第2話「異世界エルディアへの第一歩」
眩しい光が収まり、柾木和雄がゆっくりと目を開けると、そこには見渡す限りの木々が広がっていた。
頭上では青々とした葉が風に揺れ、木漏れ日が地面にまだら模様を描いている。鳥のさえずりに混じって、遠くから聞いたことのない動物の鳴き声が響いていた。
「おお……本当に森の中だ」
和雄は周囲を見渡しながら、思わず感嘆の声を漏らした。
つい先ほどまで女神メシアと話していたはずなのに、今はまったく知らない森の中に立っている。湿った土の匂いや頬を撫でる風の感触が、これが夢ではないことを教えてくれた。
「ここが異世界エルディアか。さて、まずはジェノバの街を目指さないとな」
メシアの説明では、この森はアルヴェイン王国のジェノバという街の南側に位置しているらしい。
和雄は自分の身体を確かめた。以前よりも背が低くなり、手足も若返っている。それなのに、身体の奥から湧き上がる力は25歳だった頃を上回っているように感じられた。
「十六歳の身体って、こんなに軽かったっけ?」
軽く膝を曲げてみると、驚くほど滑らかに身体が動いた。長年培ってきた身体操作の感覚も失われていない。
むしろ、余分な力を抜いて動いたときの反応が以前より鋭くなっている。
「これならブレイドアーツも問題なく使えそうだな」
和雄は満足そうに頷くと、女神から授かった空間収納を思い出した。
使い方は不思議なほど自然に理解できる。頭の中で収納空間を意識すると、目の前に半透明の画面が浮かび上がった。
【アイテムボックス】
収納状態:正常
時間停止機能:有効
収納物:女神の刀/初心者用衣服/革製の鞘/その他
「おっ、ちゃんと入ってるな」
和雄は刀を取り出してみた。
空間がわずかに揺らぎ、次の瞬間には一本の刀が手の中に現れた。落ち着いた黒色の鞘に収められた刀は、見た目こそ日本刀に近いが、手にした瞬間に普通の刀とは違うことが分かった。
「いい重さだ。それに、重心の位置も悪くない」
和雄は周囲に危険がないことを確かめてから、静かに刀を抜いた。
陽光を受けた刀身が美しく輝く。
「へえ……これは凄いな」
刃の反り、柄の長さ、握ったときの感触。そのどれもが和雄の身体に自然と馴染んだ。
軽く刀を振ると、鋭い風切り音が森に響いた。
「うん。これなら問題なさそうだ」
和雄は刀を鞘に戻し、腰に差した。
そのとき、近くの茂みからガサガサと音が聞こえてきた。
「……ん?」
和雄は音のした方向へ視線を向けた。
茂みの奥から現れたのは、緑色の肌をした小柄な人型の生き物だった。身長は一メートルほどで、手には粗末な棍棒を握っている。
「これって、もしかしてゴブリンか?」
和雄が呟くと、視界の端に文字が浮かび上がった。
【鑑定】
名称:ゴブリン
種族:魔物
危険度:低
特徴:群れで行動することが多い小型の魔物。棍棒や粗末な武器を使用する。
「おお、鑑定ってこういう感じなのか。便利だな」
和雄が感心していると、ゴブリンはこちらに気づいたらしく、耳障りな叫び声を上げた。
「ギャギャッ!」
ゴブリンは棍棒を振り上げ、そのまま和雄へ向かって突進してきた。
「おっと、いきなり襲ってくるのか」
和雄は落ち着いて相手の動きを観察した。
ゴブリンの攻撃は大振りで、足運びも雑だった。剣道五段の実力を持ち、長年ブレイドアーツを教えてきた和雄にとって、その動きを見切ることは難しくない。
振り下ろされた棍棒を半歩横へ移動してかわすと、和雄は刀の柄に手を添えた。
「悪いけど、こっちも命がかかってるからな」
次の瞬間、刀が鞘から抜き放たれた。
一閃。
ゴブリンは何が起きたのか理解する間もなく、その場に崩れ落ちた。
「……よし」
和雄は刀身を確認してから、静かに鞘へ戻した。
初めて魔物を倒したという実感は、すぐには湧いてこなかった。だが、相手が本気で襲ってきた以上、ためらっていれば自分が危険だったことも理解している。
「これが異世界なんだな。日本とは違うってことか」
和雄は小さく息を吐いた。
その直後、目の前に新しい表示が現れた。
【魔物討伐】
ゴブリンを討伐しました。
経験値を獲得しました。
《経験値2倍》が適用されました。
「なるほど。魔物を倒すと経験値が入るのか」
ゲームのような仕組みに少し驚きながらも、和雄はゴブリンの死体へ目を向けた。
「確か、冒険者ギルドでは魔物の素材を買い取ってくれるんだったよな」
女神から聞いた話を思い出し、和雄はゴブリンをアイテムボックスへ収納した。
時間停止機能があるため、素材が傷む心配もない。
「とりあえず、ギルドで聞いてみよう」
和雄は周囲を確認し、再び歩き始めた。
しばらく進むと、木々の間から細い道が見えてきた。人や馬車が通った形跡があり、地面には車輪の跡も残っている。
「おっ、道があった。これを辿れば街に出られるかな」
和雄は道へ出ると、太陽の位置を確認した。
メシアの説明ではジェノバの街は森の北側にある。方角を見失わないよう注意しながら、街へ向かって歩いていく。
途中、森の奥から魔物らしき鳴き声が何度か聞こえてきたが、和雄は無理に戦おうとはしなかった。
今の目的は街へ到着し、生活の基盤を作ることだ。
「まずは冒険者ギルドに登録して、それから宿を探す。仕事も見つけないとな」
そんなことを考えながら歩いていると、やがて木々が少なくなり、視界が大きく開けた。
森を抜けた先には広い草原があり、その向こうに高い石壁で囲まれた街が見えていた。
街の周囲には畑が広がり、荷物を積んだ馬車が街道を行き交っている。門の近くには武装した兵士の姿もあった。
「おおっ! あれがジェノバの街か!」
和雄は思わず笑顔になった。
石造りの城壁、行き交う馬車、見慣れない服装の人々。まさに自分が想像していた異世界の街だった。
「よし、行ってみるか!」
和雄は足取りも軽く、街へ続く道を歩き始めた。
ところが、門が近づくにつれて、ふと重要なことに気づいた。
「……あれ? そういえば、俺ってこの世界のお金を持ってたっけ?」
和雄は立ち止まり、腰のあたりを探った。
当然ながら財布はない。
「まずいな。入場料とか必要だったらどうしよう」
そう呟きながらも、和雄はひとまず門へ向かうことにした。
女神から授かった能力がどれほど凄くても、街に入る方法が分からなければ生活は始められない。
こうして和雄は、異世界エルディアで初めての街、ジェノバの門前へと辿り着いた。




