第30話 ご飯にする?お風呂にする?それとも……の、一番大切な部分を間違えているお隣さん2
間もなくしてキッチンから戻ってきた安住さんに『まだいたんですか。さっさとただいまをやり直す位置についてくださいよ』と冷めた顔して言われ、やむなく俺は外に出た。
あーなんだよあの人ちょーめんどくせーよ。彼女とはなんたるかを教てやる? 誰かに教えられるほど経験してきてねーだろコノヤロー。あーもう絶対これろくでもないことだよー。やだよー、お家帰りたいよー……ここ俺ん家じゃねーかッ!
10秒待ってくれという安住さんの指示を律義に従い、俺はドアノブに手を掛けた。
「――おかえりなさーい春秋さーんッ!」
数分前と寸分違わない安住さんが眼前に現れた。
俺が「あー……ただいま」と返すと、安住さんはうんうんと満足そうに頷く。
「春秋さん春秋さんッ!」
「……なんすか」
「えとですね~、今から私が言うセリフ、耳をかっぽじってよく聞いてくださいね?」
「は、はぁ」
なにを言い出すかまったく見当もつかないが、とりあえず返事だけはしといた。
すると安住さんは「え~あ~」と何度か声の調子を確かめてから、俺の目を見据えた。
「――ご飯にする? お風呂にする? そ、れ、と、もぉ……」
そこで彼女は一拍間を置いた。
あ~わかっちゃたよ、わかっちゃいましたよ。ご飯、お風呂ときたらお次は『わ、た、し?』以外ありえんでしょ。なんて安直、これが彼女の在り方だというのなら拍子抜けもいいとこだ。というかこれ新婚の三択じゃね?
「――お風呂でご飯にする?」
「ワアオッ⁉ それは素晴らしく効率的ですねぇ! じゃねええええよッ! 風呂で飯ってどんな罰ゲームだよッ! 水面におぼん浮かばせて食えってか? 安定しねえわボケッ!」
新婚の三択、その最後の選択肢は俺の知ってるテンプレとは大きくかけ離れた予想外のものだった。
見る見るうちに顔を赤くしていく安住さん。どうやら喜怒哀楽の上から二番目の精神状態のようだ。
「彼女に対してボケとはなんですかボケとは!」
「ボケにボケって言ってなにが悪いんすか! というか安住さんのそれ、どう考えても彼女じゃなくて新妻のセリフでしょ!」
「新妻だって元は彼女やってたわけですから、なんら問題ありません!」
「いやどういう理屈ッ⁉」
俺が声を大にしてツッコむと、安住さんはわざとらしく溜息をつき、呆れ腐った顔をこっちに向けてきた。その顔のウザさときたら、温厚な人間でも思わず殺意の波動に目覚めてしまうレベル。
「理屈じゃなく直感で捉えてくださいよ、直感で」
あれ、似たようなことを会社でも言われたんだけど。
「――それで、どうするんですか? ご飯? お風呂? それともお風呂でご飯?」
「…………ご飯は、作ってる途中ですよね?」
「見ればわかるじゃないですか~」
じゃあなんで選択肢の一つに入ってんだよ。
小馬鹿にするように言った安住さんに俺はイラッときたが『気に留めるな、受け流せ、受け流すんだ俺!』と自分に言い聞かせ、なんとか堪えた……が、
「そ、そんじゃあ、先にお風呂を――」
「あ、ごめんなさいまだ沸かしてません」
「――じゃあなんで選択肢の一つに入ってんだよッ! てかどれ選んでも結局ダメじゃねーかそれッ! ほんとさっきまでの時間はなんだったのッ⁉ 馬鹿なの? あんた救いようのない馬鹿なの? 頭ん中どうなっちゃってんの⁉」
さすがに我慢の限界だった。俺の口から溢れてくるは溢れてくる。彼女への不満がとめどなく。
しかし肝心の安住さんはまったく意に介してない様子。
「ふ…………やっぱり、春秋さんはまるで理解してないですね」
身を翻しながら言った安住さん。
俺が「は? なにが?」と聞き返すも、彼女は無視。そのまま足を動かし去っていく。
「ったく、なんなんだよ、意味わかんねーよ」
そう小声で悪態をつくと、安住さんはピタッと動きを止め、肩越しに振り返ってきた。
「彼女、いや……女ってすごく――面倒な生き物、なんですよ?」
うふ、と不敵に微笑んだ安住さんは、そのままキッチンへと消えていった。
「………………」
いやどういうことおおおおおおおおッ⁉ なんのドラマ観たのおおおおおおおッ⁉
一人残された俺は、誰の耳にも届くことのない心の叫びを上げた。




