13
何度も夢に見た光景だった。迫るトラックに驚くばかりで、すくむ足を動かすことも出来ない俺。目の前に迫った巨大な物体に、ようやく無意識的に避けようと動き出すが、当然間に合うわけもなく跳ね飛ばされた。巻き込まれ、引きずられた腕がズタズタになっていく。
俺の後悔はただひとつ。あの時中途半端に避けようとなんて、しなければよかったことだ。そうすれば、無様に生き延びて剣を振るう腕をなくすなんて生き地獄は味わうことなかった。どうせその後家族にはたくさんの苦労をかけて泣かせてばかりだったのだから、死んで泣かせていても変わらなかっただろうと、そんなことばかりを考えている。
考えた結果、身を投げたのは悪手にもほどがあったと今では分かるが、しかしそのおかげでこんなところまでやってきて、かつてよりは前向きに生きていられているのだから悪いことばかりではなかった。
だからだろうか。俺にとって死とは、変化の象徴だった。
目を覚ますと、まず見えたのは仰向けに寝転がっているらしい俺の体の上に陣取る、毛足の短い薄灰色の犬。どうしてか重さを感じないが、俺の胴をすっぽり覆ってしまっているらしい体の温かさを感じる。その犬の、柔らかなまなざしに見守られながら起きて、驚くこともしていない自分に気づくまでが、ポエットとレナエルが戻ってくるまでに出来たことだった。
「体の調子はどうだい?」
ポエットの店の座敷に寝かされていた俺は、血まみれだった服を脱がされて毛布を掛けられていた。そしてそこに、その服やら汚れを拭ったタオルやらを処分してきたレナエルと、見た目には傷もなくなって安定していそうな俺よりも練武場の管理人と話をつけることを優先したポエットが戻ってくる。俺が目を覚ましていると気づいた途端にわあわあと話しかけられたが、寝起きにふたりいっぺんに話されても聞き取れるわけがない。煩わしそうにふすんとため息吐いて俺の首元に頭を置いた犬を撫でることを優先させると、気づいたポエットがようやくレナエルも止めて落ち着くよう場を整てくれた。
「おそらく、問題はない」
穴の開いていた左腕も、問題なく動く。犬を撫でるときに無意識的に左手を使っていたが、違和感もなかった。そして、ポエットの淹れてくれたお茶を持ってみても、問題なく茶碗を握れるし温度も感じる。
「そりゃなにより。あたしが行った時にはもう傷は治りきってたからね、結局あんたが起きるのを待つしかなかったんだよ」
「それは、俺の回復魔法がちゃんと発動したってことか?」
尋ねると、ポエットは複雑そうな顔をしてレナエルを見る。視線を向けられたレナエルの方も、言葉を探しているのか目をあちこちに向けて、最後には諦めて首を振った。
「私にも、何が起こったかなんて分からないよ。多分、回復魔法は発動したんだと思う。あっという間に体は治ってた。でも、全然体温が戻らないし、すぐに呼吸も弱くなりだして……ううん、一回、呼吸は止まってた。心臓までは分からないよ。そんな余裕、なかったから」
話しながら、その時のことを思い出したのか顔を青ざめさせるレナエルに、ポエットが寄り添う。ポエットと顔を見合わせ、手を握ってもらったことで気持ちを落ち着けたのか、何度か深呼吸をしてからまた話し出した。
「呼吸が止まってすぐ、凄い風が吹いたの。それで、気づいたらその犬がいた。ずっと、ぴったりくっついて、気づいたらその犬の胸が呼吸で膨らんだりするのに合わせるみたいにアスターの呼吸も戻ってた。伯母さんたちが来て、アスターを運ぶのに担架を使ったけど、その時には犬を離されても呼吸が止まったりすることはなかったから、くっついてる必要はもうないのかなって思うけど、ごめん、それ以上はあたしには分からない」
また首を振って、これ以上話せることはないと態度でも示すレナエルに、俺も頷き返す。
レナエルの見たままを信じるなら、俺はこの犬に助けられたらしい。起きたときから離れず、今も隣にぴったりとくっついて座っている犬は、俺が目を向けると見られていることに気づいてこちらを向き、控えめに尻尾を振る。
「あんたのことは魔術師だと思ってたけど、精霊師だったのかい?」
さてこの犬の扱いをどうすべきかと考え始めたところで、ポエットに話しかけられて思考が中断する。問われた内容は、少々聞き捨てならないことだった。
「精霊師? いや、魔術師のままだったはずだが……」
「だが、そいつは精霊だろう。精霊を召喚出来るのは、精霊術を使える精霊師だけだよ」
「こいつが、精霊? 本当か?」
疑いながら、また犬に視線を戻す。律儀にも俺が目を向けるたびにこちらを振り仰いでくれる様からは好意が感じられた。
精霊だと言われても信じ難いのは、見た目が何の変哲もないただの犬だからだ。例えば緑色の毛並みだとか、体が風で出来ているとか、そういうのがあれば分かりやすいんだが、撫でた感触ですら何の変哲もないただの犬だった。
「精霊師に昇級は出来るようになっていた。けど、精霊師がどんなジョブなのか分からなかったから、ひとまず体力作りを優先して昇給は保留にしていた。それが、勝手に昇級されたってことか?」
「勝手に、というよりも、火事場の馬鹿力ってやつかねぇ。たまにあるんだよ。基本ジョブの時に死にかけるとその時一番適性のある上級ジョブになるってことが」
「それで助かるのか?」
「単純に、体が頑丈になるとか魔力が増えるとかがあるからね。致命傷を受けても少しだけ耐えられるのさ」
強引に解釈するなら、例えばHPがあるとして、昇級した際の残りHPはパーセンテージ換算されるのだろう。基本ジョブのときに最大HPが千で残りHPが五の瀕死になったとして、上級ジョブで最大HPが増えても五の状態が引き継がれるわけではなく、HPが増えた割合に合わせて残りHPも増える。ということでいいはずだ。
しかしそれでは、この犬が召喚された理由が分からない。精霊師になると精霊術が常時発動されるなら分かるが、恐らくそうではない。
「ポエットは、精霊師のことについて、詳しいのか?」
「軍の同僚にいたけど、詳しいかって言うとそうでもないねぇ。一般知識くらいだよ。だから、その犬が精霊ってことは分かるけど、それ以外はさっぱりさね」
「そうか。じゃあ、この先で精霊師に詳しい人がいるところに心当たりはあるか?」
「それもあんまりだね。なんせあたしは武闘家一辺倒だったから、魔法使いには興味がなかったんだ。魔法使いの知り合いも軍の関係者ばっかりで、大部分は皇都にいるか……魔法都市ハロベルトにいるか、だね」
「ハロベルト?」
「魔法使いたちの楽園さ。魔法について追及することしか考えてない連中が集まってるところだよ」
言われて、思い出すことがあった。
「もしかして、魔法学院ってやつがあるところか」
「ああ、それは知ってるんだね。そうだよ。ハロベルトの中心にあるのが魔法学院カルセティス。魔法に関する英知の集まる場所ってことらしい」
スペンサー軍総長との会食で、エリーズ様が名前を出したのが魔法学院長のマドロンという皇女のことだった。皇女自身には興味はなかったが、魔法学院にはいつか行ってみたくて覚えていた。だから皇都にいる間に場所を調べていたが、魔法にしか興味がない連中がいる場所だけあって、皇都の影響が届きにくい遠方にあったはず。なにかしらの移動手段を手に入れないと、辿り着くのは数年後になりそうなほど遠くだ。
「分かった。じゃあ、この先はハロベルトを目指して進むよ。目的地のない旅だったからな、ちょうどよかった」
魔法を極めるならいつかは行かなければいけなかっただろう。そう観念して、諦めを込めて宣言した。




