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第十七章 マユの異変

 えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、


 えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、


 もひとつおまけに、えらいこっちゃ。


 本当にえらいことになってしまった。なぜゆえにか、俺はこれからマユと対戦することになったのだ。しかも、時間無制限でどちらかがへばるまでって、デスマッチじゃねーつーの。

 日頃の俺の態度が引き起こしたものなんだが、澪の落としは俺の体の回復には効果があったが予定より三日も戻る日が伸びちまって、周囲を誤魔化す嘘として俺が都会ではめ外していたという事になってしまっていたのだ。


 遅参もさることながら、バイクもなく、走っている俺によってきた朝比奈牧場の韋駄天に考えもなしに乗ってしまい。学校に直行しちまったのが運のツキ、たまたま柔道部の顧問で生活指導の中西の目に止まり、説教にあっちまった。

 その場は、これもたまたま弓道部の助っ人に出ていた澪のおかげで場が収まり、あれよあれよで遅れに遅れて、道場に着いたのは既に十時だった。


「貴様、何時間かかっとんだ!」


 道場に一礼して、ちわーすの『ち』を発するよりも先に、一撃が後頭部に入り、そのまま道場の玄関の板張りに頭を落とす形となった。予告無しに打ち首にあったようなものだ。いや本当に打ち首になった気がしたよ。

 新宿ではあれほど相手の殺気を感じていたのに、もといマユの気だってこれまでもきちんと感じていたんだ。わかった上でわざと受けていたのに、それが全くできなかったのだ。いったいどうしたというのだろうか。


「先輩、また総合部長にしばかれちゃいましたね。ま、友情あってこその愛のムチでしょうけど。

 でも、今日のはちょっと過激でしたよね。受け損なったんじゃ無いんですか」

 マネージャーの久谷恭子くたに きょうこが心配そうに声をかけて来た。恭子の爺ちゃんとうちの庄之助爺ちゃんは竹馬の友というやつで、こいつん家とも付き合いは長い。しかもコヤツは、三段も持っている癖に女子剣道部には所属せず、なぜだか男子剣道部のマネージャーをかって出ているのだ。

 うちの学校の部活はマネージャーも重要な部構成員である。マネージャーは誰もがなれはしない。なるには生徒会と部門長の審査があるのだ。学業も優秀なコヤツは当然一発合格者している。しかも、この俺を何かと熟しつつあるそのカラダで挑発してやがるのだ。

 澪の記憶が無かったのに、コヤツの色香に惑わされデキなかったのは、コヤツの爺ちゃんと父ちゃんが恐ろしいからに他ならない。俺を一人娘の婿にしようと怖い顔を緩めて、めちゃくちゃ優しくしてくれるのだ。中二の時にコイツの部屋に行ったら、家族で玄関先までお出迎えだったし、部屋に案内されりゃわざと和室の寝室に入れられるわ。

 確かにこいつはいいオンナだ。才色兼備で気立てもいい。年下だし彼女には持ってこいなのだ。正直に白状すると、中坊の時はコイツの水着写真で何度かヌいてしまったのだ。その時の気持ちよさと言ったら、秦恵かなえさんによるマイサンへの愛撫と変わらないほどだと言っても過言では無い。水着写真はどうやって入手したかだと、それはお友達程度の付き合いはあったんだよ。それも二人っきりで出かけたんじゃ無い。二バカプラスいろいろな金魚の糞たちも一緒だったんだ。


《センパイ、どうしたんですかじっと見つめて。アタシの顔に何かついてますか。それとも、良からぬ妄想ですかぁ。

 いけませんよ、彼女がいるのに。そういう事はキチンと彼女と別れてからにしてくださいね》


 いかん、妄想で声が聞こえている。コイツはキョトンとした顔で俺を見ているだけなのにな。

「いや、都会に行って調子が崩れただけさ」

 起き上がると同時に、偶然を装ってスカートをぴらっとめくってやる。

「もう、このえっち」という恭子。お次は竹刀をフェンシングの剣のように突いて来る。俺の感覚が鈍ってなければした余裕で避けられる筈だ。今までは多少かすっていたが、今日は全部避けてやる。

 本当に簡単だった。恭子の気の動きは手に取るように分かった。チカや美香さんの攻撃と比べれば止まっているようにしか見えない。コヤツは真っ直ぐ一辺倒でなく、下斜め、横斜め、上斜めの突きも繰り出してくるが、それさえも余裕でかわせている。俺は新宿の廃ビルの地下で死線をかいくぐったのだ。本当に殺す気の無い剣など恐るに足らん。

 だが侮るなかれ恭子は臨機応変なのだ。剣先が当たらないと見るや、今度は前進して剣道の剣さばきをしてきた。俺は玄関を下がり、二階の渡り廊下まで後退した。夏休みでなければ普段は生徒が歩いている場所だ。

 バカお前、段持ちが武具を持たぬ人を襲って良いのか、叫んでいる暇はないが、これだけの猛攻ならそろそろ力尽きるだろう。

 恭子は無駄をいつまでもしないやつだ。全く当てられないと悟ったようで、ようやく竹刀を下ろした。時間にすれば二分間程度であったろうが、よくもあそこまでの猛攻を出せたものである。俺の息は全く上がっていないが、恭子はかなりクタクタの様子だ。床にへたり込んだその顔は涙目になっていた。

「ウソ、今日、本気だったのに。本気でセンパイ倒すつもりだったのに。どうして、かわせるの」

 なぬ!

 コヤツ、俺を倒したかっただとおう。いつも倒そうと思って向かっていたのか。俺はてっきり、スキンシップだと思っていたのだが。イヤ待て、こいつの場合、倒したのにかこつけて保健室にでも連れ込みナニかをやりかねんゾ。一見、華奢に見えるが俺程度なら担いで運べるタマだしな。

 しまった!

 あまよくば隠微な時を過ごせるチャンスを自ら失ったのか。なんということだセーラー服の少女とのエロいい関係など滅多に来るイベントではないのだぞ。木村健児よ、お前はまたもオイシイ時を過ごし損ねたな。ああ、そうだよな全くだ。

 そうだよ、咲夜もだ。何があられもない姿で、部屋で寝てるだと。オカシイと思ったんだよ。実は現場付近にいやがってよ。救急車に乗ってる俺を見つけるなり、褒美をくれるのかと思えば、無防備な後頭部に手刀を叩き入れて気絶させやがって。

 今頃、思い出したぞ。こんなことなら、向き合った時に速攻であいつの両の乳でも揉みしだいておくんだったな。今度あったら速攻でやってやるぞ。


「ケンちゃん、何バカなこと考えてんの!」


 また、澪に見つかったか。と、気を探れば今度は背後にいない。かなり後方の渡り廊下の校舎側に立っていた。休み中ではあるが補修や吹奏楽部がパート練習するので部分的に校舎の戸は開いているのだ。

 袴姿の澪は、腕組みをして、眉間をひくひくさせながら仁王立ちである。さっきは助けられたが、流石に堪忍袋の緒が切れたという表情だ。

 俺が澪に眠らされたのも、俺の下心から出たサビではあるからな。いい加減しゃんとせんとな。コホン、ここはひとつ総合剣道部副部長&男子剣道部部長としてビシっと弓道部助っ人部員さんに言っておこう。

「これは剣道部のことですから、部外者の方はお引き取りくださいませ」

 俺がビシっと言う前に恭子は俺の前に立ちはだかり、ペコリとお辞儀をして、「さ、センパイ行きましょう」と俺の手を引いて道場へ連れて行く。ウキウキの恭子だが俺の気は重い。

 何故ならば、背後から悍ましい程の怒のオーラがメラメラ立つのを感じるからだ。このオーラのヌシは確認するまでもなく澪なのだ。俺は今の澪の顔を見るのが恐ろしくて振り返る事ができなかった。全くなんちゅうことしでかしてくれるのだこのムスメは。痛い目にあわされるのは俺なんだからな。


 道場に戻り道場に上がろうかとする寸前で、またもドスンと竹刀が後頭部の真芯に落ちてきた。またもなすすべもなく玄関の床に顔をこすりつけてしまった。


「アホ、神聖な道場に汚れた靴下のまま上がる奴があるか。そこの雑巾で床を拭いたら道着に着替えて道場に来い。五分以内に来い」


 なんだよ全く、ほんの二日遅れて、三時間来るのが遅れたぐらいで、何を怒ってんだか、アノ日か?

「いた!」

 突然に竹刀が飛んできた。流石に飛行物体は音がするので寸前で止められたが、それでも勢い余って額に当たった。

 しかし、いったいどうしたというのか。マユの気が全く読めない。見た目にも荒々しいのは分かるのだが、全く読めないのだ。だが、実力ではマユより格上の恭子の動きは手に取るように分かったのだ。俺がおかしいわけじゃない。マユが異常なのだ。


 そういえば、マユは淀みを体内に内在させている筈だった。それを黄泉こと十六夜咲夜いざよ さくやが澪と協力して一時的に沈静化したが、除霊というか除淀したわけじゃないんだよ。なのに、当の黄泉は出て行き、俺は転校させられる。その代わりかは知らないが、辰巳おじさんと紗希姉が東京都の飛び地へ転任し、増幅師の修行を終えた鈴葉も戻ってきた。兄貴は今なお生命維持装置に入ったままだ。俺は生活の場のみを新宿へ移すだけで、飛地も兼任という立場のようだがな。

 黄泉戻師の見習いという奴らも実際にはいるらしいのだが、俺とは面識無しってなんだよ。まあ、辰巳おじさんの直轄だから管理上はいいのだろうけどな。

 いったい何をしているのだ比良坂本家と国家公務員の特別組織の連中は。

 などと思いながらも俺は、胴着に着替え、竹刀を手に取った。

「センパイ、袴」

 おう、と恭子から袴を受け取り、素っ裸の下半身を覆う。うちでは、恭子が見てようと、見てまいと更衣室では堂々と素っ裸になる。そもそも、男子剣道部マネージャーとはいえ女子が更衣室に入って来るのが間違いなのだ。

「ヒドイ、木村センパイ。いつの間に剥いたんですか、誰に剥かれたんですか?」

 ズルっとコケる俺。そんなところシッカリ見るなよ。

「恭子、お前、今日初めて見たようなこと言うなよな。それに俺のムスコの頭は、中二の時からムキムキじゃ!」

「モノがモノだけに言い出せなかったのよ。センパイ、なかなか部活に来ないじゃない」

「部活で言うこっちゃ無いぞ、全く」

 恭子の悪い癖が暴走している。いったん噛みつくと、どんなにくだらないことでも言い負かすまで止めないんだ。コヤツは。よりによって、ナニの頭の包皮の被り具合につっかかるかよ。年頃の女の子が。この大声じゃ、女子剣道部員にまでまる聞こえだぞ。この分じゃ、マユのヤツ爆発しかねんぞ。


「それにねセンパイ、アタシたちまだ別れてませんからね。そうよ別れ話してないもの」

「恭子、お前、なんか勘違いしてるぞ。俺たち別に付き合ってねえだろうが」

「嘘よ、センパイが中一のクリスマスの時に『俺たち付き合おうか』って言ったじゃないですか。忘れたとは言わせませんよ。センパイからもらった本赤樫の木の木刀、今でも大事にしてるもの。毎日、千回は素振りしてるわ」

 なんか話が一部おかしいぞ。このままでは、最悪最低の男にされちまうぞ。早く、手を打たねば。


「おい恭子、俺たち、親が親友同士の家族づきあいの幼馴染だろ。

 部活の無い時の学校帰りに茶店やゲーセン寄ったり、部活の後は甘味屋でたい焼き食ったり、土日は遊園地や映画館、お台場にで出かけたり、夏休みは金魚の糞たちも連れて、キャンプや海水浴、縁日に行ったり、年末年始はお詣りと極普通の友達付き合いだろうが!」

「木村センパイ、それ普通にカノジョですよ。マジで。巷で言うラブラブのバカップルっすよ」と、朝比奈がむすりとした顔で俺を見ている。。

 なんということだ。あの純朴で素直な朝比奈までが、まるでクズを見るような冷たい視線をおくっているようだ。他の部員連中もだ。後輩と同学年からの信用ガタ落ちだぞ。

「ちょっと待てよ恭子、後で話し合おう」

「アタシの部屋に来てくれるのね」

「なんでいきなり逃げられない場所に招き入れるんだよ。お前の爺さんと父ちゃんじゃ俺、敵わねえよ」

「うふ、冗談だよ。冗談。部活終わったら、甘味屋でお話しましょ。早く、雌ゴリラやっつけて、終わらせてね」

 なんちゅうこと言うんだよ。今の聞こえなかったよなあ。

 俺はそ~っと、道場の入り口の影から道場を覗くと、マユが白袴姿で、防具を着けて仁王立ちになっている。女子たちは俺を見るなり、目線を合わせないようにして落ち着かない様子だ。

 まさか、世間的に俺と恭子がラブラブカップルだったとは迂闊だった。あの木刀は家にいっぱいあったからやった物だし、『俺たち付き合おうか』は『俺、お前の練習に付き合ってやるよ』だ。年始の剣道の試合の話だろうが。

 俺は年下の面倒は男女差なくやるんだよ。お前の水着写真でヌイたのはもちろんお前がいいオンナであることは認めよう。だがヌきたい時にたまたまお前の水着写真が目に止まったからだよ。俺という奴は想像力もたくましいから、女子空手界最強の男と言われた豪田ひろみの演舞写真でもヌける奴なんだよ。


 しょうがない。ここは言い訳するより、一発決めてぐうの音もつかせない雰囲気にさせて形成の逆転を図るしかねえ。

 俺は面を被り、開始線に立った。

「健児、貴様は最近、たるみすぎだ。稽古をつけてやる。これまでの勝敗では、七百五十三戦中、三百五十勝でお前の勝ちが勝が、今の腑抜けたお前など敵では無いわ」

 普段もボーイッシュな奴ではあるが、今日はやけに男臭い。なんというか剣豪のような佇まいである。確かに強そうに見える。強そうなのに、マユの気を全く読み取れない。これでは、竹刀の先や体さばきを目で追うしかない。目で追うとすれば、絶対に体制が追いつかない。普通の剣道の勝負なら二本取られて即負けだが、マユのこれは力尽きるまで打ち込みまくるというやつだ。通常じゃ負ける筈が無いが、今日のマユは何かが違う。

「それでは、始めます」と、女子剣道部の一年が掛け声をかける。開始線から蹲踞をして、立ち上がる。

「健児、貴様も知っておろうがこれは普通の試合じゃない。本数は加算するがどちらかが立てなくなるまでの勝負だ。ただし、勝ち負けによるペナルティも、アワードも無い。お互いが力を尽くすだけだ」

「いいだろう。勝負してやろう。負けても泣くなよ」

「キサマこそ。今日こそ打ちのめしてやる」


 確かにマユはどこかおかしい。気を消しながらも口調は冷淡で、落ち着いている。いつもなら血気盛んな筈がこれはいったいどうしたのか。考え込んでも仕方がない。やるしかあるまい。


 本番同様に主審と副審が定位置についた。マユの迫力のせいで、女子部員も緊張気味である。

 どうしたマユ、らしくないじゃないか。部員に恐怖を与える古いやり方には否定的だったお前の行動とは思えないぞ。

 だが、面の奥のマユの目は微動だすることなく、俺をただ見つめている。竹刀を構えてもその座った目は動かない。


「それでは、はじめ!」


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