4.第一異世界人はペットボトルに興味あり
半分ほど水の残ったペットボトルを片手に、土の道を歩き続けた。
ときどき水を飲んで、また歩く。道の脇に生えている草も、吹いてくる風も、今のところは地球とそう変わらない。
どこか違うものがないかと辺りを眺めているうちに、前方に灰色の壁が見えてきた。
「あれか」
近づくにつれて、壁は思っていたよりも高くなった。
五メートルくらいはあるだろうか。大きな石を積んだ壁が、道の左右へ長く続いている。
その中央に、門があった。
ようやく人の姿が見えたと思ったら、一人や二人ではなかった。
荷物を背負った人や、荷車を引いた人。その列が、門から道に沿って長く延びている。
検問でもしてるんだろうか。俺は最後尾に並んだ。
前にいたのは、肩から大きな布袋を提げた男だった。
「あの、すみません」
声をかけると、男が振り向いた。
「何かあったんですか?」
男は門のほうを見てから、少し声を落とした。
「最近、街で違法な薬が出回ってるらしくてな。門番が、怪しいやつが入ってこないか調べてるんだよ」
「それで、こんなに並んでるんですね」
「ああ。普段は、もう少し早いんだが」
ちゃんと会話ができた。
神様に説明されてはいたけれど、初めて会う相手と言葉が通じると、やはり安心した。
男の言葉も、自分が話す言葉も、特に意識することなく意味が分かる。
ただ、聞いた内容はあまり安心できるものではなかった。
異世界に着いて、最初に聞いた街の話が違法な薬とは。
俺がボトルを持ち替えると、男の視線が手元に止まった。
「それ、水か?」
「ええ。飲み水です」
「悪いが、少し分けてもらえないか。こんなに待つと思わなくてな。持ってきた分を飲みきっちまった」
「もちろん。どうぞ」
男は布袋から、小さな金属のコップを取り出した。
「これに少し注いでくれるか?」
「はい」
キャップを外し、差し出されたコップに水を注ぐ。
半分ほど入れたところで、男がうなずいた。
「ああ、それで十分だ。ありがとう」
男は水を飲み、満足そうに息をついた。
俺はボトルのキャップを閉めた。底のほうには、まだ水が残っている。
「ところで、その水筒は何でできてるんだ?」
男が、俺の手元を指さした。
「これですか? ペットボトルですけど」
「ぺっと……?」
聞き慣れないらしく、男が眉を寄せる。
「軽くて、中が見える。ガラスじゃないんだよな?」
「はい。落としたくらいじゃ、そう簡単には割れないですよ」
「ちょっと見せてもらってもいいか?」
コップをしまった男に、ボトルを渡した。
男は受け取ると、持ち上げるようにして重さを確かめた。
「ずいぶん軽いな」
指で側面を押すと、ぺこりとへこんだ。
男は驚いた顔で指を離し、元に戻ったところをもう一度押した。
今度はキャップに目を留め、ゆっくりと回す。
外して、口の部分を眺めてから、また閉めた。
「よくできてるな。これで水は漏れないのか?」
「ちゃんと閉めれば、大丈夫です」
男はボトルを傾けた。
中に残った水が動くのを、透かすように眺めている。
地球なら、飲み終えたら分別して捨てるものだ。
それを、こんなに熱心に見られるとは思わなかった。
「なあ、これを売ってくれないか」
「これを、ですか?」
「ああ。銀貨十枚でどうだ?」
銀貨、十枚。
多いのか、少ないのか。
パンがいくつ買えるのかすら、俺には分からなかった。
ただ、使いかけのペットボトルに値段がつくとは思っていなかった。
水はまた発注できるし、こちらの金も、今は一枚も持っていない。
「俺が使っていたものですけど、いいんですか?」
「構わん。気に入ったんだ」
「それなら、どうぞ」
男の顔がほころんだ。
「ありがたい。ちょっと待ってくれ」
腰の袋から取り出した銀色の硬貨を、男は一枚ずつ数えた。
差し出された手から、俺の手のひらへ、十枚の銀貨が移る。
思ったより、ずっしりしていた。
「確かに、十枚です。ありがとうございます」
俺は硬貨を確かめてから、ポケットにしまった。
男もボトルを大事そうに布袋へ入れた。
「こっちこそ、いいものを譲ってもらった」
ずいぶん喜んでもらえたらしい。
中身の水より、容器のほうに価値がある。
こちらで必要とされるものは、俺が思うものと違うのかもしれない。
列が動き、俺たちは少しずつ門へ近づいた。
門の両脇には、長い槍を持った門番が立っている。
道の端には小さな机が置かれ、街に入る人たちは、その前で足を止めていた。
一人ずつ机に近づき、何かに手を触れている。
そのたびに、白い光がちらりと見えた。
机の上にあるのは、透明な石のようだった。
両手で包めそうな大きさで、下には台座がある。
あれも、魔法の道具なんだろうか。
前の男の順番が来た。
男は慣れた様子で石に手を置いた。白く光ると、門番がうなずく。
続いて、男は懐から一枚のカードを取り出した。
門番に見せてから硬貨を渡すと、道を空けてもらっている。
「じゃあな。水も助かったよ」
男が振り向いて片手を上げた。
「こちらこそ、ありがとうございました」
男は布袋を肩に掛け直し、門をくぐっていった。
「次の方」
呼ばれて、俺は机の前に進んだ。
近くで見ると、石の中には細かな筋がいくつも走っていた。
向こう側が透けているのに、見る角度によって、奥のほうが淡く光って見える。
「こちらの水晶に、手を置いてください」
「あ、はい」
水晶の上で、右手を止める。
俺の中には、千年分の魔力があるらしい。
それがこういう道具に影響したりはしないんだろうか。
壊れたりしたら、どう説明すればいいんだ。
「軽く触れるだけで結構ですよ」
ためらっている俺を見て、門番が付け加えた。
「分かりました」
恐る恐る、水晶の上に手を置いた。
ひんやりとした感触が、手のひらに伝わる。
その直後、水晶の内側に白い光がともった。
「はい、結構です」
門番は落ち着いたままだった。
水晶から手を離すと、光はゆっくりと消えた。
ほかの人と同じ、白い光だ。
通っていいということだろうか。
「あの、これで何が分かるんですか?」
「街で悪事を働こうとしている者は、赤く光ります」
門番は水晶に目を向けた。
「最近、違法な薬が持ち込まれていましてね。確認にご協力いただいています」
「赤く光ったら、入れないんですか?」
「事情を聞いて、荷物も詳しく調べます。白なら、この確認は終わりです」
「なるほど。ありがとうございます」
触るだけで分かるなんて、ずいぶん便利な道具だ。
「では、ギルドカードをご提示ください」
「ギルドカード、ですか?」
門番が、俺の顔を見た。
「お持ちではありませんか?」
「はい。まだ、持っていないです」
「承知しました。通行料は、ギルドカードをお持ちの方が大銅貨一枚、お持ちでない方は銀貨一枚になります」
街に入るにも金がいるのか。
しかも、カードがあるかどうかで値段が違うらしい。
俺はポケットから銀貨を一枚取り出し、机に置いた。
門番は硬貨を確かめ、小さな箱へ入れる。
「はい。どうぞ、お通りください」
礼を言って、机から離れた。
ペットボトルを売っていなかったら、ここで立ち往生していたかもしれない。
門の向こうへ消えた男に、もう一度礼を言いたくなった。
それにしても、街に入るのに銀貨一枚。
あの男は、その十回分をボトルに払ったことになる。
高い買い物だったのかどうかは、まだ分からない。
けれど、俺には見慣れたあの容器を、男がずいぶん気に入っていたことは確かだった。
門の内側へ一歩入ると、壁の陰で空気がひんやりした。
厚い壁を抜けた先から、人の声が聞こえてくる。
呼び込みらしい大きな声。
車輪が石の上を転がる音。
どこかで、金属を打ち合わせるような音もする。
門を抜けると、道の両側に建物が並んでいた。
軒先には布の日よけが張られ、その下で人が商品を並べている。
籠に積まれた野菜。吊るされた衣服。店先で足を止め、何かを言い合う客と店主。
俺は邪魔にならないよう、道の端に寄った。
「……着いた」
ポケットに手を添える。残っているのは、銀貨九枚。
まずは、これで何が買えるのか。店先に並ぶ商品を眺めながら、俺は人の流れに足を踏み出した。




