【第9話】E級から、D級へ
数日後、俺はもう一度協会本部に呼ばれた。
今度は監査室ではなかった。査定室――覚醒判定を受けたあの日と同じ種類の部屋だ。白い壁。中央に鑑定用の端末。あの日、俺に「合計六十、ハズレ」を突きつけた場所によく似ていた。
「相馬さん。もう一度、鑑定を受けてください」
係官が言った。声にあの日のような侮りはない。むしろ慎重だった。監査の一件であの変質種を単独で仕留めたのが俺だと正式に記録された。ならばその戦果は数字に反映されているはずだ。協会はそれを確かめようとしていた。
俺は端末に手をかざした。
覚醒判定のときと同じ淡い光が指先を包む。だが、開いた数字はあの日と同じではなかった。
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【公式表示(協会DB・再査定)】
Lv.8 ランク:D
STR:19 VIT:21 AGI:20 DEX:23 MID:19 INT:20 (合計122)
スキル:《観察》(査定不能)
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「……レベル、八」
係官の声が少しかすれた。
「合計、百二十二。D級です。E級からの昇格だ。あの変質種の単独討伐がそのまま数字に乗っている」
俺はその数字を静かに見ていた。
合計六十が百二十二になっていた。ほぼ倍だ。あの岩室で格上を仕留めた一撃が、確かに俺の身体を押し上げていた。命を張った戦いは無駄ではなかった。数字が動いた。生まれて初めて、俺の積み上げたものが誰の目にも見える形になった。爆発するような喜びではない。だが胸の奥にじんわりと温かいものが広がっていく。
あの覚醒判定の日を思い出した。合計六十、ハズレ。そう突きつけられて大人たちに笑われたあの部屋。今、俺はよく似た部屋で動いた数字を見ている。誰かに認められたかったわけではない。ただ、妹のために潜って持ち帰ったものがようやく形になった。それが静かに嬉しかった。あの日の俺に、少しだけ胸を張れる気がした。
係官は端末を何度も操作し直していた。まるでその数字が信じられないように。
「格上を、レベル一で。……討伐相手との差が大きいほど、経験の入りは大きくなる。だから跳ね上がったのは分かる。分かるが、それにしても効率が良すぎる。まるで一撃で急所だけを抜いたような……いや。この《観察》の実効値は、やはり測定不能か」
係官は独りごちて首をかしげた。俺の本当の力はこの端末には映らない。乖離だけが静かに広がっていく。だが今はどうでもよかった。俺はD級になった。それだけで明日からの暮らしが少し変わる。今はそのことのほうがずっと大きかった。
◇ ◇ ◇
「ただいま」
「お兄ちゃん、おかえ……あれ? なんか、いいことあった?」
ドアを開けた俺の顔を見て、陽菜が目を丸くした。この子はこういうことに勘が鋭い。俺は靴を脱ぎながら少しだけ笑った。
「ん。兄ちゃん、ちょっと偉くなった」
「偉くなった!? どういうこと!?」
「E級ってのから、D級に上がったんだ。これでまともな仕事が回ってくる」
「すごーい! よく分かんないけど、すごい!」
陽菜が飛び跳ねた。よく分かっていないのは本当だろう。だが、兄が嬉しそうなのは伝わったらしい。それで十分だった。
その夜の食卓には鶏の唐揚げが並んだ。半額シールのない、正規の値段の肉だ。監査のあとで戻ってきたあの日の報酬。それにD級として受けた初仕事の前金。合わせれば、久しぶりに財布に余裕があった。自分の力で正しく稼いだ金だ。誰かに奪われも、誤魔化されもしていない。
「んー! お肉、じゅわってする!」
陽菜が頬を押さえて大げさに悶えてみせた。俺はその顔を見ながらゆっくりと箸を動かした。
守りたかったのは、これだ。この食卓。この笑い声。ようやく、それを自分の足で守れるところまで来た。長い一日だった。侮られて、囮にされて、手柄を奪われて。それでも最後に、俺はここへ帰ってこられた。あたたかい飯をこの子と食っている。それだけで全部が報われた気がした。
◇ ◇ ◇
陽菜が寝入ってから、俺はもう一度あの窓を呼び出してみた。
自分にだけ見える、もう一枚のシート。鑑定には映らない、本当の俺の数字だ。
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【真のシート(自己観察でのみ顕現)】
STR:19(+18) VIT:21(+14) AGI:20(+18)
DEX:23(+30) MID:19(+12) INT:20(+16) 実効合計:230
《観察》 観察深度:第2層[構造]
写しスキル:器 0/5(取得は第5層で解禁)
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公式の合計は百二十二。だが俺が本当に出せる力は、その倍近くある。しかもこの上乗せは、見れば見るほど厚くなっていく。最近はものの見え方も変わってきた。以前は表面の傷や癖だけだった。だがこの頃は、その奥の仕組みまで見えることがある。剣士の体がどう連動しているのか。どこがどう壊れるのか。まるで対象の内側を覗いているみたいに。
この前も、道ですれ違った剣士の体がどう組み上がって動いているかまで見えた。骨の連動。力の通り道。無理な癖がどこから来ているのか。まるで精巧な機械の中身を開けて眺めるようだった。以前の俺にはこんな見え方はできなかった。俺の目は少しずつ深いところへ潜っている。そんな実感があった。
誰にも言えない数字を、俺は静かに閉じた。この乖離が何を意味するのか、まだ分からない。ただ、公式のD級と本当の俺との間には確かに距離がある。その距離は日ごとに開いているようだった。
◇ ◇ ◇
D級になって、仕事は確かに回ってくるようになった。だが待っていたのは、思っていたものとは少し違う現実だった。
派遣所で声をかけてきたパーティは、俺の顔を見るなり値踏みをした。D級。無名。おまけに噂がついて回る。E級の頃に格上を単独で仕留めたとか、組んだパーティを監査沙汰にしたとか。事実もあれば、尾ひれもある。
「ああ、あんたか。例の……。気をつけねえとな。下手なことすると、協会にチクられるんだろ?」
半分は冗談、半分は本気の目だった。俺の実力を信じるでもなく、かといって侮るでもない。ただ、扱いにくい厄介者を見る目だ。組んでも腹の中では警戒される。背中は預けてもらえない。
別のパーティにも当たってみた。だが、どこも似たようなものだった。荷物持ちなら雇うと言われ、戦力としては数えられない。あの変質種の話を持ち出しても、まぐれか、でなければ作り話だと片づけられる。信じてくれる者はいない。かといって、監査の一件で完全に無名でもいられない。俺は宙ぶらりんの扱いに困る駒だった。
皮肉なものだと思った。俺の目には、そのパーティの誰がどこを痛めているかまではっきり見えている。だが、それを言えば言うほど気味悪がられるだけだ。真実は信じてもらえないほうが多い。ここまでずっとそうだった。
結局、そういうことなのだと思った。ランクが上がっても、根っこは何も変わらない。パーティというのは、誰かが誰かを値踏みし、利用し、疑う場所だ。俺はそこでうまく立ち回れるようにはできていない。見えすぎるくせに口下手で、群れるのが得意じゃない。
だったら、答えは一つだった。
誰かに背中を預けなくていい。誰かに手柄を奪われることもない。俺の目だけを頼りに、俺のやり方で潜ればいい。妹を食わせる分だけ静かに稼げればそれでいい。
……もう、一人でいい。
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