11 交錯する視線
「私も、アリステア皇女がお目覚め次第、皇女宮へ伺います」
「ぜひ、そうしてやってくれ。君は恩人だから、君が来てくれればあの子も喜ぶだろう」
恩人……あなたはまだ何も聞いていないからそんなことが言えるのよ。
それに、アリステア皇女は私の顔を見たら、すっごく嫌な顔をすると思うけど?
悪意を隠し切れない下手な笑みで、また嫌味ったらしい毒を投げつけてきそうだわ。
そんなことを考えながら、私はアルセイン王子を見送るため部屋の扉を開いた。
廊下へ一歩踏み出した、その時だった。
「ルクレティア妃!」
「……公子?」
そこにいたのは、フレデリック公子だった。
「良かった。まだお休みに……アルセイン?」
フレデリック皇子の金色の瞳が大きく見開かれる。
私と王子を交互に見て、その表情がみるみるうちに強張っていく。
夜も更けた時間。
夫婦である皇子と皇子妃が、同じ部屋から並んで出てくる。
……まあ、勘違いしても仕方がない状況ではあるけれど。
フレデリック公子の耳まで赤く染まる様子を見て、私は思わず心の中で苦笑した。
違うのよ、公子。あなたが想像するようなことは、何一つ起きていないわ。
「……コホン。申し訳ございません」
フレデリック公子は気まずそうに咳払いをすると、照れ隠しをするように視線を逸らした。
「フレデリック。こんな時間に皇子妃を訪ねてくるとはどういうことだ?」
「申し訳ございません。無礼は承知しております。ですが、一刻も早くお伝えしなければならないことがございました」
「ほう? 俺にではなく、皇子妃の方へ?」
「もちろん、真っ先にあなたの部屋へ向かいましたよ。ですが、皇子は不在だったので、皇子妃の元に来たのです」
「そ、それで、公子。何か用があったのではありませんか?」
間に入るように言葉を挟んだ私は、わざと明るい調子を装った。
私はもう疲れたの。さっさと部屋に戻って寝たいのよ!
私の言葉にフレデリック公子は我に返ったように目を瞬かせ、もう一度咳払いをした。
「失礼いたしました、ルクレティア妃。ではお二人共、すぐに皇女宮へ向かいましょう。アリステア皇女殿下が目を覚まされました」
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「皇女殿下、フレデリック・ティアルジです」
「……どうぞ」
扉越しに聞こえた微かな返事と共に、重厚な扉が静かに開かれた。
「失礼いたします」
フレデリック公子が落ち着いた声で告げ、室内へ足を踏み入れる
私もその後に続くと、そこにはベッドで身を起こすアリステア皇女の姿があった。
顔色は先ほどより幾分血色を取り戻していたが、頬はやつれ、目元には濃い疲労の色が残っている。
「こんばんは、アリステア皇女。お加減は如何ですか?」
「…………」
私の声に反応し、彼女の水色の瞳がゆっくりとこちらを向く。
皇女は何か言いたげに小さく口を開いたが、すぐにその唇は結ばれ、言葉を押し込めるようにして閉じられてしまう。
代わりに、その視線は私の斜め後ろへと移った。
「アリステア」
「おにい、さま……」
驚いたように目を見開いたアリステア皇女。
その宝石のように澄んだ水色の瞳が大きく揺れる。
「ごめんなさい!」
次の瞬間、皇女は勢いよくベッドから降りると、そのまま大理石の床へ跪いた。
「皇女!?」
あまりの衝撃に声を上げたのは私だったのか、それともフレデリック公子だったか……あるいはその両方だったかもしれない。
「ごめんなさい……! ご迷惑をおかけして、ごめんなさい、お兄様! 私のせいで、わ、私のせいで、本当にごめんなさい……!」
怯えたように体をガタガタと震わせて、顔を伏せたまま何度も謝罪を繰り返すアリステア皇女。
頬を伝う涙は止まることなく、ぽたり、ぽたりと床へ落ちていく。
「皇女様、落ち着いてください! まだ安静にしていませんと……!」
すぐに駆け寄ったフレデリック公子が声をかけるが、皇女の耳には届いていないようだった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……私を許してください……」
「皇子、これは一体……」
視線をアルセイン皇子へ移すと、彼はただ苦しげに眉を寄せ、泣き崩れる妹を見下ろすだけだった。
「……アルセイン皇子?」
アリステア皇女が突然泣き崩れた理由も、アルセイン皇子の沈黙も、何ひとつ理解ができない。
ただ、部屋中に皇女だの嗚咽だけが響き渡っている。
私は無意識にスカートを強く握りしめた。
「公子。皇女を頼んだ」
「ですが……!」
困惑を隠せないままフレデリック公子が顔を上げる。
それでもアルセイン皇子は視線を逸らさず、有無を言わせぬ声で繰り返した。
「頼むよ。フレデリック」
「……かしこまりました」
短い返事を聞いたアルセイン皇子は踵を返し、そのまま部屋を後にする。
「……まって」
気づけば私は、考えるよりも先に彼を追いかけるため足を踏み出していた。
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「今度は立場が逆になったな」
立場が逆。
ここは、凱旋式の夜に逃げ出した私をアルセイン皇子が追いかけてきた、あのバルコニーによく似ていた。
静かな夜風が吹き抜け、私の金髪と彼の黒髪を揺らす。
私のローズピンクの瞳と、彼のアイスブルーの瞳が向かい合う。
ああ、私はどうして彼を追いかけてきたのだろう。
あの場が居心地悪かったのなら、そのまま自室へ戻ればよかっただけなのに。
それなのに、気づけば私は彼の背を追っていた。
そして彼もまた、自分の行動に納得がいっていないようだった。
「驚かせてすまなかった。君には予め、話しておくべきだった」
「いえ……」
驚かなかったと言えば嘘にはなる。
だけど、わざわざ謝られるほどのことでもない。
ここは、やっぱり訊くところだろうか?
この兄妹たちの関係に興味はなかったが、さすがにあんな光景を見せられてしまえば、疑問くらいは湧いてしまう。
「前に、俺は家族の言葉は絶対に信じるようにしていると話したことがあっただろう」
幸いにも、彼は自ら話し始めてくれた。
「昔、俺はあの子の言葉を信じてやれなかったんだ」
彼は夜空を見上げながら、どこか自嘲するように語り出した。
彼が言うには、今から数年前。二人がまだ幼い少年少女だった頃のこと。
皇女が体調不良を訴えてきたという。しかし、普段から皇女はことある事に体調不良を言い訳に授業をサボろうと測っていたため、皇子は普段通り、「仮病を使っても授業は無くならない」と返してしまったのだという。
その日に、アリステア皇女は倒れ、それ以来、病に伏すようになった――と。
ヴァレンツィアの皇女は、生まれながらにして過剰な魔力を宿していたせいで身体の機能と釣り合わず、療養を余儀なくされていると聞いていた。
でも、まさかそんな経緯があったなんて……。
「昔から仮病がかり使う子だったんだ。しかし、だからといって、あの時の俺はあまりにも愚かだった。何があっても、たとえ偽りだったとしても、俺だけはあの子の言葉を信じてやるべきだったのに」
仮病をよく使っていたアリステア皇女の自業自得。
そう思ってしまう私は、本当に酷い人間だと思う。
大切にしている妹が自分のせいで……。
そう思っていたから、あなたはアリステア皇女に嫌われていると思い込んでいたのね。
自分が妹を傷つけてしまったと。
だったら、アリステア皇女は? どうして兄のことが好きでたまらないくせに、いざ本人を目の前にすると、あんなに怯えていたの?
『俺は何があっても家族の言葉を信じる』
そう言ったあなたの姿は、目を閉じればすぐに思い出すことができる。
私を信じると言ってくれた、たった一人の存在。
そんな出来事があったからこそ、私を信じようとしてくれるの?
政略結婚で嫁いできた私を妻として認め、家族だと思ってくれるの?
それはまた随分と優しいことを言うのね。
「にしても、この話を誰かにする日が来るとは思わなかったよ」
そう言って困ったように笑うアルセイン皇子。
月光に照らされた彼の顔は美しく、陰影がその端正な顔立ちをより際立たせていた。
いつだったか、テレジアン王国の建国祭で異国から訪れた詩人が「この世で最も美しいものは夜空である」と言っていたけれど……きっと、アルセイン皇子の前では、輝く夜空までもが彼の引き立て役にしかならないだろう。
艶やかに揺れる黒髪も、宝石のように澄んだ水色の瞳も。見つめているだけで、吸い込まれてしまいそうだ。
「いつかは君の秘密も聞かせてくれ」
「私の秘密……ですか?」
「俺ばかり話すのもフェアじゃないだろ?」
自分から勝手に話し始めたくせに、何がフェアじゃないというのだろう。
私はそっと視線を逸らし、そしていつものように明るく笑う。
「そうですね。また機会があれば、お話しします」
私の秘密が知りたい?
どれほど私の人生が、嘘と虚飾で塗り固められてきたのか。
どこまでが演技で、どこからが本心なのか。
自分でも分からなくなるほど歪んだ人生だったことを。
一体、何から話せばいいのだろう。
どこから話せばいいのだろうか。
きっと……隠していない部分を数えた方が、ずっと早いわね。




