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ハズレスキル『観察』は、最強でした ―E級と笑われた俺が、世界のすべてを見抜くソロダンジョン攻略記―   作者: りお
第1章 E級の烙印

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【第10話】ソロで、いく

 翌週、俺は一人でゲートの前に立っていた。


 板橋の外れに開いた低危険度の小規模ゲート。廃倉庫型の浅いダンジョンだ。D級ソロでも申請が通る程度の地味な現場だった。誰も欲しがらない仕事だ。だからこそ俺のような無名の一人者に回ってくる。荷を押しつける相手はいない。指図する声もない。背中を気にする必要もない。悪くないと思った。


 腰に提げているのは、自分の短刀だ。ポーター時代に借りていた、あの刃こぼれの安物ではない。D級として稼いだ金で、初めて自分のために買った得物だった。上等な業物ではない。だが手に馴染むよう、柄だけは自分で巻き直した。俺の戦い方には、これで十分だ。急所へ正しく届きさえすれば、それでいい。


 ゲートをくぐると埃と錆の匂いがした。崩れかけた鉄骨。割れた採光窓から差し込む白い光の帯。その光の中を犬ほどの魔物がのそのそと巡回している。群れる型だ。


 俺は入り口の陰でしばらく動かなかった。ただ見た。


 魔物の巡回の順路。次にどこへ向かうか。光を嫌う習性。どれが群れの先頭で、どれが後ろにつくか。それが手に取るように分かる。以前よりずっと速い。立ち止まって数える必要すら、もうなかった。見た瞬間、その場の答えが向こうから流れ込んでくる。あの覚醒判定の日から俺の目は確かに変わっていた。同じものを何度も見るうちに、初見の遅さが消えていく。見慣れたものは一瞬で読める。


 順路の切れ目。魔物の背が向く一瞬。俺は音もなく物陰を移り、群れの死角を縫って奥へ進んだ。戦わずに済むならそれが一番いい。力で押し通るより、ぶつからずに抜けるほうがずっと楽だ。ソロにはソロの戦い方がある。俺のやり方はたぶんこれだった。


 一度だけ、通路が狭まって巡回とかち合った。


 群れの一体がこちらに気づき、牙を剥いて跳んでくる。だが遅い。跳ぶ前の、後ろ脚の溜め。俺の目にはその起こりが見えていた。半歩だけ横へ引く。空を切った顎の下。首の付け根の毛の薄い一点へ短刀を差し込む。それだけで一体が沈んだ。残りが色めき立つより早く、俺はもう次の物陰にいた。


 奥へ進むほど、ダンジョンの造りが見えてくる。どの通路が行き止まりか。どこの床が抜けそうか。空気の流れが最深部の方向を教えてくれる。まるで建物そのものが設計図を広げているみたいだった。迷う理由がどこにもない。俺はただ、見えた最短の線をなぞって歩いた。


 誰かに荷を負わされることも、黙ってろと怒鳴られることもない。見えたものをそのまま活かせる。ただそれだけで、こんなにも動きやすい。この静けさは思っていた以上に性に合っていた。俺はもう、群れなくていいのだ。


  ◇ ◇ ◇


 最深部の主は大型の一体だった。


 崩れた倉庫の中央。鉄骨を巻き込んで肥え太った、蜘蛛に似た魔物。八本の脚が天井の梁を器用に伝う。上からの奇襲を得意とする型だ。真下に立てばそれで終わる。


 だが、俺はもうその体の仕組みまで見ていた。


 八本の脚のうち、右の二本目。動きがわずかに硬い。古い損傷だ。あの脚に体重が乗る瞬間、態勢が一拍だけ崩れる。そして腹の中央。硬い外殻の下でそこだけ継ぎ目が浅い。呼吸のために薄くできている場所だ。硬いところは殴らない。開くところを待って、通るところへ置く。やることはあの変質種のときと同じだった。


 主が梁を蹴って落ちてきた。


 俺は落下点から外れて、硬い脚に体重が乗るその一拍を待った。態勢が崩れる。腹がこちらへ向く。継ぎ目の浅い一点が目の前に来る。短刀をそこへ突き上げた。


 力は要らなかった。落ちてきた勢いが刃を奥まで導いた。主は数歩よろめいて崩れ落ちた。輪郭がさらさらと塵になっていく。あとには魔石がひとつ。ダンジョンの空気がふっと軽くなった。攻略完了。刻まれていた見えない秒針が、止まった。氾濫の芽が、また一つ消える。ゲートが静かに閉じていく気配がした。


 誰も見ていなかった。


 褒める者も、驚く者も、奪う者もいない。ただ俺一人。それでも掌に残った魔石の重みは、確かに俺のものだった。妹の顔が浮かぶ。この石が明日の飯になる。初めて自分の足で立っている。そんな手応えが静かに胸に残った。


  ◇ ◇ ◇


「お兄ちゃん、今日もお仕事だったの? 怪我してない?」


「ああ。かすり傷ひとつない。今日も無事だ」


「よかったぁ」


 陽菜が大げさに胸をなでおろしてみせた。それから、学校であった出来事を身振り手振りで話し始める。俺はうなずきながら聞いた。こういう当たり前の時間こそ、俺が潜って持ち帰りたかったものだ。


 ソロを始めてから、暮らしは少しずつ落ち着いてきた。派手な稼ぎではない。だが、奪われることも騙されることもない。見えた分だけ着実に持ち帰る。それを積み重ねれば、家賃も陽菜の学用品もなんとか回るようになってきた。食卓には時々おかずが一品増えた。


 陽菜は最近少し背が伸びた。ちゃんと食べさせられている証だと思う。それだけで報われた気がした。明日の飯代を心配して夜中に目が覚めることも、もうなくなっていた。派手さはない。だが確かな地面を、少しずつ自分の足の下に敷いている。そんな日々だった。


 協会は相変わらず俺を無名のD級として扱う。書類の上の俺は地味な単独ハンターの一人でしかない。真の実力も、深くなり続ける目のことも、誰も知らない。だが、それでよかった。知られたところで、また厄介ごとが増えるだけだ。俺は静かに潜って静かに帰る。妹と飯を食う。それだけが守れれば、他には何もいらなかった。


 陽菜の寝顔を見ながら、俺はぼんやりと思った。


 最弱の烙印を押された、査定不能のE級。そこからここまで来た。派手な逆転ではない。ただ、見えるものを見てできることをしただけだ。それでも、俺は俺の足で立っている。誰に認められなくてもいい。この目だけが俺の武器で、それで妹を食わせていける。明日もまた一人で潜る。今はまだ、それで十分だった。


 この目は潜るたびに少しずつ深くなっていく。表面の傷や癖だけでなく、その奥の仕組みまで。今はまだ第一歩だ。だが明日はきっと、もう少し遠くまで見える。そんな予感だけが胸にあった。焦る必要はない。俺は俺のやり方で一段ずつ潜っていけばいい。


 ――だが、俺は知らなかった。


 静かに潜り続ける俺の記録を、協会の奥でじっと見つめている目があることを。


  ◇ ◇ ◇


 協会本部、監査部。


 その部屋で、一人の調査官が端末の前で手を止めていた。冴島律。冷徹で正確と恐れられる女だ。画面には一件の記録。多摩・第四ゲート。E級ポーターによる変質種の単独討伐。


「冴島さん、その件はもう処理済みですよ。査定の誤差ってことで」


 通りがかった同僚が、気軽にそう言って去っていった。誰もがそう片づけている。E級が格上を単独で。ありえない。だから鑑定の誤り、数字のいたずら。そう思えば丸く収まる。この協会では鑑定はいつだって正しいのだから。


 だが、冴島だけは画面から目を離さなかった。彼女は昔から、登録の数字より目の前の証拠のほうを信じる質だった。


 E級のときも、D級になった今も。この男の実績は、その数字ではどうにも説明がつかない。一度なら誤差で済む。だが、こう何度も続くとなると――。


 すぐにどうこうする話ではない。ただ彼女は、相馬湊という名前を頭の隅にひとつ置いた。


 そして低く呟いた。


「……このハンター、おかしい」


ご愛読ありがとうございます。

これからも本作品をよろしくお願いします。


また、『ブックマーク』と『いいね』と『レビュー』をよろしくお願いします。


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