6.コケコッコーのお肉は美味しかった
「先ほど、部屋の値段を聞いた者なんですけど」
宿の入り口から声をかけると、カウンターの奥にいた店主が顔を上げた。
「ああ。泊まっていくか?」
「はい。夕飯と朝飯がつくほうでお願いします」
「一泊、大銅貨五枚だ」
ポケットから大銅貨を五枚取り出し、カウンターに並べる。
店主は枚数を確かめると、背後の棚から鍵を取った。
「二階の突き当たりだ。鍵は、なくさないでくれよ」
「分かりました」
「夕飯は、すぐに食べるか?」
「そうします。お願いします」
果物を一つ食べただけで、腹はすっかり減っていた。
こちらへ来る前は、夕飯にゴーヤチャンプルーを作ろうと思っていたんだった。
ずいぶん前のことのような気がする。
「好きな席に座ってくれ。すぐ持っていく」
店主に促され、カウンターの横を通って食堂へ入った。
四人掛けの机がいくつか並び、壁際の席には、もう食事をしている客がいた。
俺は空いていた二人掛けの席に座る。
厨房のほうから、何かを焼く音が聞こえた。
香ばしい匂いが漂ってきて、余計に腹が減る。
ほどなくして、店主が盆を運んできた。
「お待たせ」
目の前に、深めの器と平たい皿が置かれた。
籠には、丸いパンが二つ入っている。
器の中は、赤みのあるスープだった。
透き通った玉ねぎのようなものと、細かく刻まれたトマトらしいものが浮かんでいる。
そして、平たい皿には大きな肉が一枚。
こんがりと焼けた皮に、肉汁が光っていた。
見た目は、チキンステーキだ。
「足りないものがあったら、声をかけてくれ」
「ありがとうございます」
店主が厨房へ戻るのを見送り、俺はスプーンを手に取った。
「いただきます」
まずは、スープを一口。
熱い。
けれど、そのあとに野菜の甘さと、ほどよい酸味が広がった。
もう一口すくう。
玉ねぎに似た野菜は柔らかく煮えていて、舌で押すだけで崩れた。
もっと食べ慣れない味がするのかと思っていた。
名前の分からない香りは少しあるが、嫌な感じはしない。
むしろ、うまい。
パンを手で割ろうとして、少し力を込めた。
表面が硬く、中も日本で食べていたパンより詰まっている。
かじると、しっかりした歯応えがあった。
噛むほどに穀物の香りがして、これはこれで悪くない。
試しにスープへ浸してみる。
汁を吸ったところが柔らかくなり、食べやすくなった。
俺はパンを飲み込んでから、皿の肉へ目を向けた。
ナイフを入れると、焼けた皮が小さく音を立てた。
切り分けた身から、肉汁がにじむ。
一口、口へ運んだ。
「……うまっ」
思わず声が出た。
皮は香ばしく、身にはほどよい弾力がある。
噛むと、肉の味がじわっと広がった。
ソースをたっぷりかけているわけではない。
塩気と、かすかな香草の匂い。その奥に、肉そのもののうまみがある。
もう一切れ、今度はゆっくり噛んだ。
鶏肉に似ている。
似ているけれど、いつも食べていたものより、味が濃い気がした。
冷めないうちに次を切ろうとして、ふと手を止める。
これ、本当に鶏肉なんだろうか。
見た目だけで、勝手にそう思っていた。
考えてみれば、さっき買った果物だって、リンゴに似ていただけだ。
厨房から出てきた店主に、俺は声をかけた。
「あの、すみません」
「どうした?」
「この肉って、何の肉ですか?」
店主は俺の皿を見てから、こちらに視線を戻した。
「コケコッコーだよ」
俺は、ナイフを持ったまま固まった。
コケコッコー。
頭の中で、朝を知らせる鳴き声が響いた。
「……コケコッコー、ですか」
「何だ。食べたことないのか?」
店主が、不思議そうに首をかしげた。
「あ、いえ。食べたことはあります。あまりにおいしかったので、何か違う肉なのかと思って」
口にしてから、少し苦しい言い訳だったかもしれないと思った。
だが、店主は気にした様子もなく笑った。
「そいつはよかった。皮をしっかり焼くとうまいんだ」
「本当に、おいしいです」
「腹を減らして来てくれれば、作るほうも助かるよ」
店主は空いた卓の皿を重ね、厨房へ戻っていった。
俺は、改めて肉を見た。
この世界では、あの鳴き声が名前になっているんだろうか。
それとも、日本の鶏とは違う生き物なのか。
少なくとも、うまいことは確かだ。
残りの肉を切り分け、パンと交互に食べた。
最後は皿に残った肉汁までパンにつけて、きれいに平らげた。
スープの器を置くころには、腹の底から落ち着いていた。
「ごちそうさまでした」
こんなふうに、座って温かいものを食べる。
それだけで、随分と気持ちが違う。
*
二階の突き当たりの部屋で、鍵を回した。
中には、ベッドと小さな机、それに椅子が一脚あった。
窓辺へ寄ると、通りを行き交う人たちが見える。
扉を閉めて鍵をかけ、靴を脱いだ。
ベッドに腰を下ろすと、ようやく足の疲れに気づいた。
「……結構、歩いたな」
足首を回しながら、部屋を見回す。
コンビニからアパートへ帰るはずだった。
それが今は、知らない街の宿屋にいる。
小椋さんと会って、神様と話して、草原を歩いて。
ペットボトルを売り、金平糖を売り、商業ギルドにまで登録した。
俺はポケットからギルドカードを取り出した。
刻まれたナインという名前を、指でなぞる。
勢いで名乗った名前だけれど、もうアデルにも、ギルドの職員にもそう呼ばれた。
カードをしまい、両手を差し出した。
発注端末を呼び出して、画面の隅を見る。
バッテリーの印は、満タンのままに見えた。
水も金平糖も、本当に出てきた。
食べ物や飲み物に困ったとき、頼れるものがあるのは心強い。
けれど、今日食べた夕飯は、端末から出したものではなかった。
あの肉は、うまかったな。
皮は香ばしくて、身にはしっかりとうまみがあった。
鶏肉だと思って食べたせいか、今度は別の味まで思い出してしまった。
レジ横で売っていた〇チキを思い出した。
揚げた衣の香ばしさと、かじるとあふれる肉汁。休憩中によく食べていた、好きな味だ。
俺は身体を起こし、両手を差し出した。
発注端末を呼び出して、食品の一覧を探す。
「あった」
見覚えのある商品名に、指を止めた。
〇チキ。その横には、冷凍の文字。
「……やっぱり、揚げないと食べられないかぁ」
分かってはいたけれど、少し期待してしまった。
今すぐ食べられるものが出てきてくれれば、と思ったのだ。
いや、揚げたての〇チキまで呼び出せたら、さすがに意味が分からないな。
何もないところから冷凍食品を出せる時点で、十分おかしい気もするけれど。
俺は発注せずに、端末をしまった。ベットに横になって、天井の板目を眺めながら、ゆっくり息を吐く。
ここでも、暮らしていけそうだ。分からないことは、まだ山ほどある。
それでも、聞けば教えてくれる人がいた。飯を食べる場所も、今夜眠る場所も、自分で見つけられた。
明日は、もう少し街を歩いてみよう。何が売られているのか。
どんな人が、どんなものを買っていくのか。
この街の人たちは、何があったら便利だと思うんだろう。
発注できる商品を並べるだけなら、すぐにでもできるかもしれない。
でも、それだけで、小椋さんの店のようになるわけではない。
仕事帰りに寄る人。
昼飯を買いに来る人。
いつも同じ飲み物を一本だけ買っていく人。
店に来ていた客の顔を、順に思い出した。
この街にも、毎日の用事の途中で、ふらっと寄れる店があったら。
必要なものが見つかって、ついでに少し話をして帰れる場所があったら。
俺は身体を起こし、机の上にギルドカードを置いた。
まずは街を見て、それからギルドで、店を始めるために必要なことを聞こう。
魔法についても調べたい。
明日、何をするかが少しずつ決まっていく。
神様には、ずっと先で構わないと言われた。
それでも、便利な店を作るために、今からできることはありそうだ。
窓の外から、誰かの笑い声が聞こえた。俺はもう一度横になり、目を閉じた。
明日は今日より、この街のことを知ろう。




