第十九章 婆ちゃん現る
マユのダッシュは、襲ってくる度に早まって来る。次の攻撃がとにかく早い。俺がいなして一本打ち込むと、すぐに切り返して攻撃に入るのだ。
流石の俺も三回に一回は、突きを受け体を当てられよろけ、倒される。その度に二階からマユの即席親衛隊から黄色い声援が送られる。飛び跳ねて、ひらめくスカートの中からちらちら顔を出す見せパンに嬉しい反応を示すほどの余裕がなくなっている。
見ている剣道部員たちも流石にマユの行動の異常さを感じ始め出している。黄色い声援で騒いでいるのは事の事情を知らぬ二階席の観客たちだけだった。
だが案ずることはない、持っているのは真剣はおろか木刀ですら無いただの竹刀だ。小手は当てられれば結構痛いが、面も胴もずらされなければ真正面なら痛みは無い。竹刀だからと当たってやってるつもりなど今の俺には微塵も無いのだが、交わせずに当てられている事実はどう理解したらいいかわからない。
今の俺は剣道世界一にすら打ち負けることなど無いはずだ。なのに一瞬、動きが見えない時がある。全部は見える必要は無い。人は骨格があるから出だしの動きと間合いさえわかれば、対処の仕方はだいたい分かる。それに体育館は十分に明るい、闇そのものだった新宿の地下壕とは違うんだ。なのに何故。
『ここは気溜まりが濃いからな。淀みも活性化するのだよ。ましてや、あやつはそれを体内に取り込んでいるからな』
頭の中で声がした。女だ。落ち着いているが、若い感じがする、このパワーみなぎる感じは、
――黄泉、なのか、
『私に問うたのか、』
はっきりと返事が返って来て、一瞬、思考が停止した。聞き覚えのある声ではあるのだが、その声は耳で聞いたのではなく、誰かの記憶を共有して脳にコピーした音なのだ。だからそんな筈はあるまいと必死に否定してるのだ。
俺は、もやっとした濃霧の中にいるかのような視界のまま、突進し体を浴びせるマユに再び後方へ弾き飛ばされた。頭は打たないも背中で体育館の床を背中ですべり、後方へと押しやられた。止まって見上げれば、またしても恭子の青い縞模様の布地で隠されたアワビの凹凸があった。ご丁寧に腿に巻いたバンドにLEDライトが付けられており、俺が見上げた瞬間にライトアップしてくださっているのだ。嬉しいサプライズだが、少しは恥じらって欲しいものである。
もっとも、別の男がこういうシチュになれば竹刀が面の金具で裂けるほどに顔面に落とし込むのに。そこまで好かれてるなら男冥利につきるか、とんでもない。こいつのは明らかにストーキングだ。
『こら、気を逸らすな。私に問うたのかと聞いたのだ』
再び頭の中で声がした。もちろん動揺などはしていない、これまで何度もあった。さっきもマユが接近したとき小さいがとても挑発的で邪悪な感じの声が聞こえた。もっと小さな声でも今も頭の中でうおうさおしている。いままでなんとはなく聞いていたものが、俺の感覚が研ぎ澄まされたことで、聴覚への集中力を増すことではっきりと意識できるようになった。それがたぶん真実だろう。これがやはりオカルトで言うところの幽霊の声なのだろうな。
俺はマユの動きだけに注意を集中した。すると雑音はすっと消えた。俺の周囲に沸いていた野次のような挑発的な言葉はすっと無くなったのだ。なるほどなと感覚的に納得はしたが、声の正体は皆目分からない。周囲を漂う幽霊の声ということにしておこうか。
講堂にもなる上座の上の時計を見ると残り時間はまだ三十分もあった。いつもは時間など気にしないが、気にしたくなる訳が出来たのだ。それはマユの異様さに他ならない。さっきまでの俺は殺意の無い剣など恐怖に値せずで余裕だったが、一連のマユの動きと攻撃を受け、徐々に恐怖心を抱き始めている自分に気づいたからだ。
マユは殺気こそ無いもその一挙手一投足には雑念が全くといっていい程無かったからだ。迷いの無い剣ならそれは真剣さの現れと反論されそうだがそういう意味じゃ無い。気のこもらない鋭く強いだけの力が間髪入れることなく襲って来るのだから、これに恐怖するのは道理であろう。
『あやつ、淀みに心を消されたか?』
――また声がしている。声は消したはずなのにこの声はまるで近くで話をしてるかのように大きくハッキリ聞こえる。
耳鳴りか?
気を取られると瞬時にマユは突進して俺を後方へ弾き飛ばしてしまう。飛ばされ、上を見上げれば恭子の桃源郷が見える。それを刺激に半勃ちしそうになるマイサン。
起き上がって、再び構えるが、立ち会う度にマユが化け物化してるかに見える。相変わらず気は感じない。
――どうして、マユの気を感じないんだ。こんなに殺気めいた動きなのに、
『それは、お前の気と相殺されてるからな――』
「え、なんだって。誰なんだ!」
呼んでも返事は無い。周囲を見てもそれらしい人物は見当たらない。
「試合中にキョロキョロするな!」と再び吹っ飛ばされる。今度は恭子も間に合わず、壁に激突してしまった。なんと恭子はパンツを見せていたのはおまけで、実は俺が壁に激突するのを防いでくれていたのだと今気付かされた。
それにしても、マユの馬力には驚かされた。いつもの二倍は優にあったからだ。これならば普通の試合にすればいいものを何故にこんな。もったいない。そんな気持ちでいっぱいだ。
『コラ、無視するな!』
モノが当たった感覚が無いのに、それに似た激痛が走った。
頭におぼろげに浮かび上がったイメージに、「君は誰だ?」と尋ねていた。
『君、君とは私に言ったのか?』
答えたその声は若い女だと認識した。そして、時間が止まったような感覚も覚えた。ちょうどVOBを使った時のようだが、今は装着していない。前御も黄泉もいない。霧子は二階にいるが止まっており、霧子ではないとわかった。
あなたは、誰なのですか?
女の影は、すぐには反応を示さなかったが、腕組みでもして、頭をかくような仕草をみせた。
『今度は、あなたか。まあ、良かろう。名乗ってやろう。
わたしは、木村千代。お前の婆ちゃんだ。健児!』




