第13話「デフ村の朝と帰還の護衛」
デフ村に朝日が差し込み始めた頃、柾木和雄は宿屋の一室で目を覚ました。
窓の外からは鳥のさえずりと、家畜の世話をする村人たちの声が聞こえてくる。ジェノバの賑やかな朝とは違い、どこか懐かしさを感じさせる穏やかな風景だった。
「んん……よく寝たな」
和雄は身体を起こすと、軽く背伸びをした。昨日は商人ベルクの荷車を護衛しながらデフ村まで移動し、途中で三匹の森狼と遭遇したものの、荷物にも人にも被害を出さずに到着できた。
今日はジェノバへ戻る予定だ。往復の護衛依頼である以上、最後まで気を抜くわけにはいかない。
身支度を整えて食堂へ下りると、すでにガレスが朝食を取っていた。
「おう、カズ。よく眠れたか?」
「おはようございます、ガレスさん。はい、おかげさまでぐっすり眠れました」
「そいつはよかった。今日は帰り道だが、昨日みたいに森狼が出るかもしれねえ。しっかり食っておけよ」
「はい。ありがとうございます」
和雄は宿の女将が運んできたパンと野菜のスープを受け取り、ガレスの向かいに座った。
温かなスープには豆や根菜がたっぷり入っており、素朴ながらも優しい味がした。
「美味しいですね、このスープ」
和雄が感想を口にすると、女将は嬉しそうに笑った。
「そう言ってもらえると嬉しいね。村で採れた野菜を使ってるんだよ」
「なるほど。野菜の甘みがよく出ています」
「おや、若いのに味が分かるんだねえ」
ガレスが笑いながら口を挟んだ。
「こいつは料理も得意らしいぜ。ギルドの受付嬢たちに手料理を振る舞ったんだと」
「へえ! そりゃ大したもんだ」
女将に感心され、和雄は少し照れくさそうに笑った。
「料理が好きなだけですよ。機会があれば、村の食材も使ってみたいですね」
朝食を終えると、二人はベルクとの待ち合わせ場所へ向かった。
村の広場では、商人たちが荷車へ商品を積み込んでいた。昨日運んできた食料品や生活用品はすでに村の商店へ届けられており、帰りはデフ村で収穫された野菜や穀物、加工品をジェノバへ運ぶ予定らしい。
「おはようございます、ベルクさん」
和雄が声をかけると、ベルクは笑顔で振り返った。
「おお、カズ君! おはようございます。昨日はありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。今日は帰りもよろしくお願いします」
「もちろんです。荷物の積み込みが終われば、すぐに出発できますよ」
ガレスは荷車の車輪や積み荷の固定を確認していた。
「カズ、こっちも見てくれ。昨日は森狼が出たからな。馬が驚いて荷車を引っ張ることもある。荷締めが緩んでないか確かめるぞ」
「分かりました」
和雄はガレスと手分けして荷車を確認した。縄の緩みや車輪の状態を調べ、異常がないことを確かめる。
「よし、問題なさそうだな」
「はい。いつでも出発できます」
準備が整うと、ベルクの一行は村人たちに見送られながらデフ村を出発した。
朝の街道には薄い霧が残っていたが、太陽が昇るにつれて少しずつ晴れていった。
和雄は荷車の右側を歩き、ガレスは前方を警戒している。
「昨日は森狼が出ましたけど、この辺りではよくあることなんですか?」
和雄が尋ねると、ガレスは周囲を見渡しながら答えた。
「普段は林の奥にいることが多い。街道まで出てくるのは、餌が少なくなったときか、何かに追われているときだな」
「何かに追われている……ですか」
「ああ。ただ、昨日の三匹だけじゃ判断できねえ。南の森のオーク騒ぎと関係があるかどうかも分からんしな」
和雄は頷いた。
「気になることがあれば、ギルドへ報告しておきましょう」
「それがいい。冒険者は勝手な思い込みで動くより、見たことを正確に伝えるほうが大事だからな」
その言葉を聞き、和雄は改めて護衛の仕事の奥深さを感じた。
昼前になると、一行は昨日森狼と遭遇した林の近くへ差しかかった。
ガレスが歩く速度を落とす。
「カズ、ここから少し警戒を強めるぞ」
「はい」
和雄は周囲へ意識を向けた。
林の中から鳥の鳴き声が聞こえ、風に揺れる木々が葉擦れの音を立てている。昨日のような獣のうなり声は聞こえなかった。
しかし、街道の脇に新しい足跡が残されていることに気づいた。
「ガレスさん、ちょっといいですか?」
「どうした?」
「ここに足跡があります。昨日の森狼とは少し違うような……」
ガレスがしゃがみ込んで確認した。
「こいつは森猪だな。まだ新しい足跡だ」
「森猪ですか?」
「ああ。森に住む猪型の魔物だ。普段は人を避けるが、興奮すると突進してくる。荷車の馬を驚かせると厄介だぞ」
そのとき、林の奥から枝の折れる音が響いた。
バキッ!
「……来るぞ!」
ガレスが剣を抜いた。
次の瞬間、茂みを突き破って一匹の大きな森猪が姿を現した。
黒褐色の毛並みに、鋭く湾曲した牙。普通の猪より一回り大きな身体を持ち、鼻息を荒くしながら街道へ飛び出してきた。
「ベルクさん、荷車を止めてください!」
和雄が声を上げると、御者たちはすぐに馬を落ち着かせた。
森猪は前脚で地面を掻き、こちらを睨みつけている。
「カズ、俺が正面を引きつける。お前は横から頼む!」
「了解です!」
ガレスが剣を構えると、森猪は低いうなり声を上げて突進してきた。
「ブオオッ!」
「おっと!」
ガレスは横へ跳び、突進をかわした。
森猪は勢い余って街道脇の木へ衝突し、すぐに向きを変えようとする。
その瞬間、和雄が動いた。
「――神速歩!」
地面を蹴り、森猪の側面へ一気に回り込む。
相手が再び突進する前に、和雄は刀を抜き放った。
「――タイガーブレイカー!」
低い位置から鋭く跳ね上がる斬撃が、森猪の首元を捉えた。
森猪は短い悲鳴を上げ、その場に倒れた。
「ふう……何とか倒せたな」
和雄が刀を鞘へ戻すと、ガレスは感心したように口笛を吹いた。
「相変わらず見事な剣さばきだな。しかも、荷車から離れすぎない位置で仕留めやがった」
「昨日教えてもらったことを意識しました。護衛対象を守るのが最優先ですから」
「はははっ! ちゃんと覚えてるじゃねえか!」
ガレスは嬉しそうに笑った。
ベルクも荷車から降りてきた。
「お二人とも、本当にありがとうございます。まさか帰り道でも魔物に遭遇するとは……」
「いえ、被害がなくてよかったです」
和雄はそう答えると、森猪の状態を確認した。
ガレスによれば、森猪は肉や牙、皮などが素材として買い取られるらしい。
「こいつは結構いい値段になるぞ。ギルドへ持ち帰ろう」
「分かりました」
和雄は森猪をアイテムボックスへ収納した。
ベルクはその様子を見て、驚いたように目を丸くした。
「カズ君は収納魔法まで使えるのですか?」
「はい。荷物を持ち運ぶのに便利なので」
「いやはや、剣も使えて収納魔法まで……。将来が楽しみな冒険者ですな」
和雄は照れくさそうに笑った。
「ありがとうございます。でも、まだまだ勉強中です」
その後、一行は街道沿いの休憩所で昼食を取り、再びジェノバへ向かった。
午後になると、見慣れた城壁が遠くに見えてきた。
「おっ、ジェノバだ!」
和雄が声を上げると、ガレスも頷いた。
「ああ。もう少しだな」
西門へ到着すると、門番が荷車の通行証を確認し、一行を街へ通した。
ベルクは荷車を商会の倉庫へ運び、荷物の確認を終えると、和雄とガレスへ向き直った。
「二日間、本当にありがとうございました。おかげで無事に往復できました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
和雄が頭を下げると、ベルクは笑顔で続けた。
「また護衛をお願いする機会があれば、ぜひよろしくお願いします」
「もちろんです。予定が合えば、またお手伝いします」
ベルクと別れた二人は、冒険者ギルドへ向かった。
受付ではフィーネが待っていた。
「お帰りなさい、カズさん、ガレスさん。無事に戻られて何よりです」
「ただいま戻りました」
和雄が答えると、ガレスが依頼完了の証明書を差し出した。
「ベルクさんから完了の署名をもらってきたぜ。途中で森狼三匹と森猪一匹に遭遇したが、荷車にも商人にも被害はなかった」
「まあ、二日間でそんなに魔物が……」
フィーネは驚いたように目を見開いた。
和雄は遭遇した場所や状況を詳しく説明した。
「森猪の足跡は、昨日森狼と遭遇した林の近くにありました。魔物が街道へ出てくる頻度が増えているのかもしれません」
「分かりました。調査記録として残しておきますね」
フィーネは真剣な表情で頷いた。
その後、和雄は解体場へ向かい、討伐した魔物の素材を引き渡した。
森狼三匹のうち、和雄が倒した二匹分と森猪一匹分が、和雄の討伐実績として記録された。残る森狼一匹分はガレスの実績となる。
査定を終えて受付へ戻ると、ミーニャが嬉しそうに手を振った。
「カズくん、お帰り!」
「ただいま戻りました、ミーニャさん」
「護衛依頼、大成功だったんだって? すごいね!」
「ガレスさんのおかげですよ。いろいろ教えてもらいましたから」
「そういうところ、カズくんらしいよね!」
ミーニャは楽しそうに笑った。
フィーネは報酬の計算を終え、硬貨を用意した。
「護衛依頼の基本報酬が百二十ゴルです。それに、森狼二匹分の討伐証明と素材代が五十ゴル。森猪の素材については、解体場での査定額が八十ゴルとなりました」
「合計二百五十ゴルですね」
「はい。こちらが今回の報酬です」
和雄は硬貨を受け取り、丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます」
「初めてのFランク依頼、お疲れさまでした」
フィーネは優しく微笑んだ。
「護衛対象を無事に送り届けられたことが、何より大きな成果ですよ」
「はい。俺もそう思います」
和雄は嬉しそうに頷いた。
その隣で、ガレスが満足そうに腕を組んでいた。
「カズ、お前は剣の腕だけじゃなく、護衛としての判断も悪くねえ。これからも経験を積めば、もっといい冒険者になれるぜ」
「ありがとうございます、ガレスさん」
和雄は深く頭を下げた。
「また機会があれば、ぜひ一緒に依頼を受けさせてください」
「おう! いつでも声をかけな!」
ガレスは豪快に笑った。
その日の夕方、和雄はギルドを後にし、宿屋《銀の麦亭》へ戻った。
二日間の護衛依頼は、和雄にとって貴重な経験となった。
魔物を倒す技術だけではなく、周囲の警戒や依頼主との連携、そして危険を未然に防ぐ判断。
冒険者として必要なことは、まだまだたくさんある。
「よし。これからも一つずつ覚えていこう」
和雄はそう呟き、夕暮れの街を歩き始めた。
一方、冒険者ギルドの二階では、シルヴィアが新たな報告書を確認していた。
「西街道でも魔物の出現が増えているようですね……」
シルヴィアは窓の外へ視線を向けた。
南の森ではオークの集団行動が確認され、西街道でも森狼や森猪の目撃が続いている。
それぞれの出来事に直接の関係があるとは限らない。
しかし、ギルドとしては注意を払う必要があった。
「ガルドに相談して、巡回の回数を増やしたほうがよさそうですね」
シルヴィアは静かに呟き、報告書を手に立ち上がった。
ジェノバ周辺の森では、少しずつ変化が起こり始めていた。
――第三章 第14話「ジェノバ周辺の異変と新たな調査依頼」へ続く。




