第8話「ギルドの休日と異世界の手料理」
ジェノバの街に、穏やかな朝が訪れた。
宿屋《銀の麦亭》の一室で目を覚ました柾木和雄は、窓から差し込む朝日を浴びながら大きく背伸びをした。
「よし、今日は料理の日だな」
今日は冒険者としての依頼を休み、フィーネとミーニャに故郷の料理を振る舞う約束をしていた。
二人とも冒険者ギルドの休日に当たっており、職員用休憩室の調理設備を借りる許可も得ている。
和雄は身支度を整えると、昨日までに買い揃えた食材を確認した。
豚肉に似た家畜の肉、卵、小麦粉、根菜、葉物野菜。それに、先日荷車を助けた商人からもらった赤蜜果もある。
「生姜焼き風の肉料理と野菜スープ、それから赤蜜果を使った焼き菓子にしようかな」
献立を決めた和雄は、朝食を済ませて宿を出た。
中央広場を抜け、冒険者ギルドへ向かう。休日とはいえ、ギルドそのものが閉まるわけではない。依頼の受け付けや緊急対応のため、交代制で職員が勤務している。
建物へ入ると、受付には見慣れない男性職員が座っていた。
和雄が事情を説明すると、男性は奥の廊下を指さした。
「フィーネさんたちなら、もう休憩室に来ていますよ。奥の階段を上がって右側です」
「ありがとうございます」
和雄は礼を言い、案内された階段を上った。
休憩室の扉を軽く叩くと、中から元気な声が返ってきた。
「はーい!」
扉を開けると、ミーニャが嬉しそうに駆け寄ってきた。
「カズくん! 待ってたよ!」
「おはようございます、ミーニャさん」
「今日は仕事じゃないんだから、そんなにかしこまらなくてもいいのに!」
ミーニャは猫耳をぴくぴく動かしながら笑った。
その奥では、フィーネが食卓を整えていた。
普段のギルド制服ではなく、淡い緑色のワンピースを着ている。長い金髪は後ろで緩くまとめられ、いつもより柔らかな雰囲気だった。
「おはようございます、カズさん。今日はよろしくお願いしますね」
「おはようございます、フィーネさん。こちらこそ、場所を用意していただいてありがとうございます」
和雄が頭を下げると、フィーネは微笑んだ。
「そんなに気を遣わなくても大丈夫ですよ。わたしたちも楽しみにしていましたから」
休憩室には大きな食卓と椅子が置かれ、奥には小さな調理場が設けられていた。石造りのかまどと鉄鍋、包丁やまな板など、基本的な道具は揃っている。
和雄は設備を確認すると、アイテムボックスから食材を取り出した。
「それじゃあ、さっそく作りますね」
「わあ、いっぱいある!」
ミーニャが食材を覗き込み、目を輝かせた。
「カズくん、ボクも何か手伝おうか?」
「ありがとうございます。それなら野菜を洗ってもらえますか?」
「任せて!」
フィーネも袖をまくり、和雄の隣に立った。
「わたしもお手伝いします。何をすればいいでしょう?」
「では、洗った野菜をこちらに並べてもらえますか。切るのは俺がやります」
「分かりました」
三人で準備を進めるうちに、調理場は自然と賑やかになっていった。
和雄は根菜の皮を剥き、包丁を滑らせるように動かして薄く切り揃えた。
その手際を見て、フィーネが感心したように声を漏らした。
「すごい……。カズさん、包丁を動かすのがとても速いですね」
「料理は昔から好きでしたから。慣れればそれほど難しくありませんよ」
「それほど難しくないって……」
ミーニャは和雄の手元を覗き込み、苦笑した。
「ボクがやったら、きっと指まで切っちゃうよ」
「最初はゆっくりでいいんですよ。安全第一です」
和雄はそう答えながら、切り終えた野菜を鍋へ入れた。
水を注ぎ、かまどへ火を入れる。香草と塩を加え、弱火でじっくり煮込んでいく。
次に取りかかったのは肉料理だった。
和雄は豚肉を適度な厚さに切り、筋を軽く切ってから、香味根をすりおろした。
「それは何ですか?」
フィーネが尋ねると、和雄は香味根を見せた。
「故郷で使っていた生姜に似たものです。肉の臭みを抑えて、香りをよくしてくれるんですよ」
「へえ、そんな使い方があるんですね」
「今日はこれを使って、少し甘辛い味に仕上げます」
和雄は蜂蜜と果汁、塩を合わせて調味液を作った。
醤油がないため日本の生姜焼きとは違う味になるが、香味根の風味を生かせば十分に美味しくなる。
熱した鉄鍋へ肉を並べると、ジュウッという心地よい音が響いた。
「わあ……!」
ミーニャの尻尾が大きく揺れた。
「もういい匂いがする!」
「まだ味つけはこれからですよ」
和雄は笑いながら肉を裏返し、火の通り具合を確かめた。
表面に焼き色がついたところで調味液を加えると、甘く香ばしい匂いが一気に広がった。
「これは……お腹が空いてきますね」
フィーネが思わず呟く。
「もう少しでできますからね」
肉料理を仕上げた和雄は、続いて赤蜜果の焼き菓子に取りかかった。
薄く切った赤蜜果を蜂蜜と少量の水で煮詰め、卵と小麦粉を合わせた生地に並べる。
かまどの余熱を利用してじっくり焼き上げると、果物の甘い香りが休憩室いっぱいに広がった。
「カズくん、それも食べられるの?」
「もちろんです。食後の甘いものですよ」
「やった!」
ミーニャは嬉しそうに両手を上げた。
やがて、料理が完成した。
食卓には香味根を使った肉料理、温かい野菜スープ、焼きたてのパンが並べられた。
「お待たせしました。どうぞ召し上がってください」
和雄が椅子を勧めると、フィーネとミーニャは嬉しそうに席についた。
「それでは、いただきます」
和雄が手を合わせると、二人は不思議そうに首を傾げた。
「カズさん、それは故郷の習慣ですか?」
フィーネが尋ねる。
「はい。食材や料理を作ってくれた人への感謝を込めて、食べる前に言うんです」
「素敵な習慣ですね」
フィーネは微笑み、和雄の真似をして両手を合わせた。
「いただきます」
「ボクも! いただきまーす!」
三人は笑い合いながら、料理を食べ始めた。
最初に肉料理を口へ運んだミーニャが、驚いたように目を見開いた。
「……おいしい!」
ミーニャは思わず身を乗り出した。
「カズくん、これすっごくおいしいよ! お肉が柔らかいし、甘い香りがする!」
「気に入ってもらえてよかったです」
フィーネも一口食べ、ゆっくりと味わった。
「本当に美味しいです。香味根の風味が肉によく合っていますね。それに、後味が重くないのが不思議です」
「果汁を少し加えているんです。酸味があると、脂っこさを抑えられますから」
「なるほど……。カズさんは料理のことも本当によくご存じなんですね」
フィーネは感心したように微笑んだ。
その笑顔を見て、和雄も自然と嬉しくなった。
「喜んでもらえるなら、作った甲斐があります」
食事が進むにつれ、話題は自然と冒険者の仕事やジェノバの街の暮らしへ移っていった。
フィーネはギルドで働き始めた頃の失敗談を話し、ミーニャは素材の査定を覚えるまでに苦労したことを楽しそうに語った。
和雄も日本でブレイドアーツを教えていた頃の話をした。
「カズさんは、故郷では剣術の先生だったんですよね?」
フィーネが尋ねると、和雄は頷いた。
「はい。子供から大人まで、いろいろな人に教えていました」
「それなら、カズくんが強いのも納得だね!」
ミーニャが笑った。
「でも、剣術の先生なのに料理まで上手なんて、ちょっと反則じゃない?」
「ははは。料理は単純に好きだっただけですよ」
「それがすごいんだってば!」
そんな会話を楽しんでいるうちに、食事はあっという間に終わった。
最後に和雄が赤蜜果の焼き菓子を切り分けると、ミーニャの目が再び輝いた。
「待ってました!」
一口食べたミーニャは、幸せそうに頬を緩めた。
「甘くておいしい……!」
フィーネも焼き菓子を味わい、嬉しそうに微笑んだ。
「赤蜜果って、こんなふうにするとまた違った美味しさになるんですね」
「焼くと甘みが強くなるんですよ。気に入ってもらえてよかったです」
和雄は二人の笑顔を見ながら、自分も焼き菓子を口へ運んだ。
異世界へ来たばかりの頃は、これからどう暮らしていくのか分からないことばかりだった。
しかし今は、こうして一緒に食事を楽しめる人たちがいる。
それが何より嬉しかった。
食後、三人で食器を片づけていると、フィーネが和雄へ声をかけた。
「カズさん、今日は本当にありがとうございました」
「いえ、こちらこそ楽しかったです」
「また、こうして一緒にお食事できたら嬉しいです」
フィーネは少し照れたように微笑んだ。
すると、ミーニャが勢いよく手を上げた。
「ボクも! 次は違う料理が食べたい!」
「もちろんですよ。材料が揃えば、いろいろ作れますから」
「約束だよ!」
ミーニャが小指を差し出した。
和雄は一瞬きょとんとしたが、すぐに笑って小指を絡めた。
「約束です」
その様子を見ていたフィーネも、そっと小指を差し出した。
「わたしも、約束していいですか?」
「もちろんです」
和雄が応じると、フィーネは嬉しそうに微笑んだ。
こうして、三人の間に小さな約束が生まれた。
その日の夕方、和雄は二人に見送られてギルドを後にした。
夕焼けに染まるジェノバの街を歩きながら、和雄は満足そうに息を吐いた。
「今日は楽しかったな。また何か美味しいものを作ってあげよう」
冒険者として魔物と戦う日々も悪くない。
けれど、こうして誰かと笑いながら食卓を囲む時間も、同じくらい大切にしたいと思った。
一方、ギルドの休憩室では、フィーネとミーニャが食器を片づけ終えたところだった。
ミーニャは椅子に腰掛け、満足そうにお腹をさすった。
「はあ……おいしかった。カズくんって、本当にすごいね」
フィーネは洗い終えた皿を棚へ戻しながら頷いた。
「そうですね。剣術だけでなく、お料理まであんなに上手だなんて」
「ねえ、フィーネ」
「何ですか?」
ミーニャはにやりと笑った。
「フィーネって、カズくんと話してるとき、いつもより楽しそうだよね?」
「えっ?」
フィーネの手が止まった。
「そ、そんなことありませんよ」
「本当かなあ?」
ミーニャは尻尾を揺らしながら、楽しそうに笑った。
「ボクには分かるんだから!」
「もう、ミーニャったら……」
フィーネは困ったように微笑みながらも、頬が少し熱くなるのを感じていた。
和雄と出会ってから、まだそれほど長い時間が経ったわけではない。
それでも、彼と話していると不思議と心が落ち着く。
そして、今日のように一緒に過ごす時間が、いつの間にか楽しみになっていた。
「……また、一緒にお食事できるといいですね」
フィーネが小さく呟くと、ミーニャは嬉しそうに笑った。
「うん! 次も楽しみだね!」
窓の外では、夕日がジェノバの街を優しく照らしていた。
和雄と二人のエルフ、そして猫人族の少女との距離は、少しずつ縮まっていく。
その穏やかな時間が、やがて大きな絆へと変わっていくことを、今はまだ誰も知らなかった。
――第三章 第9話「副ギルドマスターからの呼び出し」へ続く。




