5.金平糖は100万円
街で暮らしていくには、何が必要だろう。人の流れを避けて歩きながら、俺は考えた。
食べ物と水。それから、今夜眠れる場所。何より、この街のことを知らなさすぎる。
ポケットには銀貨が九枚ある。
それで何日暮らせるのかも分からないのだから、まずは値段を調べてみよう。
通り沿いの露店に、赤い果物が積まれていた。大きさも形も、リンゴによく似ている。
「すみません。これ、一ついくらですか?」
「銅貨二枚だよ」
店先に座っていたおばあさんが、籠を指さした。
「一つください。銀貨でも大丈夫ですか?」
「ああ、構わないよ」
銀貨を渡すと、おばあさんは果物と一緒に、二種類の硬貨を差し出した。
「大銅貨が九枚と、銅貨が八枚ね」
大きい銅貨と、小さい銅貨。俺は手のひらに載せた硬貨を見比べた。
「大銅貨一枚が、銅貨十枚ですか?」
「そうだよ。大銅貨十枚で銀貨一枚さ」
この果物が、日本のリンゴなら一個二百円くらいだとすると、銅貨一枚が百円くらいか。
大銅貨はその十倍で千円、銀貨はさらに十倍だから、一万円。
もちろん、果物一つの値段で決めつけるのは早い。それでも、ひとまずの目安にはなりそうだ。
……待てよ。
さっき通行料として払った銀貨一枚が、一万円?
ギルドカードがあれば、大銅貨一枚。千円くらいで済んだ計算になる。
そして、あの男がボトルに払った銀貨十枚は、十万円だ。
俺は釣り銭をしまいながら、ポケットの銀貨を確かめた。
なくさないようにしないと。
籠に並ぶ果物へ、もう一度目を向けた。
商品を並べる布と、値段を書いた板。おばあさんの脇には、釣り銭を入れる小さな箱がある。
「この街で物を売りたいんですけど、何から始めればいいんでしょうか?」
おばあさんが顔を上げた。
「あんた、商売をしに来たのかい?」
「まだ、何を売るかも決まってないんですけど。まずは、この辺のことを知りたくて」
「それなら、商業ギルドへ行ってみな。登録しておけば、商売の相談にも乗ってくれるよ」
ギルド。
門で聞いたカードのことも、そこで貰えるのだろうか。
「どこにあるんですか?」
「この通りをまっすぐ行って、広場を右。秤の絵が描いてある看板が目印さ」
「ありがとうございます。行ってみます」
果物を手に、教わった方向へ歩き出した。
少しかじると、硬い果肉から酸味のある汁が出た。リンゴに似ているが、少し渋い。
通りの先には、宿の看板が見えた。商業ギルドへ行く前に、今夜泊まる場所の値段も知っておきたい。
入り口から中をのぞくと、カウンターの奥に男が座っていた。
「あの、一泊いくらですか?」
「一人か? 一部屋、大銅貨五枚だ。夕飯と朝飯がつく」
「泊まるだけなら?」
「四枚だな」
朝夕の食事がついて、一泊五千円くらいか。今の金でも、しばらくは泊まれる。
そう分かって、少し肩の力が抜けた。
「ありがとうございます。少し考えてから、また来ます」
宿の場所を覚えて、通りへ戻った。食べ物も宿も、一軒だけでは相場かどうか分からない。ほかも見ておいたほうがよさそうだ。
やがて、噴水のある広場に出た。教わったとおり右へ曲がると、通り沿いに大きな建物が見えた。
入り口の上には、秤の絵が描かれた看板。その横の文字も、はっきりと意味が分かった。
商業ギルド。
「ここか」
扉を押すと、広い部屋に机と椅子が並んでいた。奥には受付らしいカウンターがあり、帳面を挟んで話をしている人たちがいる。
「おう。さっきの」
聞き覚えのある声に振り向いた。壁際の机から、あの男が手を上げている。
「水筒、助かってるよ」
机には、俺が売ったペットボトルが置かれていた。
「こちらこそ。おかげで通行料を払えました」
「そうか。まあ、座れよ」
向かいの椅子に腰を下ろしかけて、まだ名前も知らないことに気づいた。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。俺は……」
久太、と言いかけて止まる。こちらでは、少し呼びにくい名前かもしれない。
久太の、キュウ....ナイン
「ナインです」
「俺はアデル。あちこち回って商売をしてる」
アデルは足元の布袋を軽くたたいた。
「今回は、砂糖を売りに来たんだ」
「砂糖ですか」
「ああ。ちょうど、ここの買い手と話がまとまったところでな」
砂糖、と聞いて、ある菓子が頭に浮かんだ。コンビニでは目立つ場所に置かれていなかったけれど、たまに買っていく客がいた。
「アデルさん、甘いものは好きですか?」
「好きだが、どうした?」
「さっきのお礼に、食べてもらいたいものがあるんです」
「ほう。何だ?」
俺は膝の上へ両手を差し出し、発注端末を呼び出した。アデルは、こちらの顔を見たままだった。
目の前にこんな大きなものが現れたのに、視線すら動かさない。
「……どうかしたか?」
「いえ、ちょっと待ってください」
もしかして、これ、俺にしか見えていないのか。片方の腕で端末を支え、菓子の分類を開く。
小さな袋入りの金平糖を見つけ、数量を一にして発注を確定した。
端末をしまうと、机の上に光が集まった。現れた袋を見て、今度はアデルが目を見開いた。
「お前、空間魔法が使えるのか?」
「空間魔法、ですか?」
「品物をしまっておいて、好きなときに取り出せる空間魔法のアイテムボックスだよ。今も、そこから出したんだろう?」
俺は机の上の袋に目を落とした。アデルには、しまっておいたものを取り出したように見えるらしい。
「旅の商人には、喉から手が出るほど覚えたい魔法だぞ。荷車もいらんし、荷物を背負って歩くこともない」
アデルは、足元の大きな布袋を見た。
「俺に覚えられれば、もっといろいろ運べるんだがなあ」
うらやましそうな声だった。
俺の発注端末は、手持ちの荷物を何でもしまえるわけではない。けれど、商品を持ち歩かずに済む便利さは、確かにある。
「便利で、助かってます」
そう答えて、金平糖の袋を開けた。白や薄桃色の、小さな粒が見える。
そういえば、金平糖は戦国時代にポルトガルから伝わった南蛮菓子だったはずだ。
宣教師のルイス・フロイスが、織田信長に献上したという話を、何かで読んだことがある。
名前も、砂糖菓子を意味する「コンフェイト」から来ているらしい。
昔は海を渡ってきた菓子が、今は俺と一緒に世界を渡っている。そう考えると、手の中の小さな粒が、少し違って見えた。
「これ、砂糖でできた菓子なんです。金平糖といいます」
自分の手に一粒出し、続いてアデルの差し出した手にも落とした。
「どうぞ」
「妙な形だな。花みたいだ」
アデルが一粒つまみ、口へ運んだ。俺も白い一粒を舌に載せる。
ゆっくり溶ける、懐かしい甘さだった。
「……これが、砂糖菓子か?」
アデルは口を動かすのをやめ、手元の袋を見つめていた。
「何か、変でしたか?」
「いや。雑味がない。こんなにすっきりした甘さのものは、初めて食べた」
もう一度、袋の中をのぞき込む。
「この色も形も、一つずつ作ってあるんだな」
「そうですね。作り方までは詳しくないですけど」
「ナイン。残りを、俺に売ってくれないか」
「お礼なので、よければそのまま……」
「味見はありがたくいただいた。だが、これは商品として買いたい」
アデルは腰の袋から、金色の硬貨を取り出した。
「金貨一枚でどうだ?」
俺は、机に置かれた硬貨を見た。
「ちなみに、金貨一枚って、銀貨だと何枚ですか?」
「百枚だ。間に大銀貨があってな。銀貨十枚で大銀貨一枚、大銀貨十枚で金貨一枚になる」
銀貨、百枚。
さっきの果物から考えると、銀貨一枚が一万円くらい。その百倍ということは――。
「ひゃ、百万円……?」
「何だって?」
「あ、いえ。何でもないです」
俺は、袋に残った金平糖を見直した。コンビニの棚に並んでいた、小さな砂糖菓子。それが、この世界では百万円相当になるのか。
いや、果物の値段から勝手に当てはめただけだ。それでも、朝夕の食事がつく宿に二百泊できる額なのは間違いない。
「……この一袋に、ですか?」
「ああ」
「そんなに払って、大丈夫なんですか?」
アデルは袋の中から一粒つまみ、光にかざした。
「俺は砂糖を扱ってる。この雑味のなさが、どれだけ珍しいかは分かるつもりだ」
小さな突起を、指先でゆっくりと回して眺める。
「この品質で、色や形まで揃っている。見せたい相手がいるんだ。もっとも、何袋も買うとなれば別の話だぞ。今回は、この菓子を確かめるための値段だと思ってくれ」
金平糖を信長に献上したという話が、頭をよぎった。
俺には見慣れた菓子でも、アデルには、それだけの金を払ってでも手に入れたい品らしい。
「分かりました。それなら、お願いします」
袋を渡すと、代わりに金貨を差し出された。俺は両手で受け取った。
「あの、この商業ギルドでは、何ができるんですか?」
アデルは金平糖の袋をしまい、背もたれに身体を預けた。
「商人の登録、取引の仲介、品物の買い取り。物件を探したり、金を預けたりもできる」
「露店のおばあさんに、登録するといいって教えてもらったんです」
「ああ。商売を続けるつもりなら、そのほうがいい。ギルドカードがあれば、身元も示せるからな」
「門で見せていたのは、それですか?」
「そうだ。通行料も安くなる。俺みたいに、しょっちゅう街を出入りする商人にはありがたい」
非会員なら銀貨一枚。カードがあれば大銅貨一枚。何度も行き来すれば、ずいぶん違いそうだ。
「知らない街に来たばかりでも、登録できます?」
「できるさ。最初から店を持ってる必要はない」
「登録料は、いくらですか?」
「銀貨一枚だ。詳しいことは、受付で聞こう」
アデルが立ち上がり、俺も後に続いた。受付では、商売の経験と、扱う予定の商品を尋ねられた。
店で働いていたこと、食品や日用品を売りたいことを伝えると、職員はうなずいた。
「では、登録の前に、当ギルドについてご説明しますね」
職員はカウンターに、見本のカードを置いた。
「商業ギルドでは、商品の買い取り、代金の預かり、店舗や倉庫などの物件紹介を行っています」
「商品は、ここで買ってもらえるんですか?」
「はい。品物の状態と需要を確認し、査定額にご納得いただければ。買い取れない品もありますので、まずは窓口へお持ちください」
それなら、何が売れるのか相談するところから始められそうだ。
「預けたお金は、ここでしか引き出せないんですか?」
「ほかの街の商業ギルドでも引き出せます。その際は、ギルドカードをご提示ください」
職員が見本のカードを指で示した。
「カードには、ご本人の情報と預かり金、商取引の実績などが記録されます。登録後は、商売の際に必ず携帯してください」
「取引のたびに、何か書くんですか?」
「通常の売買でしたら、お持ちいただくだけで記録されます。商品の引き渡しと代金の受け渡しを、カードが読み取る仕組みです」
俺はカードを見つめた。門の水晶にも驚いたが、こんな薄いカードが、売った商品や受け取った金まで記録するのか。
帳面をつける手間は減りそうだけど、うっかり税金を払い忘れたら、すぐに分かってしまいそうだ。
「ご自身でも記録を残しておかれると安心です。記録に間違いがあると思われた際は、ご相談ください」
職員は説明用の紙を一枚、こちらへ向けた。
「また、商売で得た売上には、実績に応じた税がかかります。カードの記録をもとに計算し、定められた期日までに納めていただきます」
「売った代金を、全部使ってしまわないほうがいいですね」
「ええ。納税分は分けておかれることをお勧めします」
俺は紙に目を落とした。
仕入れて売れば終わり、というわけではない。知らずに始める前に聞けてよかった。
「それから、会員には商業ランクがございます。下からブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナです」
「たくさん売ると、上がるんですか?」
「販売実績に加え、保有資産や取引の継続性、納税状況などを審査します。初めて登録される方は、ブロンズからとなります」
金平糖の代金に、金貨一枚。俺には大きな取引だったが、それだけで商人として信用されるわけではないらしい。
「一番上のプラチナは、どんな人たちなんですか?」
「複数の国に拠点を持ち、大勢の従業員を抱える大商会などですね。国をまたいで、大きな取引を任される規模です」
今のところ、店の場所さえ決まっていない俺には、遠い話だった。
「日々の商売に必要な相談は、ブロンズの方でも承ります。ギルドカードによる、この街の通行料の割引も受けられますよ」
「それは助かります」
説明を聞き終え、登録用紙に向き直った。名前と、扱う予定の商品を書く欄がある。
ナイン。
そう書いたつもりの文字は、見たことのない形になっていた。
それでも、自分の名だと読める。不思議な感覚だった。
登録料の銀貨一枚を払って待つと、職員が一枚のカードを差し出した。
名前と番号、その下にブロンズの文字が入っている。
「こちらが、ナイン様のギルドカードです。紛失された際は、すぐにお届けください」
「ありがとうございます」
受け取ったカードは、手のひらに収まる大きさだった。次に街へ入るときは、これを見せればいいらしい。
「無事に済んだな、ナイン」
「はい。いろいろ教えていただいて、ありがとうございます」
「また商売の話があったら、声をかけてくれ」
俺はうなずき、ギルドカードをしまった。所持金は、金貨一枚、銀貨七枚、大銅貨九枚、銅貨八枚。
税金の分は、使わずに残しておこう。
外へ出ると、通りのにぎわいが聞こえてきた。今夜の宿を決めたら、明日はもう少し、この街の店を見て回ろう。
何が売られていて、どんな人が買っていくのか。まずは、自分の目で確かめてみたい。
さっき値段を聞いた宿へ戻ろう。来た道を思い返し、俺は通りへ足を踏み出した。




