4話 初めましてと問答
「いい加減、離縁を考えるべきでは」
「体の弱いアルフルーレを放逐せよと。それにカトリーヌの養育にも多大な影響がある。社交界の白百合と呼ばれた我が妻だからなせる技はこれから増えるだろうに、ずいぶん目先のことしか考えない発言をなさる」
「っ、ならば早く男児を孕ませろ!本家をあの下賤の血を引く娘が継ぐことは許されん。跡継ぎのないままにするのもいい加減にしないか!」
カトリーヌが六歳になったころ、一族は侯爵家の跡継ぎが未だ存在しない問題で紛糾していた。正統な子供は病気に伏せ死を待つばかり。養女は成り上がりの下賤な血を引く嫁がせるための駒だ。では、誰がバルトロメオの後に納まろうというのか。
侯爵家を心配しているようで、その実自分たちに利のある展開に強引にでも持っていこうとする親族たちを冷めた目で見て、バルトロメオは机に手を置きわざとらしく立ち上がった。
「カトリーヌの侮辱は侯爵家への侮辱と同じ。下品な言い様はやめていただこう。
……それと、私の後はアンクレータ家のルカ君を養子に引き受けることで合意している。これで問題は解決だな。……何か問題でも」
きついバルトロメオのまなざしに親族は口をつぐむ。アンクレータ伯爵はバルトロメオから見て従兄弟にあたる。彼の下には男児が三人生まれており、その次男であるルカに侯爵家を継いでもらおうと考えた。家柄も功績も申し分のない家だ。合意を完了している以上、文句を言う隙など親族連中にありはしなかった。
カトリーヌが生まれたころと比べ、着実に発言力を培ったバルトロメオはもはや親族に好き勝手されるような若輩ではなくなっていた。
「では、そのように」
アルフルーレの後釜を誘致して甘い汁でも吸おうとしていたのか、侯爵家を乗っ取り我が物にしようとしていたのか。親族の思惑など知りたくもないとでもいうかのように、バルトロメオは簡単に言い残して部屋を出た。
ある日、父の部屋に呼ばれたカトリーヌは思わず父の言葉を復唱した。
「……お義兄様、ですか」
「そうだ。この家を継いでもらうために、アンクレータ家の次男、ルカをわが家の養子に取ることになった。彼は今9歳だから、カトリーヌには兄となる」
ルカ、と聞いても咄嗟には顔が出てこない。親戚の子どもまでカトリーヌの正体を知っているとは思えないが、両親の空気に引きずられてカトリーヌのことを敬遠している者ばかりだったからだ。しかし、首を傾げて考えるうちに一人、そうかもしれない姿を思い出す。
「その人は、私より明るい金髪に、紫の目をしていた人ですか」
「そうよ。大奥様のお葬式にもいたから、カトリーヌも覚えていた?」
母の言う通り、カトリーヌが思い出したのは曾祖母の葬儀の後の時間だった。一人でどうしようかと周りを見渡していたカトリーヌが子供の集まりに目を向けた時、慣れない儀式で疲れた顔をしている者が多い中で随分と涼しい顔をしている少年がいた。大人っぽい人がいる、と思ったので覚えている。
「その方は、いついらっしゃるのですか」
「来週には迎え入れる準備が整う予定だ。後、ルカはカトリーヌの兄になるんだ。その方という他人行儀な呼び方はやめてあげてくれ」
「分かりました」
姿こそ知っているけれど、話をした覚えのない人が義兄になると突然告げられ、びっくりしたカトリーヌの頭は午後の勉強が簡単に入ってこなかった。
しかし、一日経ってみれば違和感も薄れる。そもそも、カトリーヌ自体が居候のようなもの。この家の正統な後継者がようやく現れたのだ。何かおかしいことがあるだろうか(居候なんて言ったら両親に泣かれそうなので、あくまで表現としてだが)。
(優しい人だといいな。伯母様たちみたいなことを言う人だと疲れちゃうから)
声を聴いたことのない義兄がどのような人だろうか、と想像しているとあっという間に時間は過ぎた。
カトリーヌが義兄の話を聞かされてから8日後。よく晴れた日の午後に、彼はやってきた。
「ようこそ、今日からここが君の家だ、ルカ」
「本当の親のように接してくださいね」
「これからよろしくお願いします、お義父様、お義母様」
馬車から降りてきたのはカトリーヌと頭一つ違う背をした、うねりのある明けの明星色をした髪を持ち、青みがかった紫色の目をした少年。バルトロメオ達の声掛けにやや緊張した声で彼は答えている。
(笑顔は、優しそう)
じっと見ていたカトリーヌの視線に彼が気付く。夜明けにも似た色合いと目が合った。
「初めまして、お義兄様。カトリーヌと申します」
「初めまして、カトリーヌ。今日から君の義兄になる、ルカです」
差し出された手を握る。初めて触れ合う同年代の手は、緊張でひんやりしていた。
そして、初めましてから数日。
(お義兄様、今日も忙しいのかな)
カトリーヌはルカと顔を合わせることが食事の時間以外なかった。双方やることが山積みで、予定が合わなかったのだ。
一度、義兄とゆっくり話してみたいと思う。しかし、ひとつ心配なことがあった。
(手を握った時に、お義兄様は私を見て少しだけ体を引いていた。多分、彼は私のことを知っている)
カトリーヌが本物ではないことを知っていることは別に問題ではない。これからルカはアイオリーシス家を継ぐ立場になるのだ。この家のことを知っているのは何もおかしいことではない。
ただ、それで避けられるのは少し寂しいと思うだけで。
(仕方がないわ。だって、私は本物の場所にいるだけだから。本家の娘でもない私に戸惑うのは当たり前のことよね)
考え出したら止まらなくなり、自室で読んでいた詩集の中身が全く頭に入らなくなった。
これではいけない、と思ったカトリーヌはいい天気の窓の外を見て、部屋の外で詩集を読み直そうと決める。場所を変えれば沈むだけの思考を変えられるかもしれない。
ルカに初めましてといったあの日のように快晴の外は日なたのいい匂いに満ちていた。日焼けするわけにはいかないので、木陰に設置されたベンチに座る。木漏れ日が少し眩しいものの、影特有のひんやりとした空気が心地よい。カトリーヌは持参した詩集を膝の上で開いた。
どれだけの時間がたったのだろうか。集中していたカトリーヌは本と体の間に差し込まれたものを認識することで、ようやく人が近づいていたことに気づいた。
視界を遮る物。それは、品の良いティーカップに淹れられた温かそうな紅茶だった。
「難しい顔をして、どうかしたのかい」
「っ、お義兄様……!?」
驚いたことに、紅茶を差し入れてくれたのは初対面以降話もできていない義兄、ルカだった。多少気まずい思いをしているのか、目線が宙を彷徨っている。
「どうして、紅茶を」
「カトリーヌとはまだ話が出来ていないとぼやいたら、話題代わりに、と使用人が渡してくれてね」
「……ありがとうございます」
義兄がカトリーヌと同じことに悩んでいたのが少しだけおかしい。折角の気配りに、遠慮してしまうほうが失礼だろうと思い、カトリーヌはカップをそうっと受け取った。お茶を口に含めば、じわりと温かさがしみる。木陰に長時間いることで、体が冷えていたことにも気づけていなかった。
「それで、カトリーヌが頭を悩ませていたのは何だい」
ベンチの空いている所に座り、ルカが選んだ手っ取り早い話題はカトリーヌの手中にある本。カトリーヌは素直に本の表紙を見せる。
「先日、家庭教師に詩作の課題を出されたんです。それで、参考として読んでいるのですけれど、納得できなくて」
「その本は……エスク・フールの詩集か。彼は韻の踏み方が上手で、素朴で美しい言葉選びが評価されている作家だろう。詩作をするのであれば、韻の踏み方を参考にすればよいのでは」
「あぁ、違うのです。詩の作り方ではなく、内容の方です」
手を振って否定するカトリーヌの言葉に、ルカは少し首をかしげる。瞬きを数度した後に、詩集の内容を思い出したのだろう。
「彼は神学者でもあったため、ルーレ教にまつわる物語を詠ったのだったっけ」
「はい」
この世界には〈神〉と呼ばれる存在がいる。
それは太古の時代に、不平等がはびこり苦しんでいた人間の元に表れた奇跡が始まりだった。
彼のものは悪辣なる古きもの達が支配する世界で、人間に生きる力を与えたものだった。
〈神〉は苦しむものを助けよと仰せになり、人々に加護を授けた。
その加護により人間は〈聖なる力〉を振るえるようになった。聖なる力は命儚き人間を守り、邪悪なる古きもの達へ裁きを下す一撃になった。
人々は奇跡に深く感謝と畏敬の念を捧げ、〈神〉の降り立った地を聖地と呼び、崇めている。
名のない〈神〉に代わり、聖地の名をもってこの宗教は〈ルーレ教〉と呼ばれている。
カトリーヌの住まう国、フリーダ王国のあるグランジオシア大陸で信仰される唯一の宗教。
それ故に、文化的側面にも多大な影響力を持つのだ。
今現在、カトリーヌが悩まされているように。
「飲み込めないのが、この一節です」
カトリーヌは問題の項を開いてルカに見せる。
そこに書かれていたのは、ある女性の物語だった。信心深い彼女は幾度となく困難に襲われ、人に裏切られてしまう。しかし、一度たりとも泣き言を吐くことなく、彼女は一心に人を信じて手を差し伸べ続ける。その気高い心を讃えられ、彼女は死後に神の御許に迎え入れられる。
「分からないのです。どうして彼女は人を信じ続けられたのでしょうか」
まっすぐに見上げてくるカトリーヌの視線を受け、ルカは顎に指を添えて黙考する。
「……そうだなぁ。僕の見解で悪いのだけれど。多分、どんなに悲しいことがあっても神様はいつも彼女を見守っているし、決して裏切らないからだと思う」
「裏切らない……」
「そう。神様は加護を授けるときに苦しむものを助けよと言った。その前には神様自身が苦しんでいた人間を助けた。苦しむ彼女を、神様は裏切らないことで救ったんだ」
「困難を退けてくれるわけではないのに?」
「試練は彼女のものであり、神様が手を下してよいものではなかったんだよ」
飲み込めなかったことは概ね理解できたが、カトリーヌはまだ喉に引っかかるものを感じていた。目線を落とすと、挿絵の彼女が光に向かいひたむきな顔で祈りを捧げている。
「神様は、彼女にとってそんなに大きな存在だったということですか」
「そういうことだろうね」
「……神様を信仰したら、この人のように強くなれるんでしょうか」
何気なく口に出した後に、カトリーヌは納得する。理解が及ばなかったのは彼女の折れない心の理由だったのか。
カトリーヌの落とした問いに、ルカは腕を組んで考え出す。
「うーん、神様を信じることで確固たる信念をもつ人の前例はたくさん本で読んだけどな……」
首をひねり、こめかみをおさえ。
「……多分、それは神様じゃなくてもいいんだと思う。何か、絶対的な心の支えがあることで強くなれる人がいるんだ。そして、詠われた彼女の支えは神様だった。そういうことだと思う」
「なるほど」
長考したルカの出した答えにカトリーヌは頷いた。
「どうしてこの一節で悩んでいたんだい」
「……神様を信じることで、この人のように強くなれるのなら。……わたしには、出来そうにないと」
カトリーヌは、寝物語で神話を聞かせられる度に言いようのない苦しさを感じていた。
彼の存在が本当に救い主だというのならば。苦しむものを助けよと仰るのならば。
私は、どうして——
「強さは一つじゃない。カトリーヌは、彼女とは違う強さを探せばいいだけだよ」
少し暗い色を帯びた声に気遣うように、ルカはカトリーヌの持つ本を閉じた。
「そう、ですね。分かりました。……それにしても、お義兄様は随分とお詳しいのですね」
「三年長く生きているだけさ。さぁ、そろそろ室内に戻ろう。体が冷えてしまっただろう」
「お気遣い、ありがとうございます。……お義兄様。またお時間があれば、今日のようにお話ししてくださいますか?」
詩集を持ちカトリーヌに手を差し伸べるルカの手を取り、質問する。
カトリーヌの問いに一度瞬きを返したルカは、初対面の時の顔よりももっと優しい笑顔で了承の返事をした。




