倫理
風呂を入れる工程は、どんどん楽になりつつある。
屋外に給湯設備を新築した。
もちろん新築といっても新しい建物を建てたわけではない。木材で枠を作り、中が空洞の筒状にした長さ二メートルの竹を、十数本立てたというだけの代物だ。それをちょうど水汲み用の扉がある辺りに、ひさしのような形で斜めに立てかけてある。
竹は地上八十センチの辺りの台にのっかっていて、斜めに上へと伸びた先はやねのうえ、そこにはコの字に溝がある箱状の台が設置されている。
この台の上に雨を出せば、または普通に雨が降ってくれれば、筒の中に水が溜まる(現在、井戸とのあいだに配管つけて水道を作れないかと検討中だったりもする。これができれば時間がかなり短縮できるはずだ。雨を降らせて水をためるのには、いやになるほど時間がかかるので)という仕組みだ。
たまった水は竹の中で日差しに温められる。
前日の夕方に入れておけば、翌日の夕方には二十五度前後までは温まることも確認した。
竹の最下部には穴が開いていて、そこには通常水筒として使われる動物の皮を、街の職人に加工して作らせたホース(最長で20センチが限界という程度のものだ)がつながれており、ホースは繋がれた根元部分で縛られている。
この縛られた部分を解放すれば、二十五度前後に温められた微温湯が流れ出る。
流れ出る先は当然魔力式ボイラーだ。
この状態なら気圧を少しいじれば、ポンプを使うように水を移動させることが可能。
しかも、通常であれば魔力ボイラーでは『暖かい』程度のお湯しか作れないが、もともと二十五度の微温湯からなら40度くらいまで上げられるようなのだ。
熱い風呂が好きな江戸っ子には物足りないかもしれないが、これからの季節ならこれで十分。冬までにあと5度くらい上げられる仕組みを作れれば完璧だ。
その頃までには金も溜まっているだろう。
希望的観測ではあるが。
この辺りの冬の気温が何度かにもよるしな。
マイナス40度、とかだったらこんなものでは太刀打ちできない。
というか、すぐに中の水が凍って破裂するだろう。
「ちょ、ちょっと待って。・・・リリムちゃんも、一緒に入るつもりなの?」
ミーレスたちを手伝えと言ったものの、リリムはオレにくっついて離れなかったので風呂場で一緒に作業をしていた。そこに慌てたようにメティスが駆け込んでくる。
ミーレスたちと食事の支度をしていて、風呂の話になり、みんな一緒に入っているという話を聞き込んで慌てたらしい。
倫理感の強いメティスとしては、男と少女が一緒に風呂に入る、というのがどうしても見過ごせないのだ。
奴隷という存在の自覚も覚悟もない人はこれだから、と言いたい。
だが、率直にそう切って捨てるのもどうかとは思う、大人なオレなのだった。
「わ、私はできればご主人様と一緒に入りたいです」
オレに実の親に対する以上の信愛を寄せるリリムが、必死に訴える。
そんなリリムの様子を見て、メティスがジトッと睨む。
オレも一緒に入りたいです、と言いたいがメティスが怖いのでとりあえず沈黙を守る。
「このさい、メティスも一緒に入れば―――」
「ふざけないで」
いえ、奴隷なら逆に贅沢なことらしいのですよ、メティスさん。
水で濡らした布で拭くのが精いっぱい。
それがお湯を使わせてもらえる。
湯船にまで入らせてもらえる。
ミーレスとシャラーラに言わせれば、なんて畏れ多いことで、とんでもない厚遇ということになるのだが、メティスにそれを言っても理解などしてもらえないだろう。
なので、オレはそんなことにはお構いなしにミーレスとシャラーラ、リリムとも入った。その流れでメティスも、と思ったがかわされてしまったのは無念だった。
夕食も五人で食べた。
やはり12人掛けを買っておいたオレは偉い、と思う。
リリムがオレの右側、ミーレスが正面をいち早く確保し、シャラーラは普通にミーレスの横つまりリリムの正面に座る。メティスは散々迷った末にオレの左、席一つ飛ばした二つ目に座った。
ミーレスは覚悟のないものは存在するべからず、とばかりに無視。シャラーラもわざわざ声をかける理由を見つけられなかったのか放置。リリムはオレと食事をとるのに夢中でメティスのことなど気にもかけない。
いや、なんか、メティスが可哀相な・・・。
ボッチ経験者のオレとしては同情しそうになるが、ここで手をさしのべるのはミーレスやシャラーラに示しがつかないので、やはり放置する。
リリムは、それはもうモリモリと食べた。
平気で大人二人分の量をペロリといってしまう。
あまりの喰いっぷりに、ミーレスとシャラーラなどは少し自分の分を分け与えていたほどだ。まあ、この年代の女の子が泣きながらおいしいおいしいとご飯を食べていたら、止められるものではない。まして、リリムは年齢に比して細すぎる。
この食欲がずっと続くようなら注意が必要だが、現状では「よく噛んでから呑み込みなさい」と言うぐらいだろうか。
そして夜。
必然、ミーレスとシャラーラはオレと一緒に寝る。
リリムも当然そうしようとした。
オレもそのつもりだったのだが、メティスが止めにかかる。
「ベッドならまだ余っているんだから、ね?」
いや、ない。
二つあるベッドはくっつけてあるし、もう一つはメティスの部屋にある一人用・・・ああ、入院患者用のベッドがあった。
幼い子供を諭すような、優しい声音で、リリムを説得しようとするメティス。
メティスはこういったことには厳しい女性である。それはもちろんわかる。しかし、奴隷であるのだ。もはやそんな言い分の通るような立場にはいない。
「あ、あなたたちもよ。女の子なんだから、男の人と一緒に寝るわけにはいかないでしょう?」
なにかあってからでは遅いのよ? という口調がなにか妙に薄っぺらに聞こえた。
オレの感覚も随分と退廃的になったものだ、と感心してしまった。ほんの二月前、日本にいたころの自分なら、メティスの言い分に賛成の一票を投じただろうに。
そういえば、ミーレスとの初日にはオレも寝室を仕切って部屋を作ろうとしたんだったよな。それがなし崩し的に、みんな一緒に寝る形になってしまっている。
オレにとっては好都合なのでいいのだが・・・。うん、オレ自身、かなり価値観が変わってきている気はする。
「わたしはご主人様が拒絶しない限り、ご主人様とご一緒に寝かせていただきます。そうでないなら、玄関ホールの床で寝ます」
「おらは寝室の床で寝るっす。ご主人様にベッドから追い出されんなら」
ミーレスとシャラーラが、真顔で答える。
二人とも奴隷商人のところで、いろいろ教わっていたのだろう。そして、商品奴隷となるよう躾もされていた。弱冠一名についていえばそこに期待していたほどだ。
メティスの言動に賛同などするはずがない。
冷めきった返答を叩きつけた。
「それに、私たちはすでにご主人様に抱いていただいています。むしろ別のベッドで寝る意味が分かりません」
当たり前すぎて、もう言葉をなくしたシャラーラの代わりに、ミーレスがさらに言葉を重ねた。シャラーラはもう、フーッフーッと鼻息が荒い。
毎晩激しく跳ねているだけのことはある。主人冥利に尽きるというものだ。オレは不覚にも泣きそうになってしまった。
メティスは困ったように眉を歪めた。
そしてリリムの表情を見て、なにか葛藤するように一度唸ると、諦めたような声で言った。
「わかったわよ。でも・・・」
議論の結果―。
メティスは妥協案を突き付けてきた。
今、この四十畳はある寝室に、二つ目のベッドが用意された。
家の一階から入ってきて、十数歩の辺りに置かれている二つのベッドをつなげてキングサイズになっているベッドの他に、診療所に降りていく階段の入り口付近に運び込まれたベッド、階段下に押し込められるように置かれていたメティス愛用ベッドの二つだ。
リリムが、オレへの奉仕が嫌になったらいつでも逃げてこれるように、ということらしい。
オレからすれば、その気になったらいつでも参加できるように、と思いたいところだ。もちろん、メティスが。
実は、ちょっと気になっている。
ミーレスやシャラーラがオレに抱かれていることを、メティスが知らなかったはずはない。ということだ。
日本の気密住宅とは程遠いこの世界の建物の中で、あれだけ執拗にあけっぴろげに喘がせていた声が、階下に全く聞こえないなんてことはありえない。
絶対、毎晩困っていたはずである。
それなのに、声だけでなく姿も見えかねない場所にベッドを移してくるとは・・・。
これは、トイレに行った帰りにうっかりメティスのベッドに戻ってしまい、うっかりその豊満な体をまさぐってしまわないように、気を付けねばなるまい。
一応言っておくが、今夜はリリムに手を出しはしない。
傷は治っても体力は落ちている。
当分は見学だ。
ミーレスとシャラーラが先生では、どうなるかは目に見えているが。
同じ部屋のすぐそばとかなり遠い位置の二か所に、まだ男を知らない女がいるところで二人の女を貪る、そんなシチュエーションに盛り上がって、ミーレスとシャラーラには負担をかけてしまったかもしれない。
結局、昨夜は思いのほか興奮してなかなか寝付けなかった。
そのせいか、朝食後に歯を磨いていると頭が少しぼーっとしてしまった。
この世界にある歯ブラシは木の柄に豚の毛を編み込んでブラシ状にしたものだ。正直ものすごく硬いのだが、さいわい、オレには設定値の変更ができる。軟らかめに変更して使っていた。そのせいで少し毛先が長くなったので途中で切ったりして調整済みだ。
歯磨き粉はなく、水だけか塩を使っている。
いずれはせめてミントの効いた歯磨き粉を作りたい。
なんにしろ、顔を洗うには水が必要だから、洗濯場で磨くことになる。
どうにも落ち着かないので、いずれは洗面台を作るつもりだ・・・いずれが多すぎるな。
洗面台の位置や、高さなんかをボ~っと考えながら、シャコシャコと磨いていると。
「ご主人様は、メティスさんが好きなんですか? け、結婚してしまうんですか? む、胸も大きいし」
ちょこちょことやってきたリリスがとんでもない発言をしてきた。
「ごふっ?!」
歯ブラシで喉を突いてしまった。
ついでに水が気管に入ったようだ。盛大にむせる
なぜ、ここでメティスなのか。ミーレスたちの方が可能性が・・・と考えて納得した。ミーレスたちは奴隷だということがすぐにわかる。リリスとも扱いはほぼ同じだし、だがメティスはベッドも違うしオレをご主人様とも呼んでいない。
リリムから見れば、メティスは奴隷ではなくてオレと対等の存在になるわけだ。
そして、そういう人と同じ家に住んでいる。
なるほど、そういう発想にもなるか。
「あー・・・一応言っておくとだな。メティスも奴隷だぞ?」
とりあえず、勘違いを是正しておく。
「胸の方は・・・リリスもまだ大きくなるから大丈夫だよ」
なにしろまだ15だ。これからも成長の可能性はある。体力が万全になったらオレがちょくちょく揉んでやるしな。
オレがそう言うと、リリムはゆっくりと頷いた。そして「大きく・・・」なんて呟きながら、自分の胸をふにふにと触り始めた。
思考は胸の方に逸れたようだ。奴隷と知った瞬間に、メティスと結婚説は消えてなくなったらしい。
「オレたちが迷宮に行ってる間、メティスの手伝いを頼むぞ」
手伝いと言っても、ほとんどが掃除と菜園の管理だ。
あとは、極限まで落ちていた体力の強化。
これは専門の治癒魔法士がついているのだ、問題ない。
「はい。任せてください、ご主人様」
その日から二日ほどは、リリムの様子を見ながらこまごまとした作業を行う。
ちなみにミーレスとシャラーラに宣言していたように、リリムは迷宮探索のパーティメンバーからは外した。メティスとともに治療院で治癒魔法士として働いてもらう。
もちろん、オレたちが迷宮に行っている間は家の掃除や菜園の管理もしてもらうことになる。家の左側の空き地も畑として開墾して、種も植えた。こちら側は、もっぱら右側の菜園に植えてる野菜やハーブ、薬草の種取り用に使うことにした。
こうして物理的に分けておけば、間違って全部収穫してしまって種がなくなった。という事態は避けられるだろう。
また、いまのところ、治療院は暇だそうだ。
というか、客が一人も来ない状況らしい。
客が来ない理由は想像できる。
一度閉院しているし、なにより遠い。
治療院の一番の客はやはり冒険者だが、彼等が傷を負うとしたら迷宮だ。
迷宮の近くには当然、商売敵の治療院が出張っている。
迷宮の無くなった町に、どっしりと腰を据えている治療院にまで足を運ぶ理由はない。
ご近所の農場で働いている人が、たまには来てくれるかもしれないが、その人達もプロだ。そうそう仕事で大きなけがなんてしないだろう。
あとは、リリムが加わったことで、我が家の食卓に彩が増し・・・たりはしなかった。
ダークエルフは狩猟をするので獣を捌けるということだが、毛皮を剥ぐのは得意でも肉の調理はやったことがないそうだ。
せめてジビエ料理でいいから作れるとよかったのに。
なかなかうまくいかない。
迷宮探索はさらに進んだ。
四階層はリリムが来た翌日に突破。
『ゲートキーパー』の『ロックロック』――南京錠のような胴体と、同じく南京錠みたいな頭を持った鳥だ――を倒すと『レアドロップアイテム』の『鳩時計』が手に入った。リビングのダイニングへの扉から左側の壁に飾ってみる。
鳩時計と言いながら、出てきて時を告げるのはロック鳥で、音楽もロック調だった。
・・・なんだそりゃ!
ほんと、この世界はツッコミどころがありすぎる。
もっとも、元世界の鳩時計も出てくるのは実はカッコウだったりする。
手巻き式なので、ゼンマイを巻くのはリリムの仕事とした。
毎朝と毎夕、小さな踏み台を持ってきてはキリキリ巻く。
なんかかわいい。
「ご主人様、ハスムリト様からのメッセージが届けられました」
その様子をほのぼのと昼食後の紅茶――たっぷりと蜂蜜を入れてある――を飲みながら眺めていると、ミーレスがリビングに駆け込んできた。
「メッセージ?」
「商人ギルドが扱っている伝言サービスです。商人ギルドの会員と準会員、その関係者との連絡に使われます」
郵便網は整備されていたのか、この世界でも。
網自体は小さくて目も粗そうだけど。
「なるほど、内容は?」
「クエストを頼みたい。都合がつくようなら来てくれ。・・・とのことです」
短っ!?
ラインかよ!
詳しい内容を書くわけにはいかなかったのだろうけど、もう少し何とかならなかったのだろうか。
「ちょうど、迷宮に入ったばかりでカードに魔力が蓄えられてある。クエストを受けるのも悪くはない、か。一応話だけは聞いてみよう」
効率の悪いクエストだとしてもレベルアップには支障がないということだ。
クエストの内容と報酬によっても判断は変わるだろうし。
「わかりました。準備します」
「了解っす」
ミーレスとシャラーラが準備に入る。オレも、移動部屋に向かった。
迷宮に行く時の装備を付けて、『草原の大バザール』内、商人ギルドへと移動した。
生活が困窮することはもうないが、かといって余分なものを買うほど余裕があるわけでもない。バザールは完全無視でハスムリトのテントへと赴いた。
「こんにちは、ハルカです。お呼びとうかがいましたが?」
テントの外から声をかけた。
万一、中で商談中とかいうことがあると何かと困る。
「おお、来たか。入ってくれ」
返事があったので、テントの垂れ幕をめくって中へ入った。
「お邪魔します」
テントの中は相変わらず雑然としていた。
書きかけのメモとか、期日の過ぎた契約書めいたものが平然と落ちている。
本物なのか、フェイクなのか。
判断に迷うところだ。
「今度の依頼はちょいと手間がかかる。かまわねぇか?」
手間、か。
時間がかかるぐらいのことならかまわない。目的があって迷宮探索をしているわけではないから、そこは問題ない。
「報酬がそれに見合うなら」
時間がかかって、迷宮に入る時間が取れず、稼げない。
そうなるのは困る。
「ま、当然そうなるわな」
頭をガシガシ掻きながら、ハスムリトは苦笑した。
「帝国の南方、コロルという街にあるクルールという迷宮に入ってほしい。依頼内容は素材の採集。主に銅と青銅を集めてきてほしい。それぞれ、固まりを10個。報酬は金貨10枚。妥当なとこだと思うが、どうだい?」
確かに、そんなに悪くはなさそうだ。
銅と青銅が出る率にもよるが、10個ずつなら何とかなりそうだ。
それに・・・コロル、か。
リティアさんの商品価格表にも載っていた街だ。
カテゴリでいうと『武器』が売り、買い、ともに大きい。
安く売られている『武器』が銅と青銅製。
高く買い取る『武器』が鉄製。
近場の迷宮で銅と青銅が採れるから安かったんだな。
でも、だとしたらなんでクエストなんか出すんだろ?
「もしかして、依頼主はフェッラの街の鍛冶師、とかですか?」
商品価格表を読み解くと、フェッラの街は鍛冶は鍛冶でも武器ではなく日用雑貨の生産が盛んな街であるようだ。
銅鍋から鉄釜まで何でも売られている。
フェッラで鉄鍋を買い付けて、コロルで売り。コロルで銅製の武器を買って、帝都やその周辺で売っていた、そんな形跡がある。
鉄製の武器があるのに、銅製武器の需要があるのかと思うところかもしれないが、実は銅製武器の方がいい場合もある。
強度では鉄に及ばないものの耐久性――たいていの金属は低温になると脆く劣化するが銅にはそういうことがない――とか耐食性――錆びにくい――、耐海水性、耐摩耗性などでは鉄より優れている。
用途、あるいは敵とする魔物によっては鉄より銅、青銅製の武器が断然役に立つ場合があるのだ・・・と思う。
それでいくと、フェッラの街では鉄を採取できる半面、銅は採れないのではないだろうか? 加工はしたいが、素材がないとしたら、どうするか?
その答えが、クエスト。
「・・・へぇ。察しがいいじゃねぇか」
見直した、そう言いたそうな顔でハスムリトがオレを見た。
図星だったようだ。
なるほど。
通常の加工品だけでなく。迷宮内の『ドロップアイテム』にも相場はあるわけだ。
迷宮の性質を読む、か。
そういう意味もあったんだな。
罠や魔物の種類や位置のことだとばかり思っていたが、違ったのだ。
「わかりました。受けさせていただきます」
「おう、頼むぜ。期限は十日以内だ。」
十日以内。
それぐらいかかる仕事ということだ。
クエストの受注手続きをしたオレは、ミーレスとシャラーラをつれて、商人ギルドのタペストリーからセブテントの迷宮八階層に飛んだ。