第2話 キーホルダー
平助が住んでいるのは、家賃が五万円程度の比較的安いアパートだ。
その値段の安さは当然、部屋の狭さにも繋がるのだが、オタクとしてさほどフィギアやグッズに興味はなく、ノートパソコンの一つでもあれば満足してしまう部類の温いオタクである平助は、部屋に余計な物をいれない。
だから、平助の部屋は恐ろしく質素なものだった。
「いたたたた……あぁ、まったく、ひどい目に遭った」
平助は自宅のアパートに戻ると、擦り傷だらけの体に顔を顰める。
「ったく、美鈴ちゃんも新人を演習に連れてくるんじゃねーよ。確実に覚醒したてで、力の制御が甘いじゃねーか。軽く、直撃してたぞこら。俺じゃなかったら、死んでたぞ、こら」
ぶつぶつ文句を言いながらも、自室の薬箱から硝子の小瓶に入った極彩色の液体を――エリクサーと呼ばれる万能薬を煽った。すると、擦りむいた顔面の傷や、ほつれた制服から覗く傷口が、一瞬にして回復……否、復元される。時すら欺いて、平助の負傷を万全の状態に戻したのであった。
「大体、あいつ……鍵の力を抑え切れてもねーなぁ。でなきゃ、あんな常時威圧モードにならないっつーの。はぁ、でもなー、俺たち『鍵持ち』にしては随分まともそうな人格をしていたが……さて」
どさ、とソファーに体を預ける平助。
「今度の新人は何時までもつかねぇ?」
まるで、明日の天気でも予想するように平助は呟いた。
規格外で、破格の能力を持つ少女、小林狛。
しかし、人類の中でも無類の強大さを持つその拍でさえ、【キーホルダー】と【魔族】の全面戦争中の現在では、いつ死ぬかわからぬと平助は知っているのだ。
「願わくば、真人間のままで…………ふあぁあ……」
適当に、これから同僚となる少女の安否を祈りながら、平助は微睡にその身を任せる。
学業は終わり、時刻は夕暮れ。
睡眠時間は、仕事が始まるまでの約二時間。
趣味は仕事が終わってからの三時間。
仕事は――――異界との時間格差と時魔法による圧縮法を用いれば、99時間ほどだ。
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【キーホルダー】と呼ばれている存在を説明しよう。
その存在が生まれたのは、彼の偉大な創造神が堕落し、大魔王へと姿を変貌させた時からと言われている。少なくとも、その時から兆候は見られていたのだとか。
魔族と人類の攻防。
後に、大戦と呼ばれるほどにまで悪化し、人類を追い詰めた大魔王にとる虐殺劇。
人類が支配していた七つの世界は、もう残りひとつ、故郷である【ガイア】を残すのみとなり。第二世界【ファンタジー】も、魔族たちの圧倒的な戦闘能力によって制圧されようとしていた時だった。
突如、人類の中で、莫大で規格外な能力を持つ者が生まれ始めたのは。
その者たちは、己の魔法属性の他に、固有能力と呼ばれる、世界の理を覆すチートを使い、壊滅寸前まで追い込まれていた人類を救ったのである。
チートを扱う者たちは、大規模魔術によってゲートを開かなくても、固有能力を持つだけで、世界を移動する権利を所有しているのか、魔族によって結界が掛けられている世界以外は、自在に行き来することができた。故に、彼らは最高の遊撃部隊になり、そして人類史上最強の戦力として魔族たちを蹂躙し、大魔王直属の配下である魔王たちをも、殺し尽した。
仕舞には、英雄と呼ばれる【キーホルダー】の中でも、群を抜いて強靭かつ規格外な存在たちによって、大魔王に致命傷を与え、深き眠りに付かせるまで至ったのである。
ただ、ここで問題が一つ。
圧倒的な力によって戦況を巻き返した【キーホルダー】たち。
彼らの力によって、大魔王が倒され、強力な魔王たちも殺し尽され、いよいよ人類による逆襲が始まるかと思えた。
だが、【キーホルダー】たちの大多数は、その期待をあっさりと裏切った。
「え、やだー。だって、平和になったらつまんねーじゃん」
そう、彼らはある意味、理解していたのである。
魔族を全て駆逐してしまえば、残った異常である【キーホルダー】たちを、今度は人類が駆逐し始めると。そして、己たちが力を合わせれば、逆に人類を支配してやることもできることを。でも、ぶっちゃけ、そういうのは本当に面倒だから、適当に戦乱状態を保ったまま、魔族相手に好き勝手遊んでいた方が楽しいと。
結果、生まれたのは人類が常にギリギリ魔族に追い込まれて末期戦染みた状況であり、軍に残された数少ない、【キーホルダー】たちの超ブラックな労働時間だ。
故に、まともな人格を持った【キーホルダー】はこれ以上なく優遇され、そして、容赦なく酷使される。最悪、すり潰れてしまってもまた、代わりの【キーホルダー】は生まれるのだから。
●●●
佐藤平助の仕事は、担当管理官である美島 真奈美、24歳独身がアパートを訪ねてくるところから始まる。
「平助さーん、平助さーん、お仕事ですよー」
真奈美は、成人しているにも関わらず、背丈が130センチメートルほどしかない小柄な女性だ。同僚からは合法ロリや、ホビットなどとあだ名を付けられてからかわれている。実際、彼女が来ているスーツは特注品であり、まるで、子供の仮装のようだった。
「平助さーん、地獄の始まりですよー。大人しくドアを開けてくださーい」
インターホンを連打する真奈美。
しばらくすると、アパートのドアが空き、不機嫌顔の平助が顔を出した。
「ちわっす、真奈美さん。今日も最悪な気分っすわ」
「それは仕方ないですね。平助さんはリアルに人類の最後の砦なので」
「大げさに言うなって」
「あははは、誇張も無くリアルですよ? だって、平助さんが一日仕事を休むと千人単位で精鋭たちが死にますから」
「…………はぁ」
平助はため息を吐くと、だるそうに頭を掻く。
「俺は別に、三次元の奴らが死のうが構わないんですがね?」
「と言いつつ、誰よりも人類に貢献している貴方は物凄いツンデレですね?」
「何事もツンデレって言えばいいと思ってません? 最近のそういう風潮、古き良きツンデレが風化するから嫌いんなんですよ」
「そうですか。でも、私は好きですよ、平助さんのそういう強がり」
さらりと、真奈美は笑顔で平助に言う。
「ガキをからかわないで下さいよ、真奈美さん」
「さて、それはどうでしょーかね?」
子供のような体型と顔つきをしていながら、その手のことを平然と言う真奈美は、やはり大人の女性なのだと平助は思う。戦いに明け暮れて、二次元に執着している自分では、そういう面ではとてもかなわないだろうと。
「上がってください。コーヒーでも飲みながら話しましょうぜ」
「ご馳走になります」
平助がへらりと笑い、真奈美がにこにこと笑顔のまま応じる。
もうすでに二人は三年間の付き合いであり、共に死線も潜り抜けた仲だ。鍵を持つ者と、そうでない者の確執は確かにあるが、その中でも二人は特にうまくやれている部類である。
「インスタントしかなくて悪いっすね」
「いえいえ、どうせ私は味にこだわりませんし」
「あぁ、確か必要成分さえあればいい感じでしたか?」
「その通り。人間、必要な娯楽は最低限あればいいのですよー。少なくとも、戦時中ですからねー、私のような公務員は、清貧に生きねばー」
「別に。誰の金から給料が出ようが、区別すべきじゃないと思うっすけどねぇ」
妙に手際良くコーヒーを淹れる平助と、それをソファーで座って、のんびりと受け入れる真奈美。一見すると、兄が妹におやつの準備をしているようにしか見えないが、これでも、人類の行く末を左右するであろう作戦会議をする前準備である。
「んで、今回も【ファンタジー】でダンジョンアタックっすか?」
「それなんだけどね。今回は最初、【アンダー】の方に行って、白銀の魔王が率いる魔族を壊滅させてほしいのですよー」
「あれ? 白銀の魔王は『歪曲魔銃』の奴が担当じゃなかったっすか? まさか、死にました? あれっすか? 『コレクター』とかにやられましたか?」
「もー、彼女は死んでませんよー。ただ、息子さんの授業参観でお休みなんですよー。その、そろそろ授業参観ぐらい行かないと、息子さんから『たまに遊びに来る大人の人』扱いされそうだそうで」
「せちがれぇな、子持ちは。やっぱ、結婚とか人生の墓場っすわ。二次元最高っすわ」
「むー、そんなことありませんー。結婚は女性の夢ですよー?」
「でも、戦場とかだとリアルに死亡フラグになりますし」
「あー」
世界一物騒な世間話をしながら、二人はコーヒーブレイクを楽しむ。
戦場で起こった悲劇や喜劇。一つの部隊が壊滅した惨劇。あるいは、【キーホルダー】たちが成した恐ろしいほどの戦績を話のタネに、談笑に花を咲かせる。
常識を持った人間なら、その談笑が不謹慎な物だと怒るだろう。けれど、その後、二人が潜り抜けた戦場を一つでも垣間見たのなら、発狂して理性が崩れてしまうはずだ。
談笑の花は鮮血の如き赤で、それでも、笑わなければやっていられない。
【キーホルダー】は替えの効く戦力だ。しかし、世界に隠れ住む彼らを見つけるのは至難の業であり、大抵の者は非協力的だ。なにせ、自分ひとりなら、仮に世界が破滅しても生き残れる規格外どもなのだから。誰が好んで、ブラックな職場に行きたがるというのだろうか。
つまり、替えは効くが、非常に高価で貴重品なのである。
加えて、佐藤平助は『黒騎士』の二つ名を戴く大戦時の英雄。最小、わずか十歳で戦場に駆り出された少年兵たちの生き残りだ。並の【キーホルダー】なら替えは効くだろうが、正直、平助の代わりが出来る人材など他ににない。
にも関わらず、平助を酷使しなければ、人類はあっという間にかげっぷちに立たされてしまうという、ひどい悪循環があるのだが。
「それで、白銀の魔王と軍勢を壊滅させた後の話なのですけど」
「おいおい、相手を殺した後の話をすると、フラグが立つぜ?」
「折ってください」
真奈美は笑顔で暴論をかます。もっとも、平助も自分が死ぬとは思っていないらしく、冗談の類だったようだ。
「そろそろ新人の【キーホルダー】が前線に本格突入するので、これからはその子を教育しながら仕事をこなしてほしいのです」
「ん? もうそんな時期だっけ? や、学校でも一人、新人を見たけどさ。教官どもによる基本教育じゃ無理なのか?」
「…………ここだけの話なのですが」
声を潜め、笑顔を消して、真奈美は密やかに平助へ告げる。
「あの『コレクター』の他にも、強力な魔王の存在が確認されています。その中には、初代八王クラスの者も。正直、彼らに対抗するには、かつての戦場を英雄として駆けた貴方の手助けが必要なのです」
「俺は英雄であっても、有能な教師なつもりはないんっすけど?」
「有能な教師では、戦場で生き残れません。そして、新たな英雄が生まれませんのでー」
「まったく、労働法に違反してるぜ」
「訴えられても勝ちますよー? なにせ、こっちには国家がついてますので」
「あっはっは、とんでもねぇブラックだ。いや、通り越してダークネスじゃねーですか」
「いいではありませか、ダークネス。こう、エロ関係の加護がありそうでー」
雑談は終わり、コーヒーカップは既に空になった。
そして、平助は手早くカップを片付けると、真奈美へと目配せをする。
「行きますかー?」
「そろそろ時間ですので。空間の亀裂は後で閉じておいてください」
「了解しましたー」
平助に戦闘準備というものは必要ない。
なぜなら、平助はその体自体が、兵器であり、倉庫であり、英雄なのだから。
「――同化解除。現れろ、血泥に塗れた黒き鎧」
平助の呟きと共に、黒の霞が平助の体を纏った。そして、一瞬のうちに、平助を全身鎧の黒騎士へと変貌させる。
黒騎士となった平助はそのまま、腕を掲げ、詠唱を始めた。
「アクセスコード:生命冒涜」
平助の目の前の空間が歪み、まるでコーヒーとミルクが混ざる過程の如く、風景が渦巻きの如く混ざっていく。
「……三番に接続……閲覧……マークと接続……クリア……開け、異界の扉よ」
混ぜられた風景はやがて、淡く光る光源へと成った。それは長方形を象り、きぃん、硝子が割れるような音を掻き鳴らし、空間を連結させている。
「んじゃ、行ってきます、真奈美さん」
「はい、ご無事を祈っています」
真奈美へと手を振り、平助は光のドアへ入っていった。
いつもの如く、生と死の境界線が揺らぐ、最悪の戦場へと、赴いていった。




