第2話「捕食」
狭い岩の隙間の奥で、俺はじっと動きを止めていた。
外には、さっきの黒い狼の気配がまだ残っている。完全に去ったわけではない。だが、こちらを追ってくる様子もない。
――助かった。
そう判断していいはずなのに、安心はできなかった。
弱い。
その事実が、思考の底に重く沈んでいる。
さっきの牙獣鼠ですら、余裕があったわけじゃない。ましてあの狼など、正面からぶつかれば一瞬で終わる。
生きるには。
強くなるしかない。
ならばやることは一つだ。
――食う。
その結論は、驚くほど自然に浮かんだ。
躊躇は、ほとんどない。
ほんのわずかに残っている「人間だった頃の感覚」が、引っかかりのように胸の奥に残るだけだ。
だが、それもすぐに消える。
飢餓が、すべてを上書きする。
ゆっくりと、身体を広げる。
岩の隙間から外へと滲み出るように移動する。
移動は遅い。
だが、完全に無音に近い。
粘液の身体は、地面に沿って這うように進み、影の中に溶け込む。
――使える。
この身体は、弱いだけじゃない。
隠れるには、都合がいい。
洞窟の空気は湿っていて、腐臭が強い。その中に紛れれば、多少の気配はごまかせる。
視界の端に、小さな動きが映った。
岩陰。
さっきと同じ、牙獣鼠だ。
数は二体。
互いに距離を取りながら、何かを漁っている。
血の匂い。
死体か。
……いい。
好都合だ。
片方に意識を向ける。
近い。
だが、さっきのように正面から包めば、もう一体に邪魔される。
なら。
少し、考える。
どうすればいいか。
思考する。
それ自体が、妙に新鮮だった。
前はこんな風に考えていたはずだが、今はそれが“生きるための計算”になっている。
片方を、先に仕留める。
もう片方が反応する前に。
短く、結論が出る。
身体をわずかに広げる。
薄く、広く。
地面に溶けるように。
ゆっくりと距離を詰める。
牙獣鼠の一体が、こちらへ背を向けた。
その瞬間。
動く。
弾くように身体を持ち上げ、一気に覆いかぶさる。
ぐちゅ。
牙獣鼠が暴れる。
だが今回は、さっきと違う。
動きを抑える。
絡め取るように、包み込む。
酸分泌。
内側から溶かす。
抵抗が弱まる。
そのまま押し潰す。
静かに、確実に。
――仕留めた。
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【システム】
牙獣鼠(F)を捕食しました
経験値を獲得
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もう一体が気づいた。
鳴き声を上げる。
だが遅い。
俺はすでに、次の行動に移っていた。
さっきよりも速い。
わずかに、だが確実に。
身体が軽い。
理解する。
成長している。
そのまま二体目にも覆いかぶさる。
今度は、暴れが強い。
爪が食い込む。
身体が裂ける。
だが。
離さない。
締める。
溶かす。
押し潰す。
やがて、動きが止まる。
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【システム】
牙獣鼠(F)を捕食しました
経験値を獲得
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内側が満たされていく。
さっきよりも強く。
濃く。
熱のような感覚が広がる。
その瞬間、表示が変わる。
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【システム】
レベルアップ
Lv2 → Lv3
HP :15 → 18
攻撃 :3 → 4
敏捷 :2 → 3
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……上がった。
確実に。
数字で理解できる変化が、妙に心地いい。
強くなっている。
はっきりと。
それが分かる。
その感覚に、わずかに笑いそうになる。
――危ないな。
自分で思う。
だが、それでも止まらない。
もっと食えば、もっと強くなる。
単純だ。
だが、それでいい。
この世界では、それが全てだ。
ふと、違和感が走る。
視界の奥で、何かが揺れた。
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【システム】
逸脱吸収が発動
特性の一部を取得
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【システム】
スキルを取得しました
・嗅覚強化 Lv1
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……またか。
普通ではない。
明らかに。
捕食するたびに、本来あり得ない何かを取り込んでいる。
だが。
今はそれを否定する理由がない。
むしろ。
使える。
強くなる。
それだけで十分だ。
周囲の匂いが、よりはっきりと分かるようになる。
血。
腐肉。
そして――
生きているものの匂い。
数。
位置。
なんとなくだが、把握できる。
……いい。
狩れる。
確実に。
視界の奥に、再びステータスが開く。
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個体名:未設定
種族:屍喰いスライム
ランク:F
レベル:3
【ステータス】
HP :18 / 18
MP :3 / 3
攻撃 :4
防御 :1
敏捷 :3
知性 :0
【スキル】
・捕食 Lv1
・酸分泌 Lv1
・逸脱吸収 Lv1
・危機感知 Lv1
・嗅覚強化 Lv1
【称号】
・規格外個体
・存在汚染
【状態】
軽度異常
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少しだけ、理解する。
自分は、普通じゃない。
他の魔物とは違う。
だが。
だからこそ、生き残れる。
そう確信する。
ゆっくりと身体を広げる。
洞窟の奥へ。
より多くの獲物がいる方へ。
――次は、もっと大きいものを食う。
その考えが、自然に浮かんだ。
そして、それに疑問を持つことは、もうなかった。




