13 私を信じてください
皇子妃とは、つまり私のこと。
まさか……私のためにルロッタ嬢を叩いたっていうの?
「……聞かれていたのですか?」
「私に謁見を断られたあなたが家に帰らず皇子妃の元へ行ったっていうから急いで来たのよ。それより、論点をずらさないでちょうだい。ただの侯爵令嬢が、この国の皇子妃であり、テレジアン王国の姫である彼女に向けて良い言葉ではなかったわよね?」
「皇女、誤解です。私はただ皇女のためを思って……」
「私のためですって? ふざけないで! 私を助けてくださったのは、ルクレティア妃ただ一人だったのよ! 誰一人として私に手を差し伸べようとしなかった。あなたも、あなたたちも。ただ遠巻きに私を見るだけで何もしてくれなかったくせに……どうして私のためなんて言えるのよ!」
「それは……」
アリステア皇女から問い詰められたカルロッタ嬢は言葉を失い、視線を落とす。
その背後で控えていたアリエル嬢とシルヴィア嬢もまた、彼女と同じように俯いた。
「あなただけは私の味方であると、そう信じていましたのに」
先ほどまでの凛とした声とは違い、今にも泣き出してしまいそうなほど弱々しい声でアリステア皇女がそう告げた。
アリステア皇女とカルロッタ嬢がどれほどの時間を共に過ごしてきたのか、関係を築いてきたのか、ヴァレンツィアへ嫁いできて、まだひと月半の私にはちっとも分からない。
幼い頃から親しい友人だとはメイドたちから聞いていたけれど、その程度だ。
そんなことを考えていると、皇女の瞳がゆっくりと私へ向けられた。
「ルクレティア妃」
子供の成長は早いというけれど、まさかここまでだとは思わなかった。
「私が今ここに立てているのは、あなたのおかげです。本当にありがとうございます」
そう言って、アリステア皇女は深く頭を下げた。
肩から流れ落ちる淡いピンク色の髪がさらりと揺れ、水色のドレスの裾を摘まむ姿は皇族らしい気品に満ちている。
「そして、これまでの無礼な振る舞いの数々をどうかお許しください」
落ち着いた声で謝罪の言葉を口にしたアリステア皇女。
彼女は本当に、あのアリステア・ディ・ヴァレンツィアなのだろうか?
本当に信じられないことばかりだ。
カルロッタ嬢を叩いただけでも十分驚いたというのに、今度は私に頭を下げるなんて。
「皇女……」
あまりの衝撃に、上手く言葉が出てこない。
だが、このまま皇女に頭を下げさせ続けるわけにもいかない。
私が、帝国の大切な皇女さまに頭を下げさせている姿を使用人にでも見られたら、どんな勘違いをされ噂をされるか……想像しただけでも恐ろしい。
とにかく頭を上げてもらわなければ。
「アリステア皇女。お願いですから、どうか顔を――」
「何の騒ぎだ?」
低くも芯のある、よく通る声が私の覚悟ある一声を遮った。
それは憎き令嬢たちのものでも、涙に頬を濡らすアリステア皇女のものでも、もちろん私の声でもない。
「おにいさま……」
アリステア皇女が呟いたその一言が、この場の空気を一変させる。
まっすぐな足取りで姿を現したのは、私の形式上の夫であり、涙を流す皇女の兄。
アルセイン・ディ・ヴァレンツィア皇子だった。
皇子の姿を目にした途端、アリステア皇女の表情に、はっきりとした動揺の色が走る。
その透き通るように白い手を胸元でぎゅっと握り合わせ、長い睫毛を震わせながら苦しそうに目を伏せた。
そして、まるで恐ろしい魔物から逃げ出すかのように勢いよく踵を返し、そのまま部屋を飛び出してしまった。
「皇女!」
「アリステアの所には、後でフレデリック公子を送っておくから大丈夫だ」
呼び止めようと声を上げたが、驚くほど冷静なアルセイン皇子が私を制した。
彼はこちらへ歩み寄ると、皇女より濃い色の瞳で私を見つめた。
「それで、君が説明してくれるか? これは一体どういう状況なのか」
「そ、それが……」
アルセイン皇子に説明を求められ、私は思わず下唇を噛む。
これ以上面倒ごとは起こしたくないと考え、とっさに政治の話で盛り上がったと適当に誤魔化してしまおうと思い、口を開こうとした。
「アルセイン!」
けれど、それもまた何度目かの邪魔者によって塞がれてしまった。
どいつもこいつも、どうして私に最後まで話させてくれないのよ!
背後から甘い声が響く。
カルロッタ嬢が潤んだ紫色の瞳で迷うことなく皇子の方へ駆け寄り、そのまま勢いよく彼の腕へ身を預けるように抱きついた。
「あなたが来てくれて、私がどれほど安心したことか……!」
嗚咽混じりに、震える声で訴えるカルロッタ嬢。
ぽろぽろと涙を零し、まるでこの世の終わりだと言わんばかりに肩を震わせる姿は、王都の劇場に立てば十分主役を張れるだろう。
皇子の視線がカルロッタ嬢へ向く。
長身の彼に見下ろされ、小さく震える美しい令嬢。
まさに、ロマンス物語の一場面ってところかしら?
こうして見ていると、凱旋式の日を思い出す。
悲劇のヒロインを演じるのは、彼女の得意技なのだろう。
「どうした。頬が腫れているが……」
「グスッ……あのね、私ったらルクレティア妃を怒らせてしまったみたいなの」
口元に手を添えて、涙交じりにあざとく声を震わせるカルロッタ嬢。
伏し目がちに潤んだ紫色の瞳は、ときおり長い睫毛の隙間からアルセイン皇子の表情を覗っている。
ここまでくると、素直に感心してしまうわ。
泣き顔ひとつで場を支配する才能。
こんな状況でも私を悪者に仕立て上げようとする執念……いや、執着と言ったほうが正しいかもしれない。
まさか、アリステア皇女に叩かれた頬まで私の仕業にするつもり?
私は込み上げる感情を抑え込むように、私はケープの袖をギュッと握りしめた。
「怒らせた?」
「ええ、そうなの。アルセインは知らなかったわよね? 皇女が倒れたあの日、あなたが皇女を連れて行った後に何があったのか」
「俺がアリステアを連れて行った後に騒ぎがあったことは報告を受けている」
ああ、なんだ全部知っていたのね。
そのうえで私を放っておいたの? 何も言わず、気づいていないフリをして私を泳がしていたの?
もしかしてあなたって、案外性格が悪いのかしら?
「本当なのか?」
「え? 何を言うのよ。私があなたに嘘を付くわけ……」
「俺は彼女に訊いている」
アルセイン皇子は自身の腕に縋りついていたカルロッタ嬢の手を静かに振り払うと、そのまま私の方へ歩み寄ってくる。
その美しい水色の瞳に私だけが映し出されると、またギュッと胸の奥が締め付けられた。
緊張して、怖くて、心臓の音が煩くて今にも死んでしまいそうだ。




