第9話「副ギルドマスターからの呼び出し」
翌朝、柾木和雄は宿屋《銀の麦亭》の食堂で朝食を済ませると、いつものように冒険者ギルドへ向かった。
昨日はフィーネとミーニャに故郷の料理を振る舞い、久しぶりに充実した休日を過ごすことができた。二人とも喜んでくれたため、和雄自身も満足していた。
「さて、今日は何の依頼を受けようかな」
そんなことを考えながらギルドの扉を開けると、朝の建物内には多くの冒険者が集まっていた。
依頼掲示板の前では数人の冒険者が仕事を選び、酒場では朝食を取りながら情報交換をする者たちの姿がある。
和雄が受付へ向かうと、フィーネが笑顔で迎えてくれた。
「おはようございます、カズさん」
「おはようございます、フィーネさん。昨日はありがとうございました」
「こちらこそ、とても楽しかったです。お料理も本当に美味しかったですよ」
フィーネは嬉しそうに微笑んだ。
「それならよかったです。また機会があれば作りますね」
「はい。楽しみにしています」
そんな会話を交わしていると、隣の受付からミーニャが顔を出した。
「カズくん、おはよう! 昨日の焼き菓子、また食べたいな!」
「おはようございます。赤蜜果が手に入ったら、また作りますよ」
「やった!」
ミーニャが嬉しそうに尻尾を揺らしたところで、受付の奥から落ち着いた声が聞こえてきた。
「フィーネ、少しいいかしら」
振り返ると、クラリス・ベルナールが書類を手に立っていた。
「はい、クラリス主任」
「カズさんがいらしたのね。ちょうどよかったわ」
クラリスは和雄へ視線を向けた。
「カズさん、少しお時間をいただけますか?」
「はい。何でしょう?」
「副ギルドマスターのシルヴィア様が、あなたとお話をしたいそうです」
「副ギルドマスターが、俺にですか?」
和雄は思わず聞き返した。
冒険者ギルドの副ギルドマスターといえば、ギルドマスターに次ぐ責任者だ。まだGランクの新人である自分が呼び出される理由に、心当たりはなかった。
「何か問題でもありましたか?」
和雄が尋ねると、クラリスは小さく首を横に振った。
「いいえ。これまでの依頼達成記録について、直接確認したいことがあるそうです。叱責ではありませんから安心してください」
「そういうことでしたか。分かりました」
和雄が頷くと、フィーネが優しく微笑んだ。
「カズさんなら大丈夫ですよ。シルヴィア様はとてもお優しい方ですから」
「ありがとうございます。それじゃあ、行ってきます」
和雄はクラリスの案内で、ギルドの二階へ向かった。
階段を上がると、一階の賑やかさとは対照的に、落ち着いた雰囲気の廊下が続いていた。
クラリスは奥にある扉の前で足を止め、軽くノックした。
「シルヴィア様、カズさんをお連れしました」
「どうぞ、お入りください」
扉の向こうから、澄んだ女性の声が返ってきた。
クラリスが扉を開けると、そこには広い執務室があった。
壁際には書棚が並び、机の上には依頼書や報告書が整然と積まれている。
そして窓際の机には、一人のエルフの女性が座っていた。
長く美しい銀金色の髪に、整った顔立ち。穏やかな雰囲気をまとっているが、その瞳には長年の経験を積んだ者特有の鋭さがあった。
彼女こそ、ジェノバ冒険者ギルドの副ギルドマスター、シルヴィアだった。
「初めまして。わたしはシルヴィア。こちらのギルドで副ギルドマスターを務めています」
シルヴィアは椅子から立ち上がり、柔らかく微笑んだ。
和雄も姿勢を正して頭を下げた。
「初めまして。Gランク冒険者のカズです。本名は柾木和雄といいます」
「カズさんですね。どうぞ、そちらへお掛けください」
勧められた椅子へ腰を下ろすと、クラリスがお茶を用意してくれた。
「それでは、わたしは受付へ戻ります。何かございましたらお呼びください」
「ありがとう、クラリス」
クラリスが退室すると、部屋には和雄とシルヴィアの二人だけになった。
シルヴィアは机の上に置かれた書類を手に取った。
「突然お呼びして申し訳ありません。今日は、あなたの冒険者としての活動について少しお聞きしたかったのです」
「はい。俺に答えられることなら」
「ありがとうございます」
シルヴィアは書類へ目を落とした。
「登録して間もないにもかかわらず、薬草採取、ゴブリン討伐、森鼠の駆除、そしてオークの討伐まで達成されていますね」
「はい。依頼を受けていたら、そうなりました」
「ふふっ。ずいぶん自然におっしゃるのですね」
シルヴィアは小さく笑った。
「特に気になったのは、ガレスさんと同行した南の森の調査です。報告によれば、あなたはオークをほぼ一撃で倒したそうですね」
「はい。相手がこちらへ向かってきたので、先に間合いへ入って斬りました」
「その際、特殊な移動術を使ったとか」
「神速歩ですね。故郷で身につけた歩法です」
和雄は素直に答えた。
「身体の無駄な動きを減らして、一気に距離を詰める技術なんです」
「なるほど……。魔法による転移ではなく、純粋な身体操作なのですね」
「はい。もちろん身体強化魔法を使えば、もっと速く動けますけど」
シルヴィアは興味深そうに目を細めた。
長年冒険者として活動してきた彼女でも、神速歩という技術は聞いたことがなかった。
「カズさんは、故郷では剣術を教えていたそうですね?」
「はい。ブレイドアーツという剣術を教えていました。それと、剣道もやっていました」
「剣道……ですか?」
「俺の故郷にある武術です。刀の扱いや間合い、相手の動きを読むことなどを学びます」
「そうなのですね。いつか実際に拝見してみたいものです」
シルヴィアは微笑みながら、そっと魔力感知を働かせた。
相手の魔力量や魔力の流れを読み取る、エルフである彼女が得意とする技術だった。
しかし、その瞬間、シルヴィアは違和感を覚えた。
「……?」
和雄の身体には、確かに魔力が存在している。
それも、極めて安定した状態で循環していた。
ところが、その総量を測ろうとしても、まるで底が見えない。
通常であれば、どれほど優れた魔法使いでも魔力量には限界がある。高位の冒険者や宮廷魔術師であっても、それは変わらない。
だが、目の前の少年は違った。
感知を深めても、魔力の終わりが見えないのだ。
シルヴィアは表情を崩さないようにしながら、静かに感知を解いた。
「……カズさん、一つお聞きしてもよろしいですか?」
「はい、何でしょう?」
「魔法は、どの程度お使いになれますか?」
和雄は少し考えた。
「そうですね。火や水、風、土、それから雷や光、闇、聖属性も使えます。身体強化魔法も使っていますよ」
「……すべて、ですか?」
「はい。女神様から適性をいただいたので」
和雄は何気なく答えたが、シルヴィアの瞳がわずかに揺れた。
「女神様……?」
「あっ、ええと……故郷を離れるときに、そういう力を授かったんです」
和雄は自分の説明が少し不用意だったことに気づき、言葉を選んだ。
女神メシアから力を与えられたことは事実だが、《神の使徒》という立場まで軽々しく話してよいのかは分からない。
シルヴィアはそんな和雄の様子を見て、無理に追及することを避けた。
「なるほど。事情がおありなのですね」
「すみません。少し説明しづらくて」
「構いません。冒険者には、それぞれ事情がありますから」
シルヴィアは穏やかに微笑んだ。
「ただし、あなたの魔力は少々特殊なようです。自分でも気づいていらっしゃいますか?」
「特殊、ですか?」
「ええ。魔力の流れが非常に安定していますし、わたしの感知では総量を測り切れませんでした」
「そうなんですね」
和雄は驚いたように頷いた。
女神メシアから魔力無限の能力を授かっているため、魔力量に限界がないことは知っている。
しかし、それがこの世界の人々にとってどれほど異常なことなのか、まだ十分には理解していなかった。
「自分では普通に使っているつもりなんですけど……」
「ふふっ。カズさんにとっては、そうなのでしょうね」
シルヴィアは思わず笑みをこぼした。
「ですが、魔法を使うときは周囲への影響に気をつけてください。魔力が豊富な方ほど、無意識に大きな力を使ってしまうことがありますから」
「分かりました。気をつけます」
和雄は素直に頷いた。
その態度を見て、シルヴィアは少し安心した。
強大な力を持つ者の中には、それを誇示したり、他人を見下したりする者もいる。
だが、この少年にはそうした様子がまったくなかった。
むしろ、自分の力を特別だと思っていないように見える。
「それと、冒険者ランクについてもお話ししておきましょう」
シルヴィアは別の書類を取り出した。
「カズさんは、すでにGランクの昇格に必要な薬草採取数とゴブリン討伐数を満たしています」
「えっ、そうなんですか?」
「はい。ただし、正式な昇格には記録の照合とギルド側の確認が必要です。現在、クラリスが手続きを進めています」
「なるほど。じゃあ、もう少し待てばいいんですね」
「ええ。問題がなければ、近いうちにFランクへの昇格をご案内できると思います」
和雄は嬉しそうに頷いた。
「ありがとうございます。少しずつでもランクが上がるのは嬉しいですね」
シルヴィアはその反応を見て、微笑んだ。
オークを一撃で倒すほどの実力がありながら、Fランクへの昇格を素直に喜んでいる。
その姿は、どこか微笑ましかった。
「今日はお時間をいただき、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ勉強になりました」
和雄は立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
シルヴィアも椅子から立ち上がる。
「カズさん、今後も何か困ったことがあれば、遠慮なく相談してくださいね」
「はい。ありがとうございます、シルヴィアさん」
和雄が笑顔で答えると、シルヴィアは一瞬だけ目を細めた。
その自然な笑顔には、不思議と人を安心させるものがあった。
「……ええ。またお会いしましょう」
和雄が部屋を出たあと、シルヴィアはしばらく扉を見つめていた。
「柾木和雄……。本当に不思議な方ですね」
彼女は机へ戻り、和雄の活動記録をもう一度開いた。
剣術の実力、異常な魔力量、そして本人の穏やかな人柄。
どれを取っても、普通の新人冒険者とは思えない。
「ガルドにも、もう少し詳しく報告しておいたほうがよさそうですね」
シルヴィアは小さく呟いた。
一方、一階へ戻った和雄は、受付で待っていたフィーネに声をかけられた。
「カズさん、お話は終わりましたか?」
「はい。シルヴィアさん、とても親切な方でした」
「それはよかったです」
フィーネは安心したように微笑んだ。
「それと、Fランクへの昇格手続きが進んでいるそうですね」
「はい。もう少しで正式にご案内できると思います」
「楽しみですね」
「ええ。これからも頑張ります」
和雄はそう答えると、依頼掲示板へ視線を向けた。
今日もまた、新しい冒険が待っている。
しかし、その頃、ギルドの二階ではシルヴィアが和雄についての報告書をまとめ始めていた。
彼の存在が、やがてジェノバの冒険者ギルドだけでなく、アルヴェイン王国全体へ影響を与えることになるとは、まだ誰も知らなかった。




