3.神様登場...そして異世界へ
「発注端末の形を思い浮かべて、電源を入れるところを想像してごらん。それで呼び出せるよ」
答えたのは、小椋さんではなかった。
振り向くと、レジの前に見知らぬ男が立っていた。灰色の長髪に、くたくたの白いシャツ。いつからいたのか、入店を知らせる音も聞こえなかった。
「こちらが、地球の神様だよ」
小椋さんに紹介され、俺は慌てて椅子から立ち上がった。
「烏川久太です」
「うん。今回は、本当にすまなかった」
神様が頭を下げた。
小椋さんに続いて神様にまで謝られると、どうしたらいいのか分からない。
「いえ、その……これからのこと、教えてもらえますか」
俺も頭を下げてから、自分の手を見た。
「あの、もう呼び出せるんですか?」
「ああ。試してみてくれ」
いつも使っていた発注端末を思い浮かべる。
十三インチほどの大きな画面。画面の下に並んだボタン。側面にある電源を押すところまで想像し、両手を差し出した。
両手に、ずしりと重みがかかった。
「おお……」
手の中には、見慣れた発注端末があった。
持ち直して画面をのぞく。大きさも、重さも、いつもの端末と変わらない。
「本当に出た……」
片方の手と腕で裏側を支え、空いたほうの指で画面に触れてみる。
「使わないときは、しまうところを思い浮かべればいい。また必要になったら、今と同じように呼び出せる」
試しにそうしてみると、端末は両手から消えた。
もう一度、両手を差し出して電源を入れるところを想像する。すぐに同じ重みが戻ってきた。
食品、飲料、日用品。
表示された分類を押すと、商品名と写真が並んだ。
「そこから商品と数量を選び、発注を確定すれば、君の魔力を使って商品が再現される。一度に頼める量を超えたときは、画面に表示が出るよ」
見慣れた水やお茶が並ぶ画面の隅に、満タンのバッテリーの印があった。
「これ、充電は必要なんですか?」
「その表示は、君の魔力の残量なんだ。商品を注文すれば減るし、休んで回復すれば増える」
「じゃあ、使いすぎてないか、ここを見ればいいんですね」
「そういうことだ」
俺はうなずいて、画面から顔を上げた。
商品が本当に出てくるところも見たかったけれど、その前に確かめたいことがあった。
「向こうの言葉は、どうしたらいいですか?」
「会話も読み書きも、不自由しないようにしておくよ」
「文字も読めるんですか?」
「ああ。看板も、商品の値札も、君に意味が分かるようになる」
それなら、人に道を聞くこともできる。
知らない場所へ行くにしても、話が通じるのはありがたかった。
「それから、店のことだけどね」
神様は、俺が両手で抱えている端末を見た。
「ここのような店を作るのは、ずっと先で構わないよ。まずは向こうの暮らしに慣れて、いろいろな場所を見てほしい」
「すぐに始めなくてもいいんですか?」
「もちろん。向こうの神も、君を急がせるつもりはない。とりあえずは、異世界での生活を楽しんでくれ」
俺は小椋さんを見た。
小椋さんも、うなずいていた。
「久太くんの好きなように、やってみればいいんだよ」
向こうのことは、まだ何も知らない。
どんな人がいて、何を食べて、どんな暮らしをしているのか。それを見てから考えていいのなら、俺にもできるかもしれない。
「分かりました。それなら、ぜひやらせてください」
口にすると、少しだけ楽しみになった。
「まずは向こうで暮らしてみます。それで、何を売ったら喜んでもらえるか、考えてみたいです」
「うん。それでいい」
神様が笑った。
俺は端末をしまって、顔を上げた。
「向こうに着いたら、近くに街はありますか?」
「道の上に出るようにするよ。降り立ったときに向いている方向へ進めば、街に着く」
「分かりました」
神様が、店の出入り口へ手を向けた。
ガラスの向こうが白くかすみ、外の景色が見えなくなる。
「準備ができたら、あそこを通ってくれ。君が渡ると、通路は閉じる」
俺は空いた手を握った。
いよいよ、行くのか。
「久太くん」
小椋さんが隣に立った。
「向こうでも、無理はしすぎないようにね」
「はい。オーナーも」
ほかにも何か言いたかった。
けれど、何を言っても、まだ足りない気がした。
「今まで、ありがとうございました」
小椋さんは一度口を結んでから、いつものように笑った。
「こちらこそ。助けてもらったよ」
俺は頭を下げ、出入り口に向かった。
自動ドアが開く。
一度だけ振り返ると、小椋さんが手を上げた。
「いってらっしゃい」
「……いってきます」
白い光の中へ、足を踏み出した。
靴の下で、乾いた土が鳴った。
顔を上げると、地平線まで続く土の道があった。
左右には草が生い茂り、風が吹くたび、波のように揺れている。
建物も、電柱もない。遠くまで見渡せるのに、人影は一つもなかった。
振り返っても、同じように道が続いているだけだった。
さっきまでいた店も、小椋さんの姿も、どこにもない。
「……来ちゃったな」
風に揺れる草の音が、やけに大きく聞こえた。
俺は前を向き直った。
こっちへ進めば、街に着く。
まずは歩いてみよう。
俺は土の道に、一歩を踏み出した。
しばらく歩くと、額に汗がにじんできた。
道は相変わらず、ずっと先まで続いている。
「街って、どのくらい先なんだろう」
距離も聞いておけばよかった。
歩きやすい靴だったのは助かったけれど、日差しを遮るものがない。
乾いた唇をなめて、足を止めた。
水が飲みたい。そう思ったところで、発注端末のことを思い出した。
飲み物も頼めるんだった。
道の端に寄り、両手を差し出す。
端末の形と、電源を入れるところを想像すると、両手に重みが戻ってきた。
「よし」
片方の腕で端末を支え、画面から飲料を選ぶ。
コーヒー、紅茶、炭酸飲料。見覚えのある商品を指で送っていく。
今は、普通の水がいい。
ミネラルウォーター、五百ミリリットル。
数量を一にして、発注確定を押した。
短い電子音が鳴った。
目の前に淡い光が集まり始めた。
俺は急いで端末をしまい、両手を差し出した。
光の中にペットボトルの形が浮かび、冷たいボトルが手の中に収まった。
「おお……本当に出た」
ラベルも、キャップも、店で売っていたものと同じだ。
キャップをひねる。小さく音を立てて封が切れた。
一口飲むと、冷たい水が喉を通った。
思わず、続けて何口も飲んだ。
「……うまい」
ボトルを口から離して、息をつく。
疲れた感じも、何かが身体から抜けた感じもなかった。
キャップを閉めてボトルを足元に置き、もう一度、端末を呼び出す。
画面の隅を確かめても、バッテリーの印は満タンのままに見えた。
とりあえず、水一本くらいなら平気らしい。
端末をしまって、ボトルを拾い上げる。
もう一口飲んだ水は、知らない景色の真ん中でも、いつもと同じ味がした




