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第二十章 新たなステージへ

 千代、婆ちゃん、・・・・?


 ぼおっと揺らめく女の影は確かにそう言った。だが、影は老婆と言うには背筋もピンとして、均整の整った体躯をしているように見える。


『えっと、千代お婆ちゃん。はじめまして。孫の健児です。お婆ちゃんが僕に何の用ですか?』


 俺は自分が婆ちゃんだという女の影に尋ねた。目の前の影から、カチンと来たような鋭い気が感じられたかと思うと、脳天に木刀で殴られたような痛みが走った。音はしていない。重さもないが、ドスンと来るような痛みだった。でも、体はしゃがむでも無く、普通に立っていられた。

 周囲の光景は相変わらず止まっているに等しい程にゆっくりと動いている。俺の体も実際はゆっくり動いているのだが、幽体的には自由に動けている。そして、声も聞こえるのだ。


『誰が婆ちゃんだ。誰が!』


 脳天に激痛を与えたのは自分で婆ちゃんといった影だった。


『いや、だってあなたが自分を僕の婆ちゃんと言ったのですよ!』

『うんにゃ、お前が私の気を感じて、勝手に察知しおったんだ。私はまだ何者か名乗ってもおらんわ』

『そ、そうなのですか?』

『私がそうだと言えば、そうなんだ。全く、ショウの奴は孫にどんな教育しとんじゃ』

『い、今、孫ったじゃないですか』

『感覚はかなり鋭いな。増幅師の補助も無いのに、霊体の私と会話できるとはなあ。お前の兄や姉はそこまでなかったのにな』

『じゃあ、やっぱり、あなたは僕のお婆・・・、いえ、千代さま。なのですね』

 女の影は俺が『婆ちゃん』と言いかけた時に振りかざした右上拳をしまうと、もじもじし始めた。

『なんかこそばゆいな。孫に千代さまとか言われるとな。ま、でも婆ちゃんと言われるよりはいいな。千代さまで赦そう』

 

 自分を俺の千代婆ちゃんだと証したけどその女の影は、次第に実体化し始めて来た。体の輪郭もはっきりし、肌の色も薄っすらと浮かび上がって来た。顔の輪郭もピンぼけから徐々に鋭くなって来る。仏壇でよく見るあの顔が浮かび上がって来たのだ。俺や澪と同じ十七歳の千代婆ちゃんだ。


 体も徐々に実体化していく、超スローモーションで動く実景を背景にイメージの千代婆ちゃんが頭から徐々に実体化していく様は、まるでSF映画の転送装置さながらである。しかし、千代婆ちゃんの服はなぜにか肌色だった。仏壇の千代婆ちゃんの遺影の写真は、黄泉の黒い袈裟では無く、艶やかな着物を着た写真だった筈だ。旦那だった爺ちゃんなら水着写真くらい持っているだろうが、見せてくれたことなど一度も無いはずなのに。なぜかどこかで見たげな布地の少ない濡れ水着姿での登場をしたのだ。

 俺の目と口はおそらく、三日月状になっていることだろう。千代婆ちゃんの水着姿にウキウキしてしょうがない。


『この大うつけが!』


 当然のように千代婆ちゃんの飛び膝蹴りが俺の顔面を直撃した。さすが姉ちゃんとも血のつながりがあると実感する的確な飛び膝蹴りだった。


『全く、おまえという奴は、祖母を視姦するとは何たる孫なのだ。

 だらしなくスケべなところだけはショウと全く一緒だな。もういい、わしが自分でイメージを作るわい』

 千代婆ちゃんはそう言うと黄泉の黒袈裟装束に変わった。その様子は、首のチョーカーのハートマークに指をあて、衣服を空中にある元素から自在に作り出して素早く着替える女性アンドロイドヒロインのようだった。名づけて、千代フラッシュとしておこうと思う。


『爺ちゃんがスケべって?』


 咄嗟にその言葉が口に出た。なぜかと言えば、剣鬼の木村という翔倭の剣豪の異名とは裏腹に、女の人には甘い一面も多い姿をちらりと見てきていたが、俺並みと聞かされては、真実を聞きたくなってしまったからだ。


『突っ込むのそこじゃねーだろ、このガキが!』


 脊椎反射的に千代婆ちゃんは、俺の脳天に唐竹割りチョップを振り下ろす。霊体なのに実体以上にどすんと重たい一撃に感じてしまう。それにだが、写真ではおしとやかそうな和美人に見えていたのに、結構、乱暴な口調にいささか萎えてしまった。千代婆ちゃんは、良家のお嬢様ではなかったのか。これじゃあ、テキサスのじゃじゃ馬娘の方がまだましだぞ。


『誰がじゃじゃ馬娘じゃ』


 今度は踵落としが右足で落とされ、それと交代するように、両膝が顎をとらえたかと思ったら伸びた足が腹部にあたり、足の伸びとともに遥か後方の壁に突き飛ばされた。

 本当に千代婆ちゃんは霊体なのか?


『健児、また婆ちゃん呼ばわりしとるな。さっきからお前、何度も婆ちゃんと呼んでおっただろう!』

 なんと、俺の心の声も聞こえていたのだ。当然だ俺の脳に同調してるから強い意識が聞こえるのだ。俺はまるで話すかのように千代さまに話していたが、この行為と今、思慮を巡らす思考とは何の違いも無いのだ。


『すみません、千代さま』


 俺はとにかく謝った。それは脊椎反射的な反応だったが、潔くあらねばという心には逆らえないのだ。


『やっぱ、言うとったのか。いや、スマン。健児。

 今のはハッパじゃ、お前が思慮する深層意識には強大な結界があるでな。実はそこまでは霊体のワシには読めんのじゃ。お前が言葉のようにワシに発する意識だけが言葉のように響いておるだけだだからな。

 だから案ずるな。お前のプライベートは守られとるからな』


 おれはひとまずホッとした。俺の矮小なるプライベートが守られたことに。

 それで俺は何を話そうとしたのか、頭の中を整理した。当然だが若い頃の爺ちゃんが俺並のスケべであったことなどでは無い。そう、何故に今、千代婆ちゃんが俺の前に現れたのかということだ。

 千代婆ちゃんは、四十三年前に不慮の事故で無くなったと聞かされて来た。つい最近、四十三回忌があったばかりだ。それに加え俺は、現世の肉親や過去の祖先の記憶を辿る旅も経験したが、故人の意識が頭の中に語ってきたのは初めてだったのだ。

 いや、故人で無い奴も語りかけていた。十六夜咲夜いざよ さくや。現役黄泉戻師、比良坂黄泉ひらさか よみがいた。


 この状況は俺の黄泉戻師の力が強力になって、これまで聞こえなかった声が聞こえるようになり、意思疎通が可能になったと見る方が自然だ。マユとの戦いでマユに巣食う淀みが周囲の淀みを活性化させ、そこに俺の研ぎ澄まされた感覚が同調したのだろう。だからこの時期に大きな意味などはないんだ。言ってみればただの偶然なんだ。でもそれは、俺にとっては必然にもなりうるということだ。一日も早くマユを淀みの支配から解放したい俺にとっては。十六夜咲夜に見せられたマユの未来の仮想現実、淀みに食われ果てるなど露ほどにもありえさせてはいけないのだ。


 馬鹿で大うつけと言われてきた俺でも今の状況は理解している。俺は次のステージへ進み、新たな運命を受け入れなければならなくなったということだ。

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