくて、ただ必死に事実だけを絞り出す。
私の言いたいことは何? 今起きた事実をちゃんと纏めなくては。
偽りならば滑らかに出てくるのに、本当のことを言うことがこんなにも難しいなんて。
私が一番伝えたいこと、伝えなければならないこと。
私は何もやっていない。全部カルロッタ嬢の嘘なのよ。
だから、お願い。お願いだから……。
「わ、私を信じてください!」
あなただけは、私の話を信じてくれるわよね? アルセイン……。
私は胸の前で両手を合わせて、勢いよく強く叫んだ。
返ってくる返事を想像するだけで、胃の奥がねじれて吐きそうになる。
少しでも気を緩めれば、しゃっくりと一緒に嗚咽が零れそうだった。
それほどまでに、私は追い詰められていた。
……しかし、彼の返事は軽やかなものだった。
「分かった」
「……え」
「つまり君は、カルロッタのせいでそんな顔をしていたんだな」
彼の手が、私の頬へ触れる。
「俺は君を信じるよ」
たったその一言が、長い年月をかけて積み上げてきた心の壁が、音を立てて崩れた。
私を信じてくれる人が、この世界にいたなんて。
「は……? アルセイン、何を言っているの? 長年の友人である私の言葉を信じてくれないっていうの?」
「ああ、そうだな。確かに君は昔から妹に良くしてくれた。大切なヴァレンツィアの人間だ」
「だったら……」
「だが、彼女は俺の妻だ。悪いが、立場を弁えてくれるだろうか」
その言葉と同時に、アルセイン皇子は私の肩へと静かに手を回す。
戸惑う私の身体を引き寄せるように、そっと腕の中に抱きしめられた。
彼の爽やかな香油の香りと、規則正しく刻まれる鼓動。
こういう時、守られるべき可憐な少女は何と言うのだろうか?
よくあるロマンス物語の、カッコイイ王子さまに守られる少女ならば。
残念ながら、そういう本に興味も縁も無かった私には、どんな言葉が正しいのか分からない。
だから私は、ただ夫の腕の中で、その美しい横顔を見上げることしかできなかった。
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カルロッタ嬢は、アルセインから突き放されたことがよほど堪えたのだろう。
顔を強張らせたまま言葉も発せず、背後に控えたシルヴィア嬢とアリエル嬢に支えられるようにして、その場を後にした。
そして今、私はアルセイン皇子に部屋まで送ってもらっていた。
広く長い廊下を、二人で並んで歩く。
窓から差し込む夕陽が白い大理石を朱く染め、床には私たち二人の影が細長く伸びていた。
さっきまであれほど騒がしかった出来事が、まるで遠い昔のことのように思えてしまうほど静かな時間だった。
「フレデリックを通して、アリステアからも話を聞くつもりだ。疲れただろうから、まずはゆっくり休んでくれ」
「…………」
「姫?」
私は足を止めた。
数歩先を歩いていたアルセイン皇子も、それに気付いて振り返る。
夕陽を受けた水色の瞳が柔らかく細められ、穏やかな視線が私へ向けられた。
「ルクレティアです。先程のように、ルクレティアと呼んでください」
彼の顔を見上げ、そっと微笑む。
一瞬だけ目を瞬かせたアルセイン皇子だったが、すぐに口元へ笑みを浮かべる。
その笑みは、いつものどこか悪戯っぽいものだった。
「俺だけが君の頼みを聞くのか? それは……」
「フェアじゃない、ですよね?」
彼の言葉を先回りして告げると、アルセイン皇子は驚いたように目を見開いた。
「では、先日仰っていた私の秘密を教えて差し上げます」
「秘密?」
「実は、私もチョコレートクッキーが好きなんです」
「……は?」
「あなたがあの日くれたチョコレートクッキーを食べておけば良かったと、後悔しているんです。だから、その……」
自分でも分かるほど声が小さくなっていく。
そんな私を見て、アルセイン皇子は一瞬だけ目を丸くしたあと、堪えきれなくなったように声を上げて笑った。
「ああ、そうだな。俺も、久しぶりに食べたくなってきたよ」
そして小さく咳払いを一つすると、アルセイン皇子は私に向き直り、目を細めて笑みを浮かべた。
思わず目を覆いたくなってしまうほど、あなたは輝いている。
「だが、一人で行くのはあまりに寂しいだろう? ルクレティア、俺に着いてきてくれるか」
私に差し出された大きな手。
私はその手を見つめ、自然と口角が吊り上がる感覚を覚えた。
それは、いつものような意図して作ったものではなく、自然に浮かんだ笑みだった。
「いいですよ。私も、あなたと一緒に行きたいと思っていましたから」
そう言って、差し出されたその手へ、自分の手を重ねた。
指先から伝わる温もりは、想像以上にずっと暖かいものだった。




