第6話「異世界の料理とフィーネたちの約束」
冒険者ギルドでの依頼を終えた柾木和雄は、夕暮れのジェノバの街を歩いていた。
中央広場に隣接する市場では、夕食の買い物をする住民たちで賑わっている。野菜を売る商人の声や、焼きたてのパンの香りが漂う中、和雄は露店に並ぶ食材を興味深そうに眺めていた。
「さて、今日は何を作ろうかな」
日本にいた頃、和雄は仕事の合間によく料理をしていた。ブレイドアーツの講師として忙しい日々を送っていたが、料理は剣術と同じくらい好きな趣味だった。
もっとも、趣味と呼ぶには少々腕が良すぎたのだが、本人はそれをあまり意識していない。
「お兄さん、何か探しているのかい?」
野菜を並べていた中年の女性が声をかけてきた。
和雄は籠に入った丸い根菜を指さした。
「この野菜って、煮込むと柔らかくなりますか?」
「ああ。甘みが出るから、スープや煮込み料理によく使うよ」
「なるほど。それなら三つください。あと、そちらの葉物野菜もお願いします」
「毎度あり!」
和雄は根菜と葉物野菜を購入すると、今度は肉屋へ向かった。
店先には鶏に似た家禽の肉や、豚肉に似た赤身肉が並んでいる。
「この肉は何の肉ですか?」
「そいつは牧場で育てた豚の肉だよ。脂がほどよく乗っていて、焼いても煮ても美味いぞ」
「それなら、少し厚めに切ってもらえますか?」
「あいよ!」
和雄は肉を購入し、さらに小麦粉や卵、香草などを買い揃えた。
市場を歩きながら献立を考えていると、ふと日本の家庭料理が恋しくなった。
「よし、今日は生姜焼き風の料理にしてみよう。米があれば最高なんだけどな」
この世界で米が手に入るかは、まだ分からない。だが、パンに合うように味を調整すれば十分美味しく仕上がるはずだ。
和雄は食材をアイテムボックスへ収納し、宿屋《銀の麦亭》へ戻った。
宿へ入ると、食堂では夕食の準備が始まっていた。
厨房からは鍋の煮える音が聞こえ、マリアが忙しそうに食器を運んでいる。
「ただいま戻りました」
和雄が声をかけると、マリアが振り返った。
「お帰りなさい、カズさん。今日は早かったですね」
「はい。依頼が順調に終わったので、少し市場を見てきました」
「そうだったんですね。夕食はいつもの時間で大丈夫ですか?」
「実は、そのことで相談があるんです」
和雄は少し遠慮がちに続けた。
「厨房を少しお借りできませんか? 自分で料理を作ってみたくて」
マリアは驚いたように目を瞬かせた。
「カズさん、お料理ができるんですか?」
「はい。故郷ではよく作っていました」
「そうなんですね。でも、厨房を使うとなると……」
マリアは少し考えたあと、奥へ声をかけた。
「お父さん! ちょっといい?」
しばらくすると、厨房から恰幅のよい男性が姿を現した。
《銀の麦亭》の主人であり、料理長でもある男性だった。
「どうした、マリア?」
「カズさんが厨房を借りて料理をしたいんだって」
主人は和雄を見つめた。
「ほう。料理ができるのか?」
「はい。日本という故郷で、よく料理をしていました」
「なるほどな。まあ、夕食の仕込みはほとんど終わっているし、邪魔にならないなら構わんぞ。ただし、火の始末だけは気をつけてくれ」
「ありがとうございます!」
和雄は嬉しそうに頭を下げた。
厨房へ入ると、まず手を洗い、購入した食材を作業台へ並べた。
主人は興味深そうに腕を組んでいる。
「それで、何を作るつもりなんだ?」
「豚肉を使った焼き料理です。故郷では生姜焼きと呼ばれる料理に近いものですね」
「ショウガヤキ?」
「はい。香りの強い根菜と調味料を使って、肉を焼き上げる料理です」
和雄は市場で見つけた生姜に似た香味根を取り出した。鑑定で食用と確認しており、香りも日本の生姜によく似ている。
まず肉を食べやすい厚さに整え、筋を軽く切る。次に香味根をすりおろし、塩、蜂蜜、酸味のある果汁、少量の香草を合わせて調味液を作った。
醤油がないため完全な生姜焼きにはならないが、甘みと酸味、香りの組み合わせで十分に美味しくできる。
「へえ……ずいぶん手際がいいな」
主人が感心したように呟いた。
和雄は肉の表面へ薄く小麦粉をまぶし、熱した鉄鍋へ並べた。
ジュウッという音とともに、香ばしい匂いが厨房へ広がる。
「おお、いい匂いだ!」
主人が思わず声を上げた。
和雄は肉の焼き色を確認すると、素早く裏返した。余計な力を入れず、鍋の熱を均等に利用して火を通していく。
最後に調味液を加えると、甘酸っぱい香りが一気に立ち上った。
「うん、いい感じだ」
和雄は焼き上がった肉を皿へ盛りつけ、細く切った葉物野菜を添えた。
さらに根菜を使った温かいスープも仕上げる。
「できました。よかったら味見してみてください」
主人とマリアに小皿を差し出すと、二人は興味津々で肉を口へ運んだ。
最初に反応したのはマリアだった。
「……美味しい!」
マリアは目を輝かせた。
「お肉が柔らかいし、甘いのに後味がさっぱりしています!」
主人もゆっくりと噛みしめ、感心したように頷いた。
「こいつは驚いたな。香味根をこんなふうに使うとは思わなかった。パンにも合いそうだ」
「ありがとうございます。故郷の味とは少し違いますけど、上手くできたと思います」
和雄が笑うと、主人は豪快に笑った。
「少し違ってこれなら、元の料理はどれだけ美味いんだろうな!」
その後、主人の提案で、和雄が作った料理を少量ずつ食堂の従業員にも振る舞うことになった。
厨房には驚きと喜びの声が広がり、和雄は久しぶりに誰かのために料理を作る楽しさを味わっていた。
翌朝、和雄はいつもどおり冒険者ギルドへ向かった。
受付ではフィーネが書類を整理しており、隣ではミーニャが素材買い取りの帳簿を確認していた。
「おはようございます、フィーネさん、ミーニャさん」
和雄が挨拶すると、二人は笑顔で顔を上げた。
「おはようございます、カズさん」
「おはよう、カズくん!」
フィーネは和雄の顔を見ると、昨日の会話を思い出したように微笑んだ。
「そういえば、昨日はお料理をされたんですか?」
「はい。宿の厨房を借りて、豚肉の生姜焼き風の料理を作りました」
「ショウガヤキ?」
フィーネは聞き慣れない料理名に首を傾げた。
「俺の故郷の料理です。肉を香味根と調味料で焼いたもので、宿の皆さんにも好評でした」
「まあ、それは美味しそうですね」
フィーネが興味深そうに言うと、ミーニャも身を乗り出した。
「ねえねえ、カズくん! 昨日、ボクたちにも作ってくれるって言ったよね?」
「もちろん覚えていますよ」
「本当? じゃあ、いつ食べられるの?」
ミーニャは期待に満ちた目で和雄を見つめた。
和雄は少し考えてから答えた。
「そうですね。皆さんのお仕事が休みの日なら、ゆっくり作れますけど……」
「それなら、次の休みの日はどうでしょう?」
フィーネが控えめに提案した。
「わたしとミーニャは、次の休日が同じなんです」
「それならちょうどいいですね。場所さえ確保できれば、昼食をご馳走しますよ」
「本当ですか? 嬉しいです!」
フィーネはぱっと表情を明るくした。
「やったー! ボク、今から楽しみ!」
ミーニャも嬉しそうに尻尾を揺らしている。
「ただ、宿の厨房を毎回借りるのも申し訳ないので、どこか料理ができる場所を探さないといけませんね」
和雄がそう言うと、フィーネは少し考え込んだ。
「それなら、ギルドの職員用休憩室に簡単な調理設備がありますよ。休日なら利用できると思います」
「へえ、そうなんですか」
「はい。使用できるかクラリス主任に確認しておきますね」
「ありがとうございます。それなら食材は俺が用意します」
和雄が答えると、ミーニャが嬉しそうに両手を上げた。
「楽しみだなあ! カズくんの故郷の料理!」
そんな三人の会話を、少し離れた場所から見ている人物がいた。
銀色の髪を持つエルフの少女、リューネである。
彼女は依頼掲示板の前で書類を確認していたが、受付から聞こえてきた楽しそうな声に、ふと顔を上げた。
「あの新人……またフィーネたちと話してる」
リューネは小さく呟いた。
ここ数日、ギルドでは和雄の噂を耳にする機会が増えていた。Gランクでありながらゴブリンや森鼠を次々と討伐し、ついにはオークまで一撃で倒したという。
しかも、本人はその実績を自慢する様子もない。
「剣が強くて、料理もできる……か」
リューネは少しだけ興味を覚えたものの、今は自分の依頼を優先することにした。
彼女は掲示板から一枚の依頼書を取り、別の受付へ向かった。
一方、和雄はフィーネたちとの昼食の約束を決めると、今日の依頼を探し始めていた。
「さて、今日は何を受けようかな」
フィーネは依頼書を整理しながら答えた。
「南の森は引き続き警戒中ですが、西側の草原や街道周辺には通常の依頼が出ていますよ」
「それなら、今日は街道周辺の採取依頼にしてみます」
「分かりました。こちらはいかがでしょう?」
フィーネが差し出したのは、西門の外にある草原で薬草を二十束採取する依頼だった。
「これなら、昨日行った農地の近くですね」
「はい。ただし、森の奥には入らないでくださいね」
「了解です」
和雄は依頼書を受け取り、フィーネとミーニャに挨拶した。
「それじゃあ、行ってきます」
「お気をつけて、カズさん」
「いってらっしゃーい! 料理、楽しみにしてるからね!」
二人に見送られ、和雄はギルドを後にした。
青空の下、ジェノバの街には今日も穏やかな日常が広がっている。
冒険者としての仕事も、異世界での生活も、少しずつ充実したものになってきた。
そして何より、フィーネやミーニャと交わした小さな約束が、和雄にとって新しい楽しみになっていた。
「さて、次の休みは何を作ろうかな。せっかくだし、二人が喜びそうな料理にしたいな」
和雄はそんなことを考えながら、西門へ向かって歩き始めた。




