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「じゃあ、機会があればまた」
「そうだね、その時にはこの店の店主はレナエルかもね」
「本人に言ってやれよ、そういうことは」
呆れて突っ込んでしまうと、ポエットはいたずらめいた顔で笑った。レナエルをかわいがって、期待しているには違いないのだろう。
数日のうちにこの町を出る予定で、後は食料の準備をするだけ。ポエットに会う用事はないので、特別何かがなければこれが最後だろうとこんな挨拶をした。なのに、ポエットの店を出た瞬間に、真正面に立って明らかに俺を待ち構えていた人を見つけて、また厄介ごとかとうんざりしてしまう。問題の程度によっては、この挨拶をしたばかりの店にまた戻ってくる羽目になるんだろう。
しっかりと腰から折って頭を下げたその人は、兎の獣人だった。真っ白な毛並みにピンと伸びた耳をしている兎らしい頭に反して、目つきは鋭く厳めしい表情をしている。服で分からないが、見えている部分から察するにふわふわの毛に包まれている体は、人間と同じ大きさで二足歩行をしている。だが、それを置いても俺よりはずっと身長が高く体格の良さまでが伺えた。皇都の雑踏の中で獣人らしい人は何度か見かけたが、動物の特徴の表れ方は人によって違った。ほとんど人間のような見た目の人もいたし、両腕が翼で飛んで移動している鳥の獣人もいた。その中で、完璧な二足歩行で動き方は人間らしいのに、見た目は動物的特徴の強いこの人は少々格が違うように見える。
「アスター殿とお見受けします。私はオーピッツ。イニャス殿下の護衛を務めております」
「ご丁寧にどうも。本日はどんな御用ですか」
予想していたとはいえ、またかと思ってしまうのも仕方ないだろう。こんなにもあの皇子との縁が後引くと分かっていたら、皇都にいる間にスペンサー軍総長に頼っていた。
オーピッツは俺の質問には答えず、慇懃な仕草でついてくるように示す。話をしてしまったからにはついていかないわけにはいかず、渋々後に続いた。どうせまたイニャス皇子が呼んでいるのだろうと思ったが、辿り着いたのは誰もいない練武場。すでに入場の受付はしていたのか、管理人に止められることもなく入っていく。練武場の中心まで来て、やっと止まった。
「私は、イニャス殿下の指導も務めております。あなたはイニャス殿下を下したそうですが、弟子の仇は師がとるもの、とご理解ください」
「その理論で行くと、俺の師はリュカの旅の仲間、シャルロットだがいいのか?」
「もちろんです。イニャス殿下のためならば、すべてを下してみせましょう」
覚悟は十分なようで、引く気は見られない。
分厚い刃のナイフを構えるオーピッツ。俺が杖を構えると、イニャス皇子とそっくりな格好で飛び出してくる。しかし、さすがは兎というべきか、イニャス皇子よりもずっと速くイニャス皇子にしたようには俺の魔法発動が間に合わない。
「由良の門を、っ!」
ナイフが目の前に迫り、咄嗟に杖で防ぎながら詠唱する。カンッと軽い音で杖を弾かれるが、魔法発動も中途半端に出来てしまって鎌鼬が俺とオーピッツの間で小さく爆発した。ふたりとも弾かれて、少しだけ距離が出来る。
「しのぶれど」
再び走り出そうとするオーピッツよりも、俺の詠唱の方が早かった。発動した台風は、俺の周りを囲ませる。オーピッツは体格がよく、走り出しも力強い。イニャス皇子と違って薄い台風なんて簡単に突破するだろう。それならと、切りつけてくるナイフを少し鈍らせるくらいは出来るだろう使い方をする。
狙った通り、迫ってくるナイフは狙いがブレた。的確に杖を持てないようにするため腕に向かっていた刃先は、またその先の杖に当たる。
「お強いですね」
口ではそう言いながら、表情も変えずに次の行動に移るのだから信用ならない。
ナイフを持っていない方の手が伸びてきて、服の襟首をつかもうとする。そんなことをされれば台風の防御なんてものは意味がなくなってしまうが、杖は弾かれたせいで明後日の方を向いている。仕方なしに、転ぶのも構わず後ろに飛んだ。
「逃げるのがお上手ですね」
「それは、本気で言ってるだろ! 滝の音は 絶えて久しく なりぬれど!」
挑発に乗るなんて馬鹿な真似はしないが、むかつくことに変わりはない。少々力が入った瀑布が杖の先から勢いも強く吐き出され、当たったオーピッツはその勢いに負けて距離を取らされる。その隙に俺は立ち上がって、更に後ろに後ろにと下がった。イニャス皇子の指導役と言うからには、この人のジョブもイニャス皇子と同じく暗殺者なんだろう。そんなのを相手に魔術師が近距離でいるなんて勝ちを捨てるにも等しい。
ほんの少しの攻防でも息が切れる。一手間違えれば怪我をするどころか死んでいた。オーピッツはそれも良しとして攻撃してきている。それを証明するように、次の攻撃は何か技をつかったのか、気配もなく一瞬で背後に回り込まれていた。
「い、てぇ……くそっ!」
必死に稼いだ距離を瞬きひとつの間になかったことにされ、攻撃は避けられるはずもなく杖を持つ左腕をナイフが貫く。痛いですまされるものでもなかったが、頭に血が上っているおかげか動きを止めることはなくすんだ。
「由良の門を 渡る舟人 かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋の道かな」
五連のちいさな鎌鼬を、オーピッツは身軽にすべて避ける。
「うかりける 人を初瀬の 山おろしよ」
着地を狙った大き目の颪も、驚くことに目に見えないほどの素早さで踏み出された足が中空を蹴ることで避けられる。
ナイフを刺された腕の傷は大きく、血が流れ続けているが治している余裕なんてない。今だって、次は何をしたらいいかと考えた一瞬を狙われて、また肉薄してきたオーピッツの横薙ぎの攻撃でまた杖を弾かれた。そして、ガラ空きになった腹をあの足で蹴られる。
「ぐぷっ」
口からも鼻からも血が噴き出す。内臓に傷がついたのだとは分かるが、それ以上は考えている余裕なんてなかった。
ほっておけばそのまま倒れたはずの俺を、オーピッツは今度こそ襟首を掴んで止める。抵抗することも出来ないどころか、ついに力の抜けた手から杖が落ちた。台風も消えて全くの無防備になった俺に優位を得たはずなのに、相変わらずオーピッツの表情は変わらないように見える。これは兎の顔だから表情の変化が分からないだけだと思いたい。そうでなければ、俺は無表情無感情に殺されたことになってしまう。
オーピッツは、袈裟懸けに切った俺の体から、ゴミを捨てるみたいに手を離した。そして、振り返ることもなく立ち去ってしまった。
「噓でしょ、アスター!」
オーピッツとすれ違って、レナエルが駆け寄ってくる。わずかに残った意識の中で、そばにしゃがみこんだレナエルが止血を試みながら、大きな声で管理人を呼ぶのが聞こえた。
どう考えても、最後の一撃はいらなかったはずだ。しかし、オーピッツは容赦なく俺を切った。ずっと杖に攻撃が当たっていたから、俺が避けたからではなく致命傷を避けるためにそうしているのかとも思ったが、やはり初めから殺すつもりだったのだろうか。なのに、管理人が見ているこんな場所を選んだ? 辻褄が合わないそれが気持ち悪くて、おちおち気絶もしていられない。
「つ、え……どこ……」
指の一本も動かせないくらい辛いが、それでも手を這わせてすぐそばにあるはずの杖を探す。
「杖? これ? これでいいの、アスター」
気づいたレナエルが、みっともなくうごめくだけの俺の手に杖を握らせてくれたおかげで、無事に杖が戻ってきた。魔力が流れることも確認出来ないまま、細い息を吐きだすだけで精いっぱいの口をこれが最後だと鞭打って動かす。
「高砂の 尾の上の桜 咲きにけり」
掠れて、人に聞こえたかは怪しい詠唱だった。一体どこまでが詠唱として認められるか不安だったが、これが今の全力だから仕方ない。後は天運に任せるのみだと、そこで意識を手放した。




